自立の本当の意味がやっと分かった気がしたので書いてみたいと思います。
辞書や世間一般で言われている自立とは「他人から支配や援助を受けずに、自分の力で生きていくこと」です。
それは当たり前だし、それを極端にまで思い込んでいたのが過去の私でした。
そのようにならなければならないという強迫観念があったんです。これが発症の原因になっていたなんて、その時は思いもよりませんでした。
そのため、自分でもどうしようもない強い思い込みに支配されていた私はいつも一人でいるような気持ちでいました。
自分の強い思い込みによる大きな悩みは家族どころか親しい友人にさえ打ち明けられず、障害を抱えてしまったことさえ認めることができず、誰にも相談できず、分かってもらえないことに強い不満と不安と絶望感でメチャクチャになって「孤立」してしまいました。
「自立」には「孤独」が必要なのかもしれませんが、落とし穴があります。それが「孤立」なんです。「孤立」は絶対にしてはいけません。断言します。私はそれを嫌というほど長い間経験し、味わいました。大げさかもしれませんが人間では無くなってしまうのです。
やっとの思いで生まれ変わって気づいたことがあります。それは人は生きていくうえで「全く他人の助けを受けない」ことはできないということです。
「自立とは依存先を増やすこと」という言葉を知っているでしょうか。脳性麻痺という障害を持ちながら小児科医として働き、現在は東京大学の先生をしている熊谷晋一郎先生の言葉です。熊谷先生は脳性麻痺の障害のため、親を失えば生きていけないと思い込んでいたのですが、一人暮らしをしたことで、友達や社会など、依存できる先を増やしていけば自分は生きていける、自立できるとわかったそうです。
つまり「依存しなくなる」ことではなく、良い意味で自分から主体的に「依存先を増やしていくこと」こそが自立なのです。これは障害の有無に関わらず言われてみれば当たり前のことなのではないでしょうか?
素直に頼ったり頼られて生きていこうとするのが人であり、文字通り「人と人は支え合っている」のが本当の人間なのだと今の私は自信を持って言うことができます。だから私は堂々と依存できる先をたくさん増やして、人として生き抜く覚悟をしました。
これまで必死で自分で行動を起こして様々な依存先を開拓してきました。きっかけは自分から作るしか方法が無いというのが私が経験した強い実感です。何でも良いから、きっかけを作りましょう。ただ待っていては誰も分かってくれません。この先どうなるかは正直分かりませんが、それでも自分を信じて前に進むしか方法は無いんです。
もし念願叶って自立ができたならば、今度は誰かの依存先になれるよう貢献して真の自由と平和を手に入れたいと思っています。この文章が、孤独と不安で身動きが取れない人、孤立してしまって暗闇の中で一人でもがき苦しんでいる人の希望の光になったらとてもうれしいです。
最後まで読んでくれてありがとうございました。