「共依存」と「障害者差別」【後編】

・はじめに

前回の続きになります。読んでいない方は下からどうぞ。

【前編】 【中編】

※この記事は私の実体験に基づき、私の観点からその状況や感じたことを1つの解釈としてまとめた記事となります。

・大事件の後、病気の発見

前回話したB事業所での大事件後、心身の状態が悪くなった私は週4日通所から週3日に変えて通所していました。重だるい症状のせいで体を動かすのがやっとで、家事や自分の趣味をやる気力も体力もありませんでした。何とかしなきゃと思い、久しぶりに内科に行き薬をもらい少し楽になりましたが根本的な解決にはなりませんでした。

次にメンタルに原因があると考えた私は行きつけのメンタルクリニックへ行きました。実は私はB事業所に通いだして慣れてから、なにかあったらスタッフさんに話せばよいしお金もキツイからとメンタルクリニックに通うのをやめてしまっていました。

※これが今回の事件を招いた一つの要因だと思うので、今は本当に後悔しています。自己診断で通院止めるのは絶対NG!

カウンセラーさんに今回の事件のことを話すと、スタッフさんの言動に驚いていたので専門家から見て良くない対応をされていたんだなと確信したし、話して心が少し軽くなりました。今度はメンタルの回復のために1年ぶりに友達と遊び、心身が良くなり始めていると感じていましたが、その月は生理不順だったので心配になりようやく婦人科に行くことしました。

エコー検査をすると卵巣が腫れている大きな病院を紹介するからといわれ、大きな病院に行くことになりました。エコー検査をしてくれた看護師さんが「なんで気づかなかったの?」と一言。私は責められているように感じ、「そんなの自分が一番後悔して思っていることだよ!」と心の中で叫びました。次の通院でCTとMRIをとり結果を聞くと、卵巣が10㎝以上も腫れており手術するしかないとの事。色々あり精神科のある大きな病院に移ることにし、そこで薬による治療を現在も続けています。

※TやB事業所の問題点で頭がいっぱいで婦人科に行くことは後回しにしてしまいました。

・病気発見後のB事業所で

私の病気が分かってから、気強スタッフの態度が気味の悪いほど優しくなりました。当時は不安が勝っていたので普通にありがたかったのですが、今振り返ると目に見える体の病気じゃないと丁寧に気にかけて貰えないんだなと絶望しました。

ある日作業中にTが「大事な話があるんだけど」というので私は心の中で「うわぁ…聞きたくねぇ」と思っていると、数人のスタッフさんが素早くお茶出しの手伝いを装って私たちの会話が届く範囲にやってきました。Tが「マダムが沙鞠ちゃんに嫌われたかもって言ってる。話してあげて。」と言い出しました。私は内心「お前が決めるな」と思いつつも、やっぱり大切な友人だし気になったので家につくとすぐにマダムにLINEで確認しました。聞いてみると「沙鞠ちゃんにちょっとやらかしちゃったかも」ぐらいでちょっと話せばスッキリする程度のわだかまりだったそうです。マダムと話し合ってTの大げさに物事をとらえて言う所に振り回されすぎだから、なるべく言わないようにしようという結論になりました。

私は今回の事と前回の大事件のこともありTとは完全に距離を置きたくなっていましたが、スタッフさんに「Tが嫌だからという理由で在宅ワークは出来ないよ」とクギを刺されたので、薬の副作用で体調が不安定なので安定のために在宅ワークを始めることにしました。

在宅ワークを始めると体調が少しよくなり体力を家事に使うことが出来て過ごしやすくなりました。しかし体力が落ちるとまずいと思ったので週1でB事業所に通所するというルーティンで通っていたのですが、通所するたびに気強スタッフに「Tにレジンをこういう感じで作ってと言ったらこうなった」「どうすればよいの?」「調べたけど分からなかった」と毎回のように聞かれ、Tの失敗作を見せられるたびに私は内心うんざりしつつも聞かれると反射的に答えてしまうため断れませんでした。教えるたびに「YouTubeで調べるとありますよ」とか言っていたのに、スタッフが調べてないのか調べ方が下手なのか分かりませんが、私が退所する最後の日までB事業所のスタッフからの「分からない教えて」攻撃が止むことはありませんでした。

今だから確信を持って言えるのですが、私は通所していた間やたら先生と持ち上げられスタッフの負担を減らせる都合の良い存在としてメンバーにレジンを教える役割をやっていたと思います。はじめの頃は褒められると気持ちよかったですし、人に教えるいい経験になると前向きでしたが、次第に労力と工賃に見合わないと思うようになり辛かったです。スタッフにも教えていたので自信のない私が「B事業所のレジンは私が育てた」と胸を張って言えるレベルには教えていたと思います。そんなわけでせっかく在宅ワークにしてTと距離をおいても、気強スタッフのせいで在宅ワーク中もTの事を考えてしまう状態でした。どうすればTもレジンやりやすいかなとか、どうすればスタッフさんも納得する作品が出来るかなとか考えすぎて疲れました。姉に教えるのを止めればよいと言われましたが、レジンの事でもっと良くすることが出来ることをスルーして売り上げに響いたらどうしようという気持ちと、人からお金を貰うのだから妥協せず良いものを作りたい気持ちが強くて、教えるのを止めることはどうしても出来ませんでした。

※私は趣味でハンドメイドを売る程度のレベルで良かったのですが、なぜかハンドメイド作家になることを押し付けられていたような感じでした。B事業所でのレジン関係のことが辛いせいでレジンコラムの続きが書けません。楽しみにしている方、ごめんなさい。もう少し元気になったら書きます。

・共依存に気づく

私はTが何か問題になるたびにメンタル系や障害系のYouTubeを見て勉強しており、大事件の後ようやく共依存の動画に巡り合いTと共依存状態だと確信しました。

まず私がTに依存していると思ったのが、Tが恐ろしく褒め上手で私が求めている言葉をくれる人だったからです。支援センターA時代に自己肯定感が低かった私には本当にありがたかったし、私もTの助けになれればと思うようになりお互いの悩みを話すようになりました。支援センターA時代ではそれがいいように作用していました。

そしてT側はとにかく私を神格化し、私に尽くすことで自己肯定感?存在意義を満たしているようでした。Tは私以外にもおせっかいを焼いていて、それはまるで自分がやるべきことから目をそらしているようにも感じました。B事業所でTの症状が出るようになり、私が望む以上の距離感に踏み込んで来るようになってしまったことで私たちのズレは大きくなったと思います。

大事件が起きてからTに話しかけられるたびに何を言い出すか分からない恐怖に強いストレスを感じるようになってしまったし、気強スタッフさんにTのことで「こんなことはいくらでもあるよ」「距離が近すぎて悪いとこばかり目についちゃってる」とか「本当は前みたいにまた仲良くなってほしい」「自分でどうにか出来るようになると良いね」と言われたことも決め手になりました。私は自分で出来る範囲で対応はしてきたつもりだし、Tにこれだけのことをされたあげく、注意されても同じようなことをくり返すTと同じように仲良くするのは無理でした。仲良くなることを押し付けられて辛かったです。これは私を守るために離れるしか道はないと確信し、ステップアップに取り組むことにしました。

※今にして思えばスタッフさんもTをどう支援したらよいかお手上げ状態だから友人である私に何とかしてもらおうみたいな気持ちもあったと思います。

※この頃手帳などの更新のために診断書を貰ったのですが病名が変わっていました。「持続性気分障害」という病気で、うつ病や双極性障害と診断されるほどではない抑うつ状態や躁状態などが続くので、本人の性格などと勘違いされるそうです。そりゃ私こんな事態になりますわ。

・ステップアップ!そして別れ…。

ステップアップに向けて様々な施設の見学に行く中、上で語ったストレスもあり心身は就労Aを目指せるほど回復はしていませんでした。そこで就労Bをさがすこととしマナビーさんに出会いました。B事業所と比較して作業時間、工賃、作業内容がすべて良かったのでここしかないと確信しマナビーさんを選び、色々相談員さんと作戦会議をして気持ちよくB事業所を卒業、マナビーさんで頑張ることになりました。

落ち着いたころに、私の恩人からTにバラされたくないことをバラされたという話を聞きました。私の恩人が特定されると嫌なので内容は省きますが、ようは話してはいけないことを話してはいけない人間に伝えてしまったせいで恩人が悪いような状況になってしまったということです。私はまたしても同じようなことをやらかしたTに呆れ、私の恩人も傷つけたこいつは本当に救いようのない人間だと確信。年明け前に断捨離に燃えたこともあり、人間関係も捨てる決心がつきLINEをブロックしトークルームも削除しました。今はこの選択にまったく後悔はないです。仏の顔も3度までよ!

・その後好転!

マナビーさんに通所してまず自分の変化に驚きました。通所し帰宅した時の疲労度が軽くなったのです!ここ数年感じていた妙な疲労感と怠さはなんだったんだ!?と驚き感激!今までと違い家に帰ってから気力も体力もあるので、ルンルン気分で家事をやった後に趣味をやれるようになりました!

私が考える疲れの原因は「視覚と聴覚から得る情報量の多さ」にあると思います。振り返ってみると、B事業所は広くごちゃごちゃと物があちこちにあり必要な物を探すのが億劫だったし、みんなお話ししながら作業するので毎日ガヤガヤと騒がしくメンバー同士が揉めた日には嫌でもすぐに分かるのが精神的にすごく疲れました。その点マナビーさんでは一人一人仕切られていて視覚情報がシャットアウトし、メンバーさんも集中する静かな方が多いので私も集中して作業が出来てやりがいを感じています。

年明け前マナビーさんの初工賃でご褒美を買おうと探していたら、ずっと定価より高かった推しのフィギュアがタイムセールで定価より安くなっていたので購入!更にその後父がボーナスをもらい、ボーナスを家族に分けてくれたおかげで私は7年前から欲しかったswitchをついに購入することが出来ました!もう良いことしか起こっていません!ありがとう父!ステップアップと断捨離を頑張った効果をひしひしと感じております!

・差別と共依存を経て考えた就労支援のあり方

私はこれらの出来事を体験する中で就労支援に関する動画も沢山見て学びました。

その動画で衝撃だったのは就労Bは「居場所型」「工賃型」の2種類に分けられること。これは一般的な呼び方ではないようでその動画主が言っていたのですが、私はこれらの経験を経てB事業所はコミュニケーション重視の「居場所型」だったからやりがいやお金を求めている私と合わなくなっていったんだととても納得しました。

その動画主さんの動画で「こんな職員には気をつけて」というものがあったのですが、私が今まで通っていた支援センターAとB事業所の一部のスタッフにほとんど当てはまっていました。特に「フレンドリーな職員」というのが一番ダメだと断言できます。私はどうも人に合わせてしまうタイプなので、B事業所のそういったところに違和感を持ちつつも合わせてしまい、こっちもお友達感覚のノリが出るようになり「もっと楽しい話をしたい」「悩みを聞いてほしい」などとスタッフさんに友達の役割を求めるようになってしまい、今回の事態を引き起こす要因の一つになったと思います。

人にもよると思いますが、「利用者にお友達感覚で接する」せいで自分が退化?幼児化?しているような感覚がありました。遊びに来てるわけじゃなく社会復帰がしたいのに…大人ってどんなだっけ?とか、なぜもっと早く動けなかった?とだらしのない自分を情けないと思わずにはいられません。

私はこの「居場所型」を就労支援C型にするべきだと考えます。なぜなら支援センターAの責任者スタッフZのせいで、動画で見たりマナビーさんに来て見るまで就労B型が責任者によってここまで違うということを知ることがなかったからです。

私は就労Bに行けば重い障害者の人はいないと思っていましたが、B事業所で1日中幻覚としゃべっている子が居たときは絶望しました。スタッフの送迎で来るのでその子が休んでくれる日はほとんどないから、こちらが通所日をずらすことも出来ないので何とか作業に集中してごまかしたり、イヤホンで音楽を聴きながら作業していましたがその子の奇声が大きいので爆音で音楽を聴いて耳が痛くなる日々をおくっていました。

スタッフに相談するとその子の生い立ちや障害の話をされ、かわいそうだとは思ったけれどどうしても精神障害になると神経質になり音に敏感になってしまうので辛かったです。健常者でも我慢するのがつらいのに…「慣れ」による我慢も出来ますが精神障害者が出来る我慢の限界なんてすぐですよ。正直通所するたびにうるさいので何度いなくなれと願ったか分かりません。2年ほど一緒でしたがその子が作業をしている姿を一度も見たことはありませんでした。その子がかわいそうだからと良心に訴えかけてこっちに我慢を強いる言い方はどうなのと疑問に思います。かわいそうな人なら人に大きな負担をかけてもいいんですか?正直就労B型の受け入れる障害の幅が広すぎるせいで、その中の出来る人の負担は大きいと感じました。

支援センターAでも一番出来ない子の分を他のみんなでやる状態に嫌味を言う精神障害者の人もいましたが私はこの人の気持ちが分かる。就労C型を作るのが無理だとしたら、3か月か6か月とか期限を決めて変化のない子はその子にあったレベルの施設に行くようにしてほしいです。そうしないとちゃんと頑張っている障害者の人たちが馬鹿を見ます。「区別」をしないから「差別」が起こるんです。

・おわり

支援センターAでもB事業所でも自分の障害でいっぱいいっぱいだったのに、更に弱い立場の人を出して言われたらこっちは何も言えなくなります。正直どちらの施設でも途中からボランティアとしていいように使われているような気持ちに何度もなりました。凹凸が激しい障害者を平等にするのは不可能だと思います。

せめてあともう少し工賃が高ければそれでストレス発散出来たと思いますが、支援センターAは時給およそ60円で2か月に一回しかもらえません、B事業所は時給120円で、欲しいマンガ数冊買うか地元の安いカラオケフリータイム1回分と中古のゲーム1、3本で消し飛びます。オタク趣味がある私には新作ソフトやゲーム機を買えないというのはとてつもない苦痛でした。switchを買うにしてもB事業所だと最低でも3か月は何も買わず貯金しなければならず、その間にメンタルを病むの繰り返しでした。

この間物価高対策の給付金を貰いましたが2年前とか支援センター時代に欲しかったです…。もちろん貰えて嬉しいし助かりますけどね!

こんなに苦しかったのに私が自殺せず、犯罪者にもならなかったのはアニメ、マンガ、ゲームという多くの素晴らしい娯楽のおかげです。支援センターAで重めの障害の子たちと話す事があって、その時決まって話題はポケモンプリキュアなどでした。話を聞き取りにくいじれったさはありましたが、私がポケモンやプリキュア好きだと分かると塗り絵や雑誌などを見せてくれて楽しかったです。ポケモンやプリキュアをかわいいと思う心に健常者も障害者もない!と感じました。そんなことがあった日は作業を頑張れたし、頑張った日に家に帰ってからやるゲームの時間は最高でした!

私はこれらがなければ犯罪者になっていたかもしれません…支援の仕方によっては利用者を犯罪者に変えてしまうということを福祉関係者の人には忘れないでほしいです。

思いがあふれて長編になりましたがここまで読んでくださりありがとうございました!

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沙鞠

ゲーム、漫画、アニメ、カラオケ好きなのでそれらに関するコラムや、ハンドメイド関係、精神病や事業所で体験したことを伝えられれば良いと思います。

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