こんにちはkontakaです。
もう6月ですか、あっという間ですね。みなさんどうお過ごしですか?
私は最近、つくづく「歳月人を待たず」だなと感じながら過ごしています。
この言葉は陶淵明という昔の中国の有名な人の詩が由来です。
意味は「歳月は、人の都合などにおかまいなく、刻々と過ぎ去ってゆく。時のたつのは速いから、時間をむだにしてはならない。」ということです。
この説明からみなさんはどんな印象を受けられましたか?人それぞれですよね。
私の第一印象は「しっかりしなきゃいけない!」でした。
確かにそういった戒めの意味もあるのですが、この言葉が描かれている詩の内容全体を読むとだいぶ印象が変わり、奥深さを感じさせられます。
内容はというと
人間の生には植物の木の根のようなしっかりとした拠り所がなく、ひらひらと舞い散るさまは路上の塵(ちり)のようなものだ。
ばらばらになって風に吹かれて飛び散り、もとの通りに居続けることはない。
そんな人生だ。この世に生まれたからにはみんな兄弟のようなものだ。
嬉しいときは大いに楽しもう。盛りの年は二度とはない。今日という日は再び来ない。
楽しめる時はとことん楽しもう。歳月は人を待ってはくれないのだから。
つまり、ぼやぼやしていると楽しい時を逃し、充実した時間を味わうことなく年老いて死んでしまうかもしれない。だからその時々に真剣に向き合いなさい。という意味なんですね。はかなさの中に楽しみを見つけて前向きに生きることです。
人生は人それぞれです。人はそれぞれ違っていて同じである。同じであって違っている。つくづくそう思います。
私は文系の人間なので物理学はよくわからないのですが、この世のものは人間にしろ、動物にしろ、植物にしろ、大地や山や海や川のものにしろ、宇宙にしろ、すべて同じ原子とか素粒子といわれるものが元となっていて、その組み合わせの違いによって現れているに過ぎないのだそうです。とても「不思議」で「驚き」ですよね。
「有り難い」という言葉があります。
普段よく使う「ありがたい」という言葉は一般に感謝の言葉のように思っていますが、じつは感謝以前の重大な意味をもつ言葉です。
有り難いは、読んで字のとおり、「いま、ここ」に有ることが難いことであり、稀であり、珍しいことだ、という意味です。
いいかえると、人間の考えではとても思いはかれない事実をいいます。つまり「不思議」ということです。
すると、生まれてきたということは、「何という不思議、素晴らしいことだろう」ということになります。
「いま、ここ」にこうして生きているとは、じつに珍しい、有り難い、もったいないことではないか、ということになります。
この不思議な、人間の力では思いはかれない事実を体験して、はじめて「有り難い」が感謝の言葉となってふき出るのではないでしょうか。
このような実感が、人生を豊かにし、そして正しく生きる原動力になるのだと思います。
ここまで読んでいただいて「ありがとう」ございました。