「ぼんやりした不安」と「はっきりした不安」
原始のサバンナ、あるいは密林の暮らしでは木々の奥には猛獣がひそみ、草むらには毒性を持った植物が繁殖しています。必要な獲物を確実に仕留められるとは限らず、悪ければ木の実や根茎類すら手に入らない可能性もある、まったく不安に満ちた生活です。
しかし、その代わりに原始の不安には、シンプルで対処しやすいという利点があります。猛獣に襲われれば戦うか逃げるかの二択を選ぶしかないし、食べ物が見つからなければサバンナを探し回るか飢えを我慢するだけです。もし病気になったとしても、休息しながら栄養を摂る以外に選択肢はありません。
一方、現代の不安はどうか?もし自分の会社がブラック企業だった場合、今後の生活を考えてすぐに辞めるべきか、思い切って別の進路を探すべきかは簡単に判断できません。年功序列が崩れた現在では成果を上げ続けねばならないプレッシャーも増え、仕事への不安はかつてないレベルで増え続けています。
さらに現代に特有なのが、コミュニケーションの不安。SNSのおかげで交流できる人の数は飛躍的に増えたものの、匿名の傘に守られた安心感のせいで必要以上に攻撃的な言葉を吐いてしまったり、不用意な書き込みに対して無数のユーザーからバッシングを受けたりと、その心理的なダメージの質と量は、古代の世界とは比べものになりません。
対して狩猟採集民のコミュニティーは最大でも200人程度がリミットで、見知らぬ相手とコミュニケーションを取るケースはまずありません。数が少ないぶんだけ人間関係は親密かつ濃厚で、たとえ浮気やケンカなどのトラブルが起きた場合でも、長老による裁定や部族間ルールなどで解決が図られ、対人関係の不安が長々と続くケースはまれです。
要するに、原始的な社会ではどのように不安を解決すべきかが明確でした。
「ぼんやりとした不安」は、現代人の脳に多大な影響をおよぼしています。
第一に慢性的な不安は記憶力を低下させます。
第二に、理性的な判断力を奪います。
第三に、不安は死期を早めます。
第四に、不安は不安を呼び込みます。
果たして、ここまで現代人が不安をこじらせたのはなぜでしょうか?
進化論では、ヒトが持つ性質や器官は、すべて何らかの理由があって生まれたと考えます。目は周辺の情報を集めるため、足は獲物を追いかけるため、腕は道具を使って食材を集めるため、といった具合にです。この考え方は、我々の感情にも当てはまります。
危険を知らせるアラームとしての役割
それでは「不安」の存在理由は何でしょうか?人類の進化のなかで、「不安」はどのような役割を果たしてきたのか?結論から言えば、不安の機能は「アラーム」です。目の前の草が動いたのは、奥にライオンがいるからではないか?この葉っぱを食べたら体を壊すのではないか?このような、まだ正体があきらかではない生存の危機を察知し、事前に対策を取れるようにアラームを鳴らすのです。
これは人類にとって最も重要な機能の一つです。
ポジティブとネガティブの不均衡は、古代の環境であれば良い方向に働きます。
ところが、不安の質が変わった現代では、かつてはうまく働いた機能が動作しません。「ぼんやりとした不安」のためです。
現代の不安における遺伝のミスマッチとは?この謎を解かない限り、現代人の不調は改善されません。不安定な仕事、体調の衰え、金銭的な問題など、一見バラバラのように思える不安の原因には、どのような共通項があるのでしょうか?
その答えは、ひとことで言えば「未来の遠さ」です。いつか体を壊すのではないか、そのうち生活資金がなくなるのではないか、やがて大地震で家がなくなるのではないか。どれも明日にでも起きる悲劇かもしれないし、もしかしたら死ぬまで何もないかもしれませんが、いずれにせよただちに行動しなくても死ぬわけではありません。
しかし、人類に備わった不安は、あくまで目の前に迫った危険への対策をうながすための システムです。先の例のように、いまの瞬間よりも時間軸が未来にある危険に対しては対応できません。いったんこうなると、自分が何におびえているのかすらわからなくなってしまいます。
かくも不安に満ちた現代人の時間感覚は、いつから変化を見せたのでしょうか?
狩猟採集民が農耕生活を始めたのは1万1000年~2万3000年前のこと。
農耕の出現により、人類の生活は一変しました。その日暮らしだった狩猟採集生活とは違って定期的に食料が手に入り、穀物を貯蔵しておけば飢えに悩む可能性も激減しました。
しかし、農耕は様々な弊害も生みました。農耕は「社会階層の出現」という副作用も生み、狩猟採集民と違って食料の保存が可能になったせいで持つ者と持たざる者の区分けができあがりました。農耕とは不平等の起源でもあります。
そして、農耕がもたらした変化のなかでも、もっとも現代人への影響が大きいのが「時間感覚の変化」です。農耕を効率よく進めるには、長期的な視点が欠かせません。秋から初冬にかけて種をまき、変化のない冬を耐えて待ち、ようやく初夏に収穫する。1年も先のことを考えて行動する習慣は、それまでの人類にとってまったく未知数のものでした。ここにおいて、人類は「遠い未来」を思い描かねばならなくなりました。
ところが困ったことに、人類の遺伝子には「遠い未来」に対応するシステムが備わっておらず、「不安」という短期用のプログラムを駆使しながら、どうにかやりくりしているのです。
現代の環境と遺伝のミスマッチにはいろいろなものが考えられます。そのなかでも現代人への影響が大きい2つの環境に的をしぼるとそれは自然と友人です。この2つが現代と古代で大きく違っています。
農耕が始まってから、人類は山を切り開いて森林を削り、土壌の性質を大きく変えてきました。かつての農耕地からは土壌が失われて緑地帯も減少。北アフリカなどローマ時代に農耕が盛んだった場所は、現在では広大な砂漠地帯と化している。
18世紀に産業革命が始まると、巨大工場や鉄道が整備されて、都市の風景も激変しました。それと同時に、田舎暮らしが減り、逆に都市での暮らしが増えました。ここにおいて人類は、数百万年の歴史で初めて自然の景観から切り離された存在になりました。緑が豊かな環境に適応してきた人類にとっては、あまりにも異例の事態です。
友人にも同じことが言えます。狩猟採集民の暮らしは濃密そのものでした。共同体のなかに見知らぬ人などはひとりも存在せず、全員が知り合いか友人といった状態。加えて、多くの部族には他人よりも富を蓄えてはいけないという掟があるため、個人間の格差や差別などもほぼゼロでした。
そのいっぽう、現代人は孤独をいまもこじらせ続けています。自然とのふれ合いは確実に健康へ影響します。
喜びや快楽といったポジティブな感情を作り、獲物や食事を探すためのモチベーションを生み出す興奮。安らぎや親切心といったポジティブな感情をつくり、同じ種属とのコミュニケーションに役立つ満足感。不安や警戒といったネガティブな感情を作り、外敵や危険から身を守るための脅威感。
私たちが最高のパフォーマンスを発揮するためには3つのシステムがバランス良く機能していなければいけません。快楽ばかりを追う人生は退廃に至り、安らぎだけの毎日に前進はなく、不安ばかりの暮らしは日々をよどませる。それぞれがしっかりと嚙み合ってこそ人間はうまく機能できます。
ところが都市の暮らしでは、おもに興奮と脅威のシステムだけが活性化しやすくなる。
現代の都市では興奮か脅威のどちらかに振れやすい性質を持っています。
巨大なショッピングセンターやカラオケなどの娯楽施設がささやかな興奮を提供しつつも、仕事のストレスや経済的な問題によりいつも脅威の感覚がかけられ、濃密なコミュニケーションが減ったせいで安らぎの感覚は低下傾向にあるからでです。
ポジティブな感情が多すぎてもネガティブな感情が少なすぎても、我々の体はうまく機能しません。そのためには、できるだけ自然とのふれ合いを取り戻し、失われつつある感情システムのバランスを正していくべきなのです。
それから、人間の脳は人間関係をつくることが苦手です。
それは我々の脳が、見知らぬ他人とうまく人間関係を作れるように設計されていないからです。人類は数百万年前から小さな集団のなかだけで生きてきました。まったくの他人と交流することは滅多になく、周囲には家族か顔見知りしか存在しませんでした。
家族や友人のように自分に好意を持っている相手との仲さえ深めれば良く、それ以外のコミュニケーション回路が備わっていません。
赤の他人と付き合っていかなければならないことは現代人を苦しめる遺伝のミスマッチのひとつです。
親密な人間関係を築くために意識すべき3つのポイントは「時間」「同期」「互恵」です。
「時間」。つまり一緒に過ごす時間の長さのことです。特別な刺激がなくても他者と接触する時間を増やすだけで好意は増すのです。ただ相手の顔を見る回数が増えただけでも2人の仲は自動的に深まっていきます。
「同期」。同期行動することで絆が深まるということ。全員が近い場所で行うこと。同じタイミングで同じ行動をすること。この2つの条件が合えば同期行動の内容はなんでも構わないのです。
「互恵」。友情を育むには「互恵」が欠かせない。簡単に言えば「好きな相手に利益をあたえること」。友情を育むには利益の与え合いが欠かせません。人類が生き延びるためには、いざというときに助け合えるような仲間が欠かせず、そのため私たちは互いの利益になりそうな相手を友人に選ぶように進化してきました。
我々が他者に与えられる最強のプレゼントは信頼。相手に「こいつは絶対に自分を裏切らない」と感じさせれば、そこには必ず強固な同盟関係が生まれます。
ぼんやりした不安を解消するたった1つの方法は「未来を今に近づける」ことです。ここでいう未来とは、実際の時間の流れを意味しません。未来の自分と現在の自分の心理的な距離が、どれだけ近いかを問題にします。未来との心理的距離が近い者ほど不安に強く、セルフコントロール能力も高いです。自己連続性が高い者は目の前の誘惑に負けない強いメンタルを持っています。未来の自分の身になって考えられるということ。そのため、現在の決定が未来におよぼす影響を実感できるようになるのです。
自己連続性が高まれば「ぼんやりとした不安」は生まれません。つまり、「未来を今に近づける」のが、現代人の時間感覚を正す数少ない抵抗手段なのです。
未来に目的があれば迫害すら乗り越えられます。
「価値観」はモチベーションを与えてくれます。価値に沿って生きるほど日々の悩みは消え、自然と自分をいたわる行動が増えていきます。不安に立ち向かうには、まず自分の「価値観」を見定めるべきです。
原始人にとって生きる意味は単純でした。
狩猟採集民の価値観、つまり生涯にわたって持つ人生の目的はシンプルで、「生きる産む育てる」の3つだけでした。それゆえに原始人にとって人生の意味はいまよりも単純でした。
ところが現代では「生きる産む育てる」の他にも、我々は様々な行為に価値を見出すようになりました。定期的に新しいライフスタイルや人生の意味が提示され続ければ、どうしても迷いや不安が生まれてきます。価値観の多様化が問題なのは我々の未来像を、ぼんやりとしたものに変えてしまうからなのです。
狩猟採集民のように「生きる産む育てる」だけを目的にすれば、その時点で未来の姿は確定し、もはや次の行動に思い悩む必要はなくなります。いっぽうで現代のように選択肢が豊富な社会では未来の姿はいくつにも分かれ、決してひとつに定まることがありません。
あいまいな将来は私たちのなかで明確な像を結ばなくなり、結果として未来との心理的距離は遠くなっていきます。これが、価値観のブレによって不安が起こる理由です。この問題を解決するには、自分の大切な価値観を絞り込み、未来を今に近づける。こんなふうに生きていきたいと、心から思えるような人生の方向性のこと。本当の価値観とは人生でどのように行動したいのかを問い続ける過程なのです。価値にもとづく行為は時間の心理的距離を「いま、ここ」に収束させ、未来への不安を消し去ることができるのです。
この本は理論的に書かれているので非常に読みやすかったです。いろいろ気付かせられることがあり、やはり自然と人との密なつながりは大切なんだなと改めて思いました。そして何より自分らしさ、自分の生き方に大切な価値観を持つことが必要なんだと思いました。私も新たな一歩を踏み出すところです。大変参考になりました。