近いうちに教科書の記述が変わる?
皆様の中の、30代以上の方が勉強した日本史の教科書では、「縄文時代は狩猟・採集が行われていた文化であった」というような事が書かれていたと思います。
しかし、近頃の考古学の進展がDNA調査という側面も持ってくるようになると、いろいろな作物が作られていた可能性がある、という説や論文が出てくるようになりました。
おそらく、筆者が生きているうちに、教科書に縄文農耕の話が掲載されるのは確実で、時間の問題なのではないかと考えております。
縄文時代の主要な作物と推測されているもの
縄文時代には、赤米、黒米、ヒエ、アワ、蕎麦、小豆、里芋などが栽培されていたと考えられています。
赤米の画像
このころは、水田はあまりなく、畑のような所で米も育てていた為、収量は少なかった模様と書かれていました。
そのほか、アブラナ、野菜としてのエゴマ等も栽培され、エゴマ油は工芸用として使われていたようです。
エゴマ油がないと漆芸が出来ないのです。アブラナの油を採取するようになったのは江戸時代以後の事になります。
栗、栃、ドングリ等も山の中で採取できるものだけではなく、意図的に栽培しているものもあったようです。
これらもでんぷんの源になり、クッキーのようにして食べていたと推測されています。
今、「ぽろたん」と言って、簡単に剥ける栗の品種が出来たらしいのですが、縄文時代のお人に見せたらなんというか聞いてみたいものです。
狩猟や漁労でたんぱく源は確保していたようです。
こうしてみると、縄文時代の方々の食卓は、ずいぶんにぎやかだったようです。
水田が普及しなかった理由
しかし、もっと効率のいい作物と農耕の方法である「水田稲作」が弥生時代まで浸透しなかったのは、「稲作」によって余剰穀物が出来るとトラブルの元になったり、広い土地が欲しいと言って戦乱になったりするので、意図的に入れなかった可能性もある、という文献を読んだ事もあります。
現在につながる食文化
どちらにしろ、縄文の文化の担い手の方々も、弥生時代の方々も、江戸時代の方々も、確実に私どもの血脈につながるご先祖様にあたり、その方々の努力のお陰で今の食文化があります。
本日の食事も、感謝して頂く事にいたしたいと思います。
縄文時代からの作物と推定されている植物について