「白い食べ物」と呼ばれるスウィーツたち
ヨーロッパで楽しまれている、
「白い食べ物」が色々あることはご存じでしょうか。
フランス風、英国風の「ブラン・マンジェ」。
イタリア風の「ビアンコ・マンジャーレ」などがあります。
今回は、これらの食べ物の「ルーツ」について、考えてみたいと思います。
フランス風「ブラン・マンジェ」の画像
「白い食べ物」の構成要素
この3つの食べ物は、
アーモンドミルクや牛乳にゼラチンやでんぷん質を入れて
冷やして固めたものになります。
この食用の「ゼラチン」というものがヨーロッパ世界に普及したのは、
比較的近代になってからのことなので、
(接着剤としては紀元前から使われていたようです。)
昔の「白い食べ物」は、おそらく「英国式ブラン・マンジェ」のように、
でんぷん質を牛乳に加え、
少し涼しい所において固めていたものだっただろうと推測できます。
イタリア風の「ビアンコ・マンジャーレ」も、
アーモンドミルクにでんぷん質を加えて冷やし固めて作るものです。
「白い食べ物」の歴史についての推測
宮廷風のフランス料理のレシピは、昔イタリアから伝来したものが多いので、
フランス風の「ブラン・マンジェ」も、もともとはイタリア由来のもので、
その食感が今一つフランス人の口に合わなかったのか、
もしくは冷蔵技術と工業の発達を宮廷外交で見せるために
ゼラチンを使うようになった、
と考えるのが妥当な線なのではないかと思います。
その原点になった「イタリア風ビアンコ・マンジャーレ」というのは、
元々シチリアというイタリア南部のお菓子で、
その地域は中近東世界との交易が盛んな土地柄でした。
そこで筆者は、トルコに「ビアンコ・マンジャーレ」の
原点に近いようなお菓子があるのではないかと考えて探しておりましたら、
「ケシュキュル」というトルコのお菓子を見つけました。
「白い食べ物」の源流?
これは、挽いたアーモンドの粉を牛乳に混ぜて、
でんぷん質で固めたお菓子になります。
このトルコ風のお菓子のご先祖様がイタリアに伝わって、
「ビアンコ・マンジャーレ」になったのではないでしょうか。
それから、ヨーロッパの人々の好みに合うように、
各地で変わっていったのではないかと筆者は推測しております。
もしかすると、この「白い食べ物」というものは、
もっとよく調べてみると、
起源はシルクロードの交易路の中央アジアのオアシス都市のどこかにまで
さかのぼるのかもしれません。
乳製品はどちらかというと遊牧民の食品で、
アーモンド等のナッツや固めるために使うでんぷん質の素材である「穀物」は、
農耕を行う定住民の生産するものだからです。
シルクロードの通っている「ユーラシア大陸の最深部」のどこかの、
隊商のキャラバンサライがある都市で、
遊牧民の食文化と農耕民の食文化が出会い、
キャラバンの宿の人気のデザートだったお菓子が、
その国の宮廷でさらに洗練されて中近東世界とヨーロッパに広がって今にいたる、
と考えると、とてもロマンティックな話だと思います。
ゼラチンの歴史
https://www.nitta-gelatin.co.jp/ja/labo/gelatin/01.html
ブランマンジェの歴史
https://www.cake100.net/sweets/31.html
ケシュキュルについて