毎度皆様こんにちは。
今回は「滑る企画は何故生まれるのか?」について個人的主観と私の観測範囲の中での考察をしていきたいと思います。
娯楽コンテンツが溢れる現代において「どうしてこんな作品がアニメ化してるのだろう?」とか「何故これでいけると思ったのだろう?」という低評価や酷評を受けてしまう作品はそもそもどのように生まれるのでしょうか。
業界では有名な企業や長年クリエイターとしてベテランで我々素人である消費者より詳しい知見と経験を持っているプロな方々が通した企画が「滑ってしまう」とき何が起きているのか。
私の考える結論として、主要因は2つあると考えます。
①「自分の成功体験が唯一の判断材料になっていて現状把握が不十分である」
②「自分の観測範囲外の要素を無価値と評価しがちで、自分の価値観を”勝利の方程式”だと思ってしまう」
です。
詳しく見ていきましょう。
この2つの要因は「自分の成功体験が”このやり方だから成功した”という生存バイアスにすり替わってしまう」という認知の変化によるものだと私は考えます。
そう、現実の消費者や顧客の現状を軽んじる失敗確定の王道パターンの入り口になっているのです。
そして価値基準が過去の成功体験ベースで固定されていて、「賞味期限切れ」の理論を何度も擦ってしまうようになります。
そうすると本人が斬新だと思っている物語が世間では飽きられて久しい古びたモノになっている事もしばしば。
それでも過去の実績により発言力があったりすると目をつむって企画を通す決裁者もいると思います。
その「成功体験」でより本人は確信を深めて敗北必至の特攻をしてしまうのではないでしょうか。
もちろん「色褪せない王道展開」や「普遍的な面白さのシナリオ」など経験値の多いベテランならではの面白さはあるでしょう。
しかし時代の流れや消費者ニーズを考えずに提案される企画が満足な娯楽体験をもたらしてくれることは稀です。
さらに「正解が無い世界」である娯楽コンテンツ業界において「過去の成功体験の方法論・体系論」は誰でも頼りたくなるのが人情というモノ。
ですが「消費者や顧客を楽しませたい」という大元から目をそらして方法論に逃げてそれが「魅力ある提案」になりうるでしょうか?
ここで今一度「娯楽コンテンツの楽しさとは何か?」を立ち止まって考えることも有意義なことになるでしょう。
今回はここまで。
私としては「方法論」や「表現法」はあくまで道具であり大事なのは”楽しんでもらおうという意思”だと考える次第です。
最後までのお付き合いありがとうございました。
