皆様毎度こんにちは。今回はなかなか挑戦的なタイトルで始めましたがどのような印象を持ちましたか?
今回は私が創作で「特別」を目指し実際に滑った体験を元に「”平凡”になる要因」を考察していきたいと思います。
とりあえず3つの要点から挙げていきましょう。
1,ふんわりとしたイメージで万能選手を目指してしまう
2,とにかく否定されない為の予防策を張り巡らせてしまう
3,仕事や現場に対しての過剰な神聖視
です。
ひとつずつ見ていきたいと思います。
1,ふんわりとしたイメージで万能選手を目指してしまう
とりあえず「最強無敵なヒーロー像」を掲げる割には実際の不都合処理に関しては無頓着なキャラクターが主人公だったりするケース。
自分のコンプレックスを正当化するための論理構築だけにこだわり、話の面白さに関係ない設定や描写に夢中になってたりします。
その為様々な周辺知識やセオリー論には詳しいが実務経験が乏しいのでクライアントや顧客の求める理想像がイメージできず、その結果仕事に繋がらないという悲劇が繰り返されることになります。
その上自分の考える理想像を押し売りしてコネクションが潰れることも日常的に会ったりします。
気をつけたいところですね。
しかし「誰もが憧れるヒーロー像」が出てくるのが必然な作品であれば話は別です。
その辺の考察も次回以降やりたいですね。
2,とにかく否定されない為の予防策を張り巡らせてしまう
あまりにも人の悪意や厳しい現実感に晒され過ぎた結果、自分の表現したいものがどこにあるかわからないやり方や論理構築に夢中になってしまうケース。
否定的な意見や批判で傷ついた経験が意識を縛ってしまって、楽しむ要因の無い作品を作り続けてしまう状態に陥ることも多いです。
そしてそういう日常が常態化して「否定されないことが最優先」という思考ルーチンに支配されることも日常茶飯事になっていたりしますね。
その結果読者やクライアントの求めることが出てこない仕組みを無意識に作ってしまい手段や方法論に振り回されることもしばしばあります。
「自分の考える”楽しい”」を改めて思い出すことがまず大事ですね。
3,仕事や現場に対する過剰な神聖視
自分の価値観や正義を憧れの人や上司などに求めることで、自分自身と向き合うことから逃避したまま日々を過ごしているケース。
憧れの人の価値観に全ての意思決定を委ねることで悩みや心理的負荷を自分で負わないのが合理的、とすら考えてしまう状態でもあります。
もちろん自分ならではの独自性が出てくるわけもなく、いつまでも予備知識や基礎理論研究などに没頭するだけで作品も作らず満足してしまうことも。
まず自分の足で一歩歩いてみることが大事だと思います。
いかがでしたか?私も日々これを見返して自戒を新たにしていきたいと思います。
最後まで読んで下さりありがとうございました。