こんにちは、きんいろ旅程です。
みなさんは、アーネスト・シャクルトンというイギリス人をご存じですか?
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シャクルトンは、イギリスの南極探検隊を率いた探検家で、母国イギリスでは長年「リーダーにしたい人物№1」として支持されている英雄です。
今回はそんな彼の生涯の中でもっとも有名なエピソードである、1915年に南極海で遭遇した危機と、その後の壮絶なサバイバルについてご紹介します。最終的に、シャクルトンは部下を誰一人として死なせることなく、全員を生還させました。この出来事は「南極海の奇跡」として、多くの映画やドラマ・ドキュメンタリーになっています。
シャクルトンは、どうやって絶望的な状況を打開したのでしょうか?またそれを支えたリーダーシップとはどういうものだったのでしょうか?
それではさっそく見ていくことにしましょう。
シャクルトンの探検の概要と目的
南極大陸は、世界で最も寒くて過酷な場所です。その中心にある南極点は、1911年にノルウェーの探検家ロアール・アムンセンが初めて到達しました。イギリスもロバート・スコットを隊長として南極点を目指しましたが、アムンセンに後れを取っただけでなく、帰路に隊が全滅するという悲劇的な最後を迎えました。
それから3年後、英国の探検家アーネスト・シャクルトンは、南極大陸を南極点を経由して横断するという新たな挑戦に乗り出します。 これは、人類が未踏の地を開拓するという夢と冒険心に満ちた計画でした。
シャクルトンは、1914年に28人の仲間と一緒に「エンデュアランス号」という船で南極沖のウェッデル海に向かいました。このウェッデル海は、氷山や流氷が多くて航行が困難な海域です。
シャクルトンたちは、そこから南極大陸に上陸して、南極点まで歩いて行くつもりでした。そして、反対側のロス海から別の船で来た支援隊と合流して、南極大陸を横断する予定でした。もし実現すれば、人類初の快挙となる計画だったのです。
ウェッデル海で閉じ込められる
しかし、シャクルトンたちの計画はすぐに狂い始めました。
エンデュアランス号は、1914年12月にウェッデル海に入りましたが、厚い流氷に阻まれて進めなくなりました。そして、翌1月には完全に動けなくなってしまったのです。シャクルトンたちは船を氷から解放しようとしましたが、氷はどんどん厚くなっていきました。
シャクルトンたちは船内で越冬することを決めました。船内では幸い暖房や電気が使えましたが、食料や水は節約しなければなりませんでした。
隊員たちは暇つぶしに本を読んだり、音楽を聴いたり、ゲームをしたりして過ごしたようです。また、シャクルトンは隊員たちの誕生日や記念日などを祝ったりしました。隊員たちの士気を高く保つための工夫を怠らなかったのですね。
氷上での越冬
しかし、1915年10月になっても氷は解けませんでした。ここまでで、すでに10か月近くが経過しています。
とうとうエンデュアランス号は氷の圧力に耐えきれずに破壊されてしまいました。シャクルトンたちは船から必要なものを運び出して、氷の上にテントを設営。救命ボートをそばに置いて、氷が融けるのを待ちました。
しかしシャクルトンは冷静に状況を分析し、このままでは全員死ぬと判断。そこで、救助を求めるために、救命ボートで最寄りのサウス・ジョージア島に向かうという決断をしました。一番近いとはいっても、その島まではなんと約1300キロメートルもありました。
それでも、シャクルトンは部下を救うため、自らサウス・ジョージア島へ向かったのです。
救命ボートで脱出
1916年4月になって、氷が少し動き始めました。
シャクルトンは、救命ボートでエレファント島という無人島に向かうことにしました。エレファント島は南極大陸から離れているので、氷が少なくて航行しやすいと考えたからです。
そこに隊員たちを運ぶと、シャクルトンは自分と5人の隊員を選んで、最も頑丈な救命ボートに乗り込み、サウス・ジョージア島へ向かうことにしました。残りの22人はエレファント島で待機するよう命じられました。
シャクルトンたちは、エレファント島から1300キロメートル離れたサウス・ジョージア島の捕鯨基地を目指しましたが、その道のりは危険に満ちたものでした。氷山や波に揺さぶられ、風雪は容赦なくシャクルトンたちを襲いました。また食料や水も乏しく、航海術も不確かでした。
それでも、シャクルトンたちは16日間もの間、過酷な環境を生き延びたのです。 そして、1916年5月10日、奇跡的にサウス・ジョージア島に到着しました。
危険な山越え
しかしこれで冒険が終わったわけではありません。
シャクルトンたちが到着したのは島の南岸でしたが、人のいる捕鯨基地は北岸にあったのです。 しかも、その間には高い山々が連なっていて、徒歩で越えることは困難に思われました。
ここでシャクルトンは再び決断します。自分と2人の隊員だけでその山越えをするという決断です。残りの3人はボートで待つように言われました。
シャクルトンたちはとうてい不可能だと思われた離れ業をやってのけました。なんと36時間をかけて山を越えたのです。部下を助けたい一心がなせたことなのでしょう。そして5月20日、ついに捕鯨基地に到着しました。
捕鯨基地の人々は彼らを歓迎しましたが、同時に驚きました。シャクルトンたちはひどくやせ衰えていて、ぼろぼろの服を着ていたからです。とはいえ、これで乗組員たちの救出に光が見えました。
救出
シャクルトンはすぐに船を送り、サウスジョージア島の反対側にいる3人を救出しました。その一方でエレファント島で待っている22人の隊員の救出隊を組織します。
救出の最初の3回の試みは、海氷のため失敗しました。しかし、ここでもシャクルトンは決してあきらめませんでした。
1916年8月30日、シャクルトンはチリ政府から借りた蒸気船ヤエルマ号で4回目の救出を試みます。今回は奇跡的に海氷が開き、エレファント島に到着。シャクルトンは島に上陸して、残された22人の隊員たちと再会することができました。
驚いたことに隊員たちはリーダーであるシャクルトンを信じて、一人も欠けることなく待ち続けていたのです。彼らはシャクルトンを見て全員涙を流したと伝わっています。シャクルトンが強い意思とリーダーシップを持っていなければ、ありえなかったことでしょう。
シャクルトンは隊員たちをヤエルマ号に乗せて、いったんサウスジョージア島に向かったあと、1916年9月9日にフォークランド諸島に到着しました。
シャクルトンとエンデュアランス号の探検隊は、2年近くも南極で遭難生活を送った後、奇跡的に文明社会に帰還したのです。
おわりに
シャクルトンとエンデュアランス号の探検は、南極大陸横断という当初の目的は達成できませんでしたが、それ以上に驚異的なサバイバルストーリーとして世界中に知られるようになりました。
シャクルトン自身もまた、けっしてあきらめない強い意志と、隊員たちの命を守るために果敢に行動する勇気と、優れたリーダーシップで有名になりました。彼は隊員たちから絶対的な信頼を得て、一人も見捨てることなく全員を救出しました。これは、南極探検やその他のサバイバルの歴史の中でも、最も感動的な出来事の一つと言えるでしょう。
彼らの冒険は、多くの本や映画・ドキュメンタリーに取り上げられて、後世の人々にインスピレーションを与えてきました。アーネスト・シャクルトンは、南極の奇跡を起こした英雄として、今もなお私たちの心に生き続けています。
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では次回もお楽しみに!
☆参考サイト
アーネスト・シャクルトンーWikipedia
1915年に南極で放棄された伝説の「アーネスト・シャクルトンのエンデュアランス号」がついにほぼそのままの状態で発見されるーGigazine
そして、奇跡は起こった!シャクルトン隊、全員生還ー本の要約サイトフライヤー
南極に賭ける ~シャクルトン~ー日本海難防止協会
帝国南極横断探検隊ーwikipedia