昔はゼリーは高級食品
皆様は、
ゼリーやあんみつ、蜜豆や豆かんはお好みですか。
実はこれらは、昔は結構な高級品で、
西洋や東洋の貴族階級しか食せないものでした。
ゼリーの画像
ゼラチンの歴史
ゼリーの歴史自体は古く、
古代ローマの時代には煮凝り系の肉汁ゼリーが存在していたようですが、
工業的に食用ゼラチンが生産されるようになるまでは、
フルーツゼリーは果実のペクチンを利用して煮詰めて作るものだったので、
なかなかに手間がかかり、値段も高く、
貴族やお金持ちの食べ物だったようです。
18世紀から19世紀の初頭に活躍したアントナン・カレームというお人が、
ゼラチンを使ったゼリーの料理や菓子を
食卓に登場させ始めたと言われております。
ナポレオンがゼリー料理やゼリー菓子が大好きで、
それがきっかけで貴族階級の食卓にはゼリーが欠かせないものになった、
という側面もあります。
それから300年後くらいの未来が現在、という事になるのですが、
「ゼリー菓子の素」がどこのスーパーにもおいてあり、
あらゆる階級の人が気軽に使っている、と聞いても、
シャーロックホームズの生みの親であるドイル氏も、
ナポレオン氏も信じないだろうな、という気が致します。
なぜかアメリカやヨーロッパのスーパーに
「ゼリー菓子の素」がかなり多くおいてあるのを
幼い頃は不思議に思っていたのですが、
こういう「ゼリーへの憧れ」がヨーロッパ文化の潜在意識にあるのかもしれない、
と大人になってから考えるようになりました。
寒天の歴史
ゼラチンは動物の骨は皮から抽出して作るものですが、
寒天は、「テングサ」という海藻から作られております。
遣唐使によって、いわゆる「ところてん」の作り方が日本に伝わりましたが、
その都度テングサを採取し、煮込んで冷やして固める、
というものだった為、大変に手間がかかり、
貴族や高級武士、高級料亭の冬のご馳走だったそうです。
ところてんの画像
どういういきさつで寒天という物が出来たか、という由来の伝説には、
京都の旅館『美濃屋』の主人・美濃屋太郎左衛門(みのやたろうざえもん)は
ところてんを外に置き忘れてしまいました。
ところてんは夜中の寒さで凍り、日中の日差しで溶けて水分が抜け、
気が付くと干物のようになっていました。
それを見た太郎左衛門はその干物のようになったところてんを煮溶かし、
冷やし固めてみます。すると、いつものところてんより匂いがしない、
透き通ったところてんが出来上がりました。この干物が「寒天」です。
という事が書かれております。
禅宗の高僧「隠元禅師」が、「寒天」という名前をつけられたそうです。
今は、長野県が天然寒天の一大産地と言われております。
やはり、工業製品の寒天とは食感が違うそうです。
寒天が「ご禁制」だった時代
また、細菌を培養する培地にも寒天が使われるので、
戦時中の1時期、寒天が禁輸品、禁制品となっていたというのも怖い話です。
もう、そんな時代が来ないでほしいと切に願います。
豆かんの画像
ゼリーの歴史
https://www.glico.com/nutrition/tabemono/food/14/index.html
寒天の歴史