スポーツに対して、ささやかな憎しみがある。
大人になった今ではかなりマイルドになったし、スポーツ観戦で盛り上がるくらいの余裕が出てきた。
でも、子どもの頃の私は、スポーツが明らかに嫌いであった。
スポーツが嫌いなのは、私が運動音痴だったからとか、そういう理由ではない。
自慢ではないが、多少なりともスポーツはできる方だった。
それなのに、何故私はスポーツに対して複雑な感情を抱いていたのだろうか。
今回は、その理由を3つ取り上げて説明したいと思う。
まず1つ目の理由は、スポーツをやると何かしらの数値が出ることだ。タイムやスコアなど、様々な記録が打ち出される。そうすると、たいていの人は比較をしたり、競ったりしだすのである。
数値が出てしまうと「自分はすごいのだ」と調子に乗る者が現れたり、逆に「自分はダメな奴だ」と卑屈になる者も現れたりする。
皆、良い数値を、良いスコアを求めて頑張る。頑張ることは悪いことではない。でも、私は人と争うことがあまり好きではなかった。
体育祭に至っては、「一体何が面白いんだろう」と思いながら参加していたと思う。うるさいし、疲れるし、汚れるし…皆が必死になって勝ち負けにこだわるピリピリとした空気感が苦手であった。
2つ目の理由は、仲間がいなかったことだ。私は中学時代、ほとんど友達がいなかった。根暗だったし、部活もオタク部として名高い部活に所属していたから、クラスではほとんどいない者として扱われていた。たまに話題になっても陰口の的であった。
だから、仮にスポーツで良い成績を出しても、誰も何も反応してくれない。バスケやサッカーをしても、他のチームメイトに無視をされる。点を入れても、誰もほめてくれない。ミスをしてもフォローをしてくれない。何をしても、誰もなんの反応も示さない。
正直言って、こんな状態なら「スポーツを楽しめ」と言ったって無理な話である。チームプレーだか何だか知らないが、スポーツを通して育まれる絆とか、熱い友情なんてものは夢か幻だ。
私にとって、スポーツは能力と人望があって、初めて楽しめるものだと解釈している。私にはそれがなかった。だから、スポーツの時間を楽しむなんてゆとりは私には存在しなかったのだ。
3つ目の理由は、身内のスポーツ付き合いに協力しなければならなかったことだ。私の身内には野球をしている者がいて、その者のために私はよくわからない場所に連れていかれた。子どもの頃の私は、野球にまったく興味がなかった。それなのに、休日、車に乗せられて色々なところに連れまわされたと思う。真に大変だったのは、たぶん私の親だろう。車出しや、チームメートのためのお茶の準備や応援をしなければならなかったのだから。私は特に何もしなくても良かった。でも、知らない場所に連れて行かれ、長時間放置されるのは本当に退屈だ。無駄な時間だとも思う。
特に嫌だったのは、移動のためとはいえ、自分の家の車に野球チームの男子たちが乗ってくることだった。よく知らない年上の男子たちがいることに落ち着かずに決まりの悪い思いをした。1度、私が後部座席に自分の漫画本を置き忘れ、乗ってきた男子がはやし立ててきたこともある。ひとんちの車に乗っておいて、何が面白いのか人の漫画でふざける人。名前も知らない年上の男子だったが、私はそいつが大嫌いになったのは言うまでもない。
このような理由から、私はスポーツが好きではなかった。子どもだったから、余裕もなかったんだと思う。
今は大人になって、心にようやくゆとりが出てきた。今でも別にスポーツは好きではない。興味もあまりない。でも、昔ほどの強い嫌悪感は持たずにいられる。そう思うと成長したな、とか大人になったな、とか少し感動する。
よくわからないけれど、いまだにあるささやかな憎しみももう少し年を重ねればなくなっていくのかもしれない。
無視されたことやからかわれたことも、いつかは許せるようになるのかもしれない。
終わり
