こんにちは、きんいろ旅程です。
みなさんは北欧神話に登場するヴァルキリー(ワルキューレ)という女神たちをご存じですか?
彼女たちは戦場で兵士たちの命を選別し、オーディンの館があるヴァルハラへその魂を運ぶ存在として知られています。彼女たちは美しく勇敢で、時には戦闘に加わることもありました。
実はこのヴァルキリーは全く空想の産物ではなく、古代スカンディナヴィアの伝説的な女戦士「楯(たて)の乙女」(古ノルド語でスキャンドメール)がモデルになっているという説があります。
楯の乙女たちは、伝説ではヴァイキングの男性戦士と同じように、海賊や探検家として船で遠征し、略奪や征服を行っています。彼女たちは盾や剣・斧などの武器を使って敵と白兵戦をしており、強い武力と精神力をあわせ持っていました。
この記事では、楯の乙女の伝説や戦いの物語、ヴァルキリーとの関係について、そして考古学的な発見について紹介していきます。
楯の乙女の伝説と物語
楯の乙女が登場するスカンディナヴィアの伝承や叙事詩はたくさんありますが、その中でも有名なのは以下のものです。
『ヘルヴォルとヘイズレク王のサガ』
この伝承は、魔剣テュルヴィングを父から受け継いだ女性ヘルヴォルが主人公。彼女は海賊になり、後に自分の王国を築きました。
彼女の孫もまたヘルヴォルと名乗り、勇猛果敢に戦いました。フン族との戦闘では、敵陣に突入し多くの敵を斬り倒します。しかし最後は力尽きて戦場で亡くなりました。
『デーン人の事績』
10世紀から12世紀にかけて書かれたスカンディナヴィアの歴史書。この中では、ブラーヴェルの戦いで楯の乙女が活躍したことや、スウェーデン王女ウェビョルグが楯の乙女を率いてローマ帝国に抵抗したことなどが記されています。
『ビザンティオス年代記』
10世紀末から11世紀初頭にかけて書かれたビザンツ帝国の歴史書で、971年にキエフ大公国がビザンツ帝国下のブルガリアを攻めた際、女戦士が従軍していたことが記録されていました。
この中では、キエフ大公スヴャトスラフ1世が率いるヴァリャーグ(北欧出身の傭兵)に女性戦士が含まれていたと記されています。ビザンツ帝国軍はドロストロン(現在のブルガリア北東部)でヴァリャーグを包囲、降伏させますが、その中に武装した女性がいることに驚きます。
『グリーンランド人のサガ』
11世紀初頭にグリーンランドから北米大陸に渡ったヴァイキングの冒険を描いた叙事詩。この中では、北米大陸へ初めて到達したと伝えられる航海者レイフ・エイリークソンの異母妹でフレイディースという女性が登場します。
彼女はヴィンランド(現在のカナダ東部)で妊娠中に、先住民スクレリングと遭遇。スクレリングはフレイディースに攻撃を仕掛けますが、彼女は上半身裸で剣を取って応戦し、先住民を追い払ったと伝えられています。
どの物語でも、楯の乙女たちは男勝りで積極的に戦ったことが伝わりますね。
ヴァルキリーと楯の乙女の関係は複雑
ヴァルキリーと楯の乙女の関係や違いについては、様々な見解があります。
一般的には、楯の乙女は実在した(かもしれない)女戦士であり、ヴァルキリーは神話的な女神であるという区別がされますが、両者の間には共通点も多く見られます。
まずは両者ともに戦場で活躍する女性であること。楯の乙女は自ら戦闘に参加し、ヴァルキリーは戦死者を選び出す役割を担っています。
次にオーディンと関係があること。楯の乙女はオーディンの娘や妻として描かれることがあり、ヴァルキリーはオーディンの乙女や娘と呼ばれています。
また両者ともに英雄や王族の恋人として登場することにも注目。楯の乙女はヘルギやシグルズなどの英雄の妻や恋人として描かれ、ヴァルキリーも同様に英雄の恋人として物語に関わっています。
最後にともに白鳥や馬などの動物と結び付けられる点。楯の乙女は白鳥の羽衣をまとっているという描写がありますが、ヴァルキリーも白鳥や馬に変身する場面があります。
これらの共通点から、楯の乙女がヴァルキリーのモデルになった可能性は高いのではないでしょうか。
楯の乙女とヴァルキリーは、どちらも古代スカンディナヴィアの女性戦士のイメージを反映した存在ですが、近い存在ながらも全く同じではないという複雑なものだと言えるでしょう。
楯の乙女は実在したのか?考古学的な発見も
楯の乙女の伝説と物語の章であげた史料から、楯の乙女の伝説は少なくとも10世紀までには存在していたことが分かりました。しかし、楯の乙女が歴史的に本当に実在したかどうかは意見が分かれており、議論が続けられています。
一方で、考古学的証拠やDNA鑑定によって楯の乙女の存在を裏付けようとする研究も行われています。
イングランドにあるヴァイキングの墓と、その中の遺体を科学的分析にかけたところ、男性と女性の数はほぼ同数で、一部の女性には武器が副葬されていたことがわかりました 。これは女性も武器を持って戦闘に加わっていた可能性を示唆します。
また、スウェーデンの湖上遺跡・ビルカにある10世紀の墓を発掘したところ、大量の武器と2頭の馬の骨が見つかりました。ここに埋葬されていた人骨を分析したところ、女性であることが判明。現在この人物は「ビルカの女ヴァイキング」と呼ばれています。
もしかしたら、彼女が楯の乙女のモデルの一人なのかもしれません。そう考えるとロマンがありますね。
おわりに
この記事では、楯の乙女の歴史、ヴァルキリーとの関係、そして考古学的な発見について紹介しましたが、いかがでしたか?
楯の乙女は遅くとも10世紀までには活躍していたヴァイキングの女戦士であり、盾や剣などを使って敵と戦っていました。
ヴァルキリーは神話上の存在であり、楯の乙女と同一のものではありません。とはいえ、楯の乙女の存在がヴァルキリーのイメージに影響を与えた可能性は高そうですね。
楯の乙女の歴史やヴァルキリーとのつながり、彼女たちが実在したのかについてはまだ解明されていない部分が多く、今後の研究が期待されます。もしかしたら、あっと驚くような発見が待っているかもしれません。
楯の乙女の研究はまだまだ始まったばかりです。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
ではまた次回!
☆参考サイト
ワルキューレーWikipedia
楯の乙女ーWikipedia
ビルカの女性ヴァイキング戦士ーWikipedia
楯の乙女 ― ヴァイキングの女戦士(北方碧さんのnote)