・はじめに
前編の続きなので前編を読んでない人はこちらからどうぞ⇒【前編】
支援センターAでの障害者差別が酷すぎて忘れていたTに対する違和感はB事業所に来てからどんどん大きくなり、味方だと思っていたスタッフにも嫌われ私は限界を迎え希死念慮に襲われます。今回はB事業所編について語ります…かなり長くなりますがお付き合いください。
※この記事は私の実体験に基づき、私の観点からその状況や感じたことを1つの解釈としてまとめた記事となります。
・最初の主な登場人物
私(沙鞠)⇒支援センターAで受けた障害者差別により、結果的に逃げるようにB事業所に移ることになった。ハンドメイドが好きだったことと通所のしやすさでB事業所に通うが賑やかすぎる事業所の雰囲気にズレを感じる。
T⇒支援センターAで出会った統合失調症を持つ友人で積極的にコミュニケーションを取るタイプの女性。言ってはいけないことを言いがちでこの特性がB事業所で多くの人に迷惑をかけることになる。
・B事業所でのTとの関係性の変化
そんなこんなで無事支援センターAを卒業しB事業所を本格的に利用することになりました。利用して半年ほどたち、友人Tもこちらの事業所にくることになりました。以前からTには就労支援B型の見学で得た情報やB事業所の良さも伝えており、ちゃんと自分の目で見て体験して決めるように忠告してましたが、案の定私がいるから行くという感じでB事業所以外のところには見学には行かなかったそうです。私以外の人間から見ても「沙鞠ちゃんが行くなら私も!」状態に見えていたそうなので間違いないです。しかし私は違和感を持ちつつもB事業所で気が合う人がいなかったため彼女が来ることを素直に喜んでしまいました。
実は私は支援センターA時代では壁を作る意味でTの事は「さん」付けで呼んでいたのですが、B事業所にきてからはスタッフさんの利用者をあだ名で呼ぶノリに合わせてしまい一緒に「ちゃん」付けで呼ぶようになってしまいました。今にして思えばこれが距離感の崩壊の始まりだと思います。
B事業所ではレジンをやっておりTと仲良く話しながら作業をしていたのですが、さすがに週4日も一緒に話し続けていると趣味が合うとはいえ会話のネタが無くなり、違和感を持っていた一面がボロボロと出てきました。Tは会話のネタがないという自覚はなく、私が散々興味ないと言っている系統の作品をオススメしたり、ネガティブな方向に受け止めて言ったり、事業所で話せないこと(他の利用者の問題点など)を話したりする事が多々あり、それは支援センターA時代から嫌だと感じていた一面でした。でも私も迷惑をかけているだろうからお互い様だと我慢できていましたが、B事業所の話しながら楽しく作業出来る環境も相まって、Tの症状の躁状態になり大げさなリアクションを大声で話す所も出てきてしまい、周りの目もありそういった所が距離感の近さにより私は我慢出来なくなってしまいました。
そこでスタッフさんの協力で何とか物理的に距離を取らせてもらい少し落ち着いたのですが、Tが集中力が低下すると人と話したがるところがあり、距離を置いてもこっちに来てしまい、私が「作業した方が良いよ」とか「作業しなよ」といっても離れてはくれませんでした。またまたスタッフさんの手を借り、Tを遠ざけてほしいときにスマホでスタッフにヘルプを送る方法をとっていたのですが、スタッフさんが忙しくなると隙を見てやってくることが頻繁にありもうお手上げ状態でした。
私は社会復帰がしたいので、このままお遊び気分でTとおしゃべりしながら作業することに不安を感じるようになっていました。ある日LINEで「作業に集中したいからこういうことはやめてほしい」ということを説明しましたが、なんだか分かってるようで分かってなさそうな軽い返事に段々とイライラしてしまい怒りが爆発、今まで感じていた不快だった事を言うのが止まらなくなってしまい、後日Tに避けられるようになりました。
私は気まずい日々が続くのに我慢できなくなりスタッフさんに相談し、協力のもと仲直りしました。その後Tが私のところに来る頻度は減ったものの、私以外と話すようになっただけなのであまり変わってはいないような気がしますが、何はともあれ謎の疲労がありつつも平穏な日々をおくっていました。
・次の話の登場人物
気強スタッフ⇒B事業所の責任者スタッフさんの次に偉い女性スタッフ。ノリがよく物事をはっきり言う気が強いタイプで、優しくてもなんとなく圧を感じる。
同い年スタッフ⇒ノリが良く利用者に対して友達のように接する。
ハンドメイドの先生スタッフ⇒布系のハンドメイドの先生をしているスタッフ。ハンドメイドに理解がある。
新人スタッフ⇒来て3か月ほどのスタッフさん。優しくてしっかりしている。
革の先生⇒私が通所して1年ほど経過した後レザークラフトをB事業所で取り扱うようになったため、スタッフとやりたいメンバーが学ぶために呼んだ先生。忙しいので来るのが不定期。
・大事件発生!?
ある時忙しくて中々来れなかった革の先生が来ることになり楽しく教わりました。すると急遽次の週にも来れることになり、私は内心嬉しさ半分不安もありました。なぜならその前日にTと某漫画の原画展に行くことになっており、絶対に疲れることは明らかだったからです。私は障害特性で体の重怠さが常にあり、それが運動をしたり楽しいことをすると少し楽になったりすることがあるので、私は休むという最善の選択ではなく娯楽を楽んでストレス発散ということを選んでしまいました。今にして思えば脳疲労で正常な判断が下せなかったのだと思います。
※ちなみに原画展は予約制だったためキャンセルするという選択肢は私とTにはありませんでした。
TとTの妹さんと一緒に原画展を楽しんだものの、Tの不安障害?のせいで会場に2時間前に着いては時間つぶしに近場をウロウロして、1時間前なのにまた会場に行くという無駄な移動をしたため尋常じゃない疲れを残して翌日を迎えました。
※当時の私は予定を考えたりする気力がありませんでした。そんな状態なのに都会に遊びに行く約束をするべきではなかったと反省しております。ちなみにTの妹さんはまったくしゃべらないのであてになりませんでした。
案の定全身に疲労が残る重い体を動かし何とかB事業所に向かいました。何で休まなかったの?と思う人もいるでしょうが、私は2年ほど通所してみてレジンとレザークラフトに関してスタッフさんはあてにならないことが多々あり、YouTubeで学んでいました。だから絶対革の先生の手元を自分の目で見たかったし、自分で質問したりしたかったんです。
B事業所に到着して怠い体を引きずって椅子に座りボーっとしていると、革の先生がやってきて私が座っているテーブルに座りました。なぜかスタッフさんがおらず、革の先生と二人きりになり気まずくて落ち着かないでいると先生が話しかけてきました。私は簡単な返事しか出来ず、申し訳ないと思いながらも疲労で話す気力がなくまた気まずい空気が流れました。
※私は訳あって男性が苦手で、疲労状態であることを差し引いても、男性と二人きりというのはかなりのストレスがかかったと思います。男性が苦手なこともスタッフさんに話したはずなのですが配慮はありませんでした。
新人スタッフさんに体調を聞かれ眠気と疲労があることを伝えたころに他のスタッフさん達が来て始まりました。予定していた財布ではなくカードケース作りになったことに困惑しつつもその日はカードケース作りをやりました。
その週の日曜日の夜TからLINEがきて「話したいことがあるの。大事になってる!」というので電話で話を聞くことにしました。話を聞くと、どうやら私の態度が悪くて革の先生がブチギレており、最近の私の態度が悪くて困っていると気強スタッフさんから聞いたというのです。私は革の先生に対しては少し態度が悪く見えたかもしれないとは思っていましたが、最近のというのがまったく心当たりがなく困惑していると「沙鞠ちゃんどうしちゃったのぉ?」と心配そうに何度も聞いてくるT。私は戸惑いつつもここ最近のことを説明し、Tも理解したのでひとまず電話を終えました。私はシャワーを浴びながらここ最近のスタッフさんとのやりとりを振り返りました。思い浮かぶのは「あの優しい態度はどこから嘘だったの…?」とか「なんでもっと早く声をかけてくれなかったの?」「私はとんでもないことをしてしまったの!?」と色んな疑問が飛び交いパニックになりお風呂でひたすら泣きました。
翌日何とか通所していつものように作業を始めましたがまったく集中出来ず、体が石になったように重くなり作業が出来なくなってしまったので、休憩所で横になることになりました。しばらくすると心配した同い年スタッフさんが声をかけてくれました。私は思い切って昨日Tから聞いたことを相談することにしました。
同い年スタッフさんに話を聞くと、「革の先生がブチギレているという話は聞いてないし、沙鞠ちゃんの態度が悪いというよりは疲れているように見えた」とのこと。私は一旦安堵しましたが、自分は疲労状態だと人に不機嫌で態度が悪いと勘違いされることがあることを話すと「じゃあ休めばよかったじゃん」と一言。普段ノリが良く明るい同い年スタッフさんにしては冷たい言い方をされたことに少しショックを受けつつも、とりあえずこの件は私が休めばよかった次から気を付けようという事で一件落着かに思えました。
午後に同い年スタッフさんの勧めでTと外出中の気強スタッフさんと電話を交えて話すか聞かれたので私は「はい」と答えてしまいました。今にして思えば止めるべきでした…。気強スタッフさんが電話で話をはじめ、まずはTに私に話したことを説教しました。電話越しでも分かる怒っている様子に内心焦っていると私の話になりました。気強スタッフさんに「財布が作れなくてむつけてるのかと思った」と言われ私はさらにショックを受けパニックになり「新人スタッフさんにもっと具合が悪そうに言えばよかったですか?」と遠回しに新人スタッフさんが悪いかのように言ってしまいました。これがカンに触ったのか、そこからは私が不満に思っていた工賃や他の利用者のことに対するスタッフ側の返答を気強スタッフが畳みかけるかのように話してきました。その時言われた「Tちゃんは売れ筋商品作ってるけど沙鞠ちゃんはないじゃん」「レジンはお金がかかるからやめようという話も出てる」という言葉は創作者としてB事業所でやってきた私の今までの頑張りを全否定されたようなものなので私の心をバキバキにブチ折るには十分な言葉でした。要は私の商品はクオリティは高くて売れるけど売れ筋ではないから工賃は上げられないとのこと、私はショックで呆然と肯定するしか出来ませんでした。結局同い年スタッフさんと話した時と同じ結論で、なぜかノリの良い感じで私が休まなかったのがすべて悪いような流れになり終わりました。
※Tもこの時なぜか私だけが悪いようになっている状態に困惑したそうです。
私はその後モヤモヤした気持ちを抱えつつも、B事業所でやりたい事もあるしスタッフさん達と今まで通りの関係に戻りたかったこともあり、体の強い重怠さの症状と闘いながらも通所していました。ある日怠さの症状が強すぎてお昼に帰ることになり、新人スタッフさんに帰りの送迎でモヤモヤした気持ちの話をしました。新人スタッフさんは「このこと気強スタッフさんに伝えた方が良い?」と聞かれたので悩みつつも「はい」と答えてしまいました。
次の通所日午前中にハンドメイドの先生スタッフさんに相談しながら作業をし、午後の作業をしていると気強スタッフさんがすっ飛んできてこう言いました「話したいことがある!」私は「私も話したいと思っていました…」といいながら相談室に行くものだと思い立ち上がろうとすると捲し立てるようにその場で話し始めました。ショックすぎて細かくは覚えていないのですが「直接私に言って!」「もう沙鞠ちゃんをどう支援したらいいか分からない!」「それはワガママだよね」「こっちのやり方が気に入らないなら他のとこいきな」と言われたことだけは覚えています。私は周りに聞こえないかという不安と、優しかったはずのスタッフさんの言葉にショックを受け動揺し、ただ呆然と聞いているしかありませんでした。私の言葉など何一つ聞く気はなく自分が言いたいだけ言って去っていく姿を呆然と見送った後、呆然と虚空を見つめて今までの事を整理し考えるしかありませんでした。正直パニックになって周りのもの全部ブン投げて暴れ、カッターで自分の腕を切ろうと思いましたが、ショックと体の怠さが上回ったこともあり何とか耐えることが出来ました。
※正直ここまでの言い方をするような事態になる前に、私に詳しく聞くべきだったと思います。私が自分から言える人間だからって、最近様子がおかしいと思っているのに放置してヘイト溜めて感情的に利用者に言うのは不適切だと思います。
その後ハンドメイドの先生スタッフさんが心配して私の話を聞くと言って相談室で「何でこんなことになっちゃったんだろう」と困惑しながら言いました。私がぽつりぽつりと今の心境を語るとハンドメイドの先生スタッフさんが涙を流して励まし、「もう創作にぶつけましょう!」といわれ何とか前向きな気持ちになったのですが、私が出る予定だった販売会への参加は禁止となり創作のモチベーションがガタ落ちすることとなりました。
その後は中立の立場の菩薩な相談員さんに相談をしまくり、協力を得てB事業所のスタッフの誤解を解くことが出来、革の先生も「あの子いつもと様子が違ったけど大丈夫?」くらいのことだと聞きました。
※菩薩な相談員さんにこの話をしたら、「レジンを頑張っている人にこういうことを言うべきではないです」と言ってくれて救いになりました。
※正直スタッフ側が私を守るために革の先生が怒っていることを伏せて言っている可能性もあるとは思います。
・次の話の登場人物
マダム⇒支援センターAで出会った年の離れた友人で、ずっと私の事を気にかけ理解してくれるのでスタッフより私を支援出来ている御方。
・事件のその後
休んで何とか友人と話せるレベルまで回復した私はTとマダムと女子会を開き今回の事を語り死にたいほど辛かったことを言いました。するとTが「沙鞠ちゃん買ってもらったレジンどうしてやらないの?気強スタッフさん言ってたよ」と衝撃的なことを言い始めます。まずこいつはあれだけ怒られたのに同じことを繰り返すのか!?っと仰天しつつも、やってるけど次から次へとやることがいっぱいあるから追いつかないことを説明。Tは納得したようだったが、メンタルが落ち気味の私は責められているように感じてしまいました。その後冷静になってTのこの言葉の意味を考えた結果、自分が私の事を知って不安な気持ちを落ち着けたいだけなんだな…Tは私の事を本当の意味で思いやる頭はないんだと悟りました。
この女子会本音を言うとTの問題点にも触れるのでマダムとだけ話したかったのですが、Tを巻き込んだ?巻き込まれた?責任もあるのでTも誘いました。結果論ですがこの時直接集まらずLINEのチャットで話していれば、Tの大げさな不安までもらうことはなくメンタルの負担はまだ軽く済んだと思います。
・おわり
冷静になり客観的な視点を持てる今だから言えますが、私が悪いとしても精神障害者に対してメンタルをボコボコに打ちのめすような言い方をするのは当事者が自殺する可能性もあるので不適切だと思います。私が自殺しなくて良かったですね。
そして気強スタッフさんがTに私の事について話した点については一切お咎めなしなのが未だに納得がいかないです。なぜかというと気強スタッフさんはTを2年ほど支援してきてTが私の事を大好きなこと、Tの特性を知っていたはずなのに私の事について話していた。私の事が大好きなTは、私がスタッフさんに悪く見られていることに対して焦り心配したから、私に伝えてしまったのです。自分の不安というおまけまでつけて私がどうなってしまうかも分からずにね…。支援者ならば精神障害者の問題点の予測は出来たはずです。私は気強スタッフさんから他の利用者の問題点などを結構聞かされていて、今にして思えば私たち精神障害者を理解してくれるからとどこか普通の人のように見て、都合の良い話し相手のように接していた部分があったのだろうなと思います。私は気を使ってオブラートに包んだ言い方で伝えたり、相手のために言わない気遣いが出来ますがTにはそれが出来ません。Tの事を私に話したように、Tに私の事を話したんでしょうね。利用者に他の利用者に関する相談をするってスタッフとしてどうなんでしょうか?私はダメだと思います。
正直ショックすぎて忘れていることもありますが、あまりにも長くなってしまうのでここでいったん切りたいと思います。私はこれらの出来事の後、もともと痛かった生理痛は激痛となって襲い掛かり、のちに卵巣腫瘍だと診断されることになりました。次回はこの病気とTとの「共依存」に気づく話と、これらの出来事を経て私が思う就労支援の在り方や障害者差別に対する考えをまとめたいと思います。