天ぷらの歴史

昔は高級料理だった「揚げ物」

皆様は、天ぷらはお好みでしょうか。

筆者はサツマイモの天ぷらが好物です。

天ぷらというか、日本料理における揚げ物料理というのは、

奈良時代から平安時代にかけて、

大陸から伝わった米粉を衣にして揚げる料理がありましたが、

当時は油が高価で貴重なものだったので、

身分の高い方々だけが食するものでした。

レシピが現存する最古のお菓子とされる、「清浄歓喜団」も、

米粉の生地にスパイスの効いた餡を包み、油で揚げて作った、

神様への献上菓子となります。

何でも作る時には斎戒潔斎してから作り始めるという大変なお菓子だそうです。

筆者は一度だけ食した事がありますが、スパイシーですがあっさりしたお味でした。

清浄歓喜団の画像

西洋からの伝来

現在の天ぷらと呼ばれる揚げ物料理は、戦国時代から安土桃山時代にかけて、

スペインやポルトガルの宣教師が持ち込んだレシピがもとになっていると言われております。

この地域では、季節の変わり目に小麦粉の衣をつけた揚げ料理を食する習慣があり、

それをポルトガル語で「テンポーラ」と言ったのが訛って

天ぷらになったという説が有力ですが、

知人のガリシア地方(スペイン)出身の神父様は、

スペイン語の「テンポラス」が訛ったのだと強く主張しておられました。

どちらが正しい説なのかは神のみぞ知る、といったところでしょうか。

どちらも「季節の変わり目」という意味ですが。

天ぷらの画像

ファストフードになった天ぷら

そして、油の価格が下がった江戸時代には、天ぷらは庶民の食べ物になり、

天ぷら屋台で食べられるファストフードになったのだそうです。

そして、江戸時代末期から明治時代にかけて、高級料理化、

ブランド化の流れが進み、今では高級日本料理の代名詞のようになっております。

「江戸前天ぷら」が全国に広まった経緯

ですが、この時代には、天ぷらというのはあくまでも

「江戸前」の料理という範疇に収まっておりました。

それが現在は、日高見の地なる東北や日向の地である九州でも

食して楽しめるようになった理由というのは、悲劇的な自然災害、

先の関東大震災の影響なのです。

関東大震災の折に、もちろん大概の家屋が地震の揺れで倒れ、

飲食店も被災し、閉店を余儀なくされたお店がたくさんありました。

そういったお店で勤務していた人たちが、職を失い、食べられなくなって、

故郷であった地方に帰ったり、避難して流れていった土地で、

持ち前の技術を使って天ぷらの店を始めたのが、

江戸前だけの料理だった「天ぷら」が全国各地に広がったきっかけとなったのでした。

こういう事象を、「禍福はあざなえる縄のごとし」とでも言うのでしょうか。

他にも、この震災をきっかけに日本各地に広がったものがいろいろあったようです。

今では、「アイスクリームの天ぷら」等も作られております。

お茶の若葉の天ぷら等も、風流でおいしいものです。

皆様もぜひ、西洋と日本の文化交流の結果出来た味をお楽しみください。

天ぷらの歴史

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E3%81%B7%E3%82%89

https://www.showa-sangyo.co.jp/enjoy/encyclopedia/01/

清浄歓喜団

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モーニング

朝が弱く、空気が読めないキャラクターです。食べ物についてのコラムを中心に書かせて頂きたいと思います。 好きな事は、読書と料理、菓子作りです。

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