どうも皆様こんにちは。
今回は皆様も馴染み深いであろう”現実”という言葉とその意味について考察していこうと思います。
そもそも”現実”とは何でしょうか?
現状で守らなければならないルールですか?それとも受け入れなければならない不都合でしょうか。
人それぞれの”現実”があるでしょうが、私の考える”現実”という言葉は「自分が現在得られる生きる環境状態」を表す言葉です。
例えば「定時で帰れずいつもサービス残業に追われている日常」。
例えば「人とのコミュニケーションがうまくいかずストレスを抱えている日々」。
まぎれもなく社会で言うところの”現実”です。
そして創作をする場合でも「需要があるジャンルを狙って書かなければ誰にも読んでもらえない」とか
「自分の好きな要素だけ詰め込んでも思ったように受け入れてもらえない」なども正によく言う”現実”の形でしょう。
ではそれに向き合うとはどういう事か?
それは「自分の現状を他人が理解できる表現にすること」から始まると私は考えます。
上記の様々な”現実”は自分からしてみれば唯一無二で逆らえない絶対的支配権を持っているように思えるでしょう。
そして”現実”なのだからしょうがないと自分を説得して我慢を続けていく。
私もかつてそういった”現実”を許容して自分を適応させていくのが「大人になる事」だと思っていました。
ですがそれを信じてセルフネグレクトを慢性化させて身体症状が激しくなっても頑張って倒れることになりました。
隔離病棟で入院していたとき、私はより自分を支配していた”現実”について考えたのです。
その結果「”現実”とは自分の感覚と自己評価によって決められたモノで、自認の在り方によって変化する」という仮説を見付けました。
”現実”は「自分の信じたい現状」が見せている仮想空間に近いモノだと考えたのです。
「どうせ努力しても無駄だし」と考えているときは努力でどうにもならない状況に直面するのが怖い時。
「どうせ何も変わらないよ」と思う時は実際に行動してみて変わらなかった時に絶望や無力感に向き合えない時。
そう考えるようにしてみたところ、「可能性としては十分あるじゃないか」という考え方ができるようになっていったのです。
自分が設定していた「”現実”の檻」は自分が傷つかないための防衛反応だったのです。
もちろん全てが何でも思いのままになるようになったとかではありませんが、「成功とは努力とはこうあるべき」的な思い込みで余計な労力や思考に苦しめられる事が少なくなったことは事実です。
あなたも自分の「”現実”の檻」の姿を外の視点から観察してみてください。
絶対的な支配権を持っていたはずの”現実”のありのままの姿を見た時、あなたの世界も少し違って見えてくるでしょう。
”現実”に全ての決定権を預けていた時とは違う日常がそこにはあると思います。
今回はここまで。
最後までありがとうございました。
