座禅の考え方を知る
私が禅についてと実際に座禅を体験してきて、心身ともにとてもよかった経験を皆さんと共有できたら幸いです。
【禅との出会い】
私たちの日常からはお寺や座禅というものはとても遠いような感じがしますよね。私もそうでした。
大学で講師をしているお坊さんを呼んで話を聞く講話の時間があり、座禅を身近に体験できたので、その体験を話したいと思います。
その時は話が主で座禅はやり方だけをサラッと聞いただけでした。座禅というもののイメージがぼんやりとしてそんなに記憶に残りませんでした。
【禅の概念】
座禅よりもお坊さんの座禅の概念のお話が興味深く、身を乗り出して聞いていました。なかでも今でも残っている言葉があります。
それは【置いておく】という言葉です。言葉だけ聞くと何を?と思うでしょう。
これは座禅をするとき心に浮かんでくる雑念を浮かんだままにしておくということです。どういうこと? と思う人もいるかもしれません。
皆さんは座禅と聞いたとき【心を無にする】ことだと思っていませんか?私はそうだと思っていました。しかしそれば間違いなのだそうです。
座禅をすると自然に雑念がわいてきます。 例えば「人の服の擦れる音が気になる」とかです。でもそれは思っても良いことなのです。
何がダメなことかというと「すごく気になって集中できない!」「静かにしてよ!」とその事柄に対してイライラしたり感情的になって執着してしまうことです。
反対に気になる音に執着してイライラを持続させている自分に気づくことが出来れば、とてもよい座禅が出来ています。座禅は自分の気づきがとても大切なように感じます。
その説明を聞いてびっくりしてしまったのは「うるさいな」と思っても良いということでした。お坊さんには他人に対して攻撃的な感情を持つことを否定されると思ったのです。
「人間だからそう思ってしまうのも仕方がありません。ただ、それに執着して相手に攻撃的にならなければ良いのです。」と教えていただきました。
【禅を日常生活に応用】
この考え方を日常生活に取り入れてみました。それからは公共交通機関で「隣の席の人がうるさかった時」や、「足を広げて幅をとっている人」や、「大きな声で話している人」もあまりイライラしなくなりました。自分なりに禅の話を解釈して、こんな考え方をするようになったからです。
うるさく感じている自分自覚して、ああ、今日は疲れてるからうるさく感じるのかもしれないと思い、思考を放置するのです。
Q.思考を放置とはどういうことなの?
A.それは「とりあえず置いておく」ということです。色々な気持ちになった自分がいるな。だからといって怒るのでもなく悲しむのでもなく、なにもしないということをする、ということです。
なにもしないなんて簡単じゃん!と思うかもしれませんが案外人間は考えに固執してしまっています。まず、自分がどう思ったのかを知り、自分の状態を感じて、後は置いておくことです。
まとめ
座禅を実践するだけではなく、考え方を学ぶことによって考え方の幅が広がり、すこし楽に生きられるヒントになります。この記事が誰かの一助になれれば幸いです。