ここ最近

近所に救急車が

良く来るようになりました

実は自分も二度ほど

救急搬送された一人です

【1986年9月2日5校時目】

当時2年1組だったクラスの方…

いや…2学年生と全ての方々がご存知かと思います

この時はもう終わったと思いました

人生これから始まると言うのに

なんでこのオレがこんな目に

朝は何事もなく元気だったに

先祖代々遺伝性でもあったのでしょうか

突然の病が自分を襲った

こうなるくらいなら

即救急車を呼ぶべきだったと思った

そうすれば少しでも症状は軽くなったはず(応急処置)

危篤状態になって数時間

どのくらい経ったのでしょう

気が付いたら目の前は白。

あ~

ぼくはもうしんだのかな…

……とおもったら?

変な黒い模様の白い天井

周りを見るとベッドが数台

目の前は点滴がポタポタ…

気がついたら

『国立仙台病院』の

病棟にいた

ぼくはいきていたのだ…‼

そして

何時の間にか

剃り上げた頭にガーゼをして

ネットを被った自分がいた

その後

全員で作ったのでしょうか

千羽鶴・お手紙をくださった事を覚えています

あとは

何人か見舞いに来てくれたと思いますが

意識が戻ったばかりでその頃は

普通に会話が出来ない状態だったかもしれない

一か月程入院をして29日…

リハビリ療養の為宮城病院へと転院

リハビリ期間が長かったと言うか

あっという間と言うか…

今になって

偶にその宮城病院の通りを車で流す度

38年前が懐かしく思える…

建物自体は昔と変わっていなかったが

医療関係はかなり充実したかもしれない

ただあの日は

どうなっていた事でしょう…

病院は数㌔離れた場所にあり

高台に建っていた為か

震災(津波)は免れたのでしょう

その震災後

町が新しくなっていました

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ちっち

仙北の就労継続支援B型事業所からやってきましたはぐれ鳥で御座います。 落ち着いたところ、静かなところ、一番の目的としての仕事内容はパソコンで作業をしてみたかったことなのでこちらへ来ました。 在宅ワークになるまでしばらくの間車での通勤なので慣れるまでの期間が少しかかると思います。 今までの煩わしさの毎日から漸く抜け出し、少し環境が変わって初めのうちは面倒(週三回通勤)でも自分で決めた事なので今までいた場所には後戻りはしたくないかなと。そういった理由のひとつでもあります。 趣味は観光旅行をしながら数々の名所をまわって写真撮影などをしてそれをモトに文章を書くことです。

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