核分裂の発見から原爆開発へ

核分裂とは

核分裂とは、原子核に中性子が当たって分裂し、熱エネルギーと中性子が発生する現象です。核分裂をするのは、元素の周期表の下の方にある重い原子の原子核です。

核分裂は、1938年にドイツの化学者オットー・ハーンとオーストリア出身の物理学者リーゼ・マイトナーによって発見されました。ハーンは中性子をウランに当てるとバリウムが生成されることを発見し、マイトナーはウランの原子核が中性子を吸収してほぼ半分に割れたと考えました。

その後、オットー・ハーンは核分裂の発見により、1944年にノーベル化学賞を受賞しました。

原子爆弾の研究・開発へ

ところで、核分裂が発見された1938年には、アメリカでも大学や研究所で核分裂の研究が開始され、そのさなかの1939年秋に第二次世界大戦が始まりました。そうした中、ドイツが原子爆弾の研究を開始したという情報が流れ、その危機感からアメリカでも原爆研究が始まり、1942年9月には国家的軍事プロジェクト「マンハッタン計画」へと発展しました。当時の大統領はルーズベルト大統領で連邦議会にも知らせずに原爆の設計などを進めました。

当然、ナチス・ドイツが先に原爆の開発に成功したとしたら世界はファシズムに制され、独裁権力に支配される可能性があります。アメリカは当初ドイツに原爆を落とすことを念頭においていました。

アメリカの原爆の設計と開発はニューメキシコ州のロスアラモス研究所で進められました。リーダーのロバート・オッペンハイマーからニールス・ボーア、エンリコ・フェルミ、ジョン・フォン・ノイマン、ハンス・ベーテ、リチャード・ファインマンなど著名な物理学者、数学者が集まりました。

日本でも原爆を作ろうとしていた

一方、日本でも原爆開発が行われていました。陸軍では、理化学研究所の仁科芳雄博士が中心となり、海軍では、京都帝国大学の荒勝文策教授が中心となり原爆開発が進められました。湯川秀樹博士も海軍の研究に参加していました。

しかし、日本では研究に使うウランが圧倒的に不足しており、研究費もアメリカの400分の1程度でとても原爆の開発に至るまでには行きませんでした。

こうして、先にアメリカは原爆開発に成功し、1945年7月16日、人類最初の核実験が行われました。その爆弾はプルトニウムを原料としており、砂漠の地アラモゴードで行われました。

前述の通り、アメリカはドイツに原爆を落とすことを念頭に置いていましたが、すでに1945年5月7日にドイツは連合国に降伏していました。そのため、アメリカは原爆を日本に落とすことを決めました。

後は日本人なら知っての通り、1945年8月6日に広島に、8月9日に長崎に原爆が落とされました。広島、長崎に落とされた爆弾はそれぞれ、「リトルボーイ」、「ファットマン」とアメリカは名づけていました。

世界で唯一の被爆国として日本が世界の非核化に貢献することを期待します。

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Jack

他の人より遅れて某大学に入学しました。物理学を専攻し修了までこぎつけました。それだけが取り柄です。サイエンスについて書かせていただきます。

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