幕末を駆け抜けた偉人、坂本龍馬にはお龍という妻がいたことはよく知られていますよね。しかし彼にはもう一人、許嫁がいたことをご存じですか?
彼女の名は千葉佐那。
北辰一刀流の免許皆伝を持つ女剣士でした。「千葉の鬼小町」とも呼ばれた彼女は、剣術以外に馬術や琴も得意で、容姿も美しかったといわれています。
今回は、そんな彼女の波乱に満ちた生涯を見てみましょう。
幼少期と剣術の修行
千葉佐那(ちば さな、1838年3月31日 – 1896年10月15日)は、幕末から明治にかけて活躍した女性剣士であり、北辰一刀流の名門・桶町千葉道場の主である千葉定吉の次女として生まれました。
佐那は幼少期から剣術に親しみ、特に小太刀の技術に優れていました。14歳の時には北辰一刀流の小太刀免許皆伝を取得し、その後長刀の師範としても活躍しました。彼女の剣術の腕前は誰もが認めるものだったらしく、宇和島藩の姫君の武芸指南役を務めたというエピソードも伝わっています。
坂本龍馬との出会いと別れ
千葉佐那の人生において大きな転機となったのは、坂本龍馬との出会いです。龍馬は1853年、千葉道場に入門し佐那と親しくなりました。相思相愛になった二人は婚約したとされていますが、幕末の動乱の中で龍馬は全国を奔走し、最終的には京都で楢崎龍(お龍)と結婚しました。
佐那と龍馬は結ばれることはありませんでしたが、それでも彼からもらった衣服を大切に持ち続けるなど、龍馬への愛情は消えることはありませんでした。佐那は龍馬の死後もその思いを胸に秘めて生涯を過ごしたのですね。
明治維新後の生活
明治維新後、佐那は兄の千葉重太郎と共に京都に移り住みました。そこで学習院女子部(現在の学習院女子高等科)で寄宿舎の生活指導を行う職に就きました。その後は東京の千住に移り住み、灸治院を開業して灸師としての生活を送りました。
晩年と死
千葉佐那は一生独身で過ごしたとされていますが、元鳥取藩士の山口菊次郎という男性と結婚したという記録もあります。しかし、最終的には独り身で1896年に59歳で亡くなりました。
彼女の墓は甲府市の清運寺にあり、その墓石には「坂本龍馬室」と刻まれていますが、もちろん公式に認められているものではありません。しかし、彼女が生涯坂本龍馬を愛した証といえるでしょう。
おわりに
いかがでしたか?千葉佐那の生涯は、剣術の達人としての輝かしい経歴と、坂本龍馬への深い愛情に彩られています。彼女の物語は、幕末の激動の時代を生き抜いた一人の女性の強さと美しさを象徴しているといってもいいのではないでしょうか。
もし彼女が現代に生きていたら、どんなことに打ち込み、どんな恋愛をしたのでしょうか?想像するだけでわくわくしてしまいますね。
それでは今回はこの辺で。最後まで読んでいただきありがとうございました。