「ちびまる子ちゃん」ブームが私の中で再燃している。
小学生の頃、私は「ちびまる子ちゃん」に夢中で、漫画やアニメを見漁った。さくらももこのブラックユーモアにハマり、よくゲラゲラと笑っていたものである。エッセイも色々読んで、面白おかしく過ごした時期もあった。
そして最近、また「ちびまる子ちゃん」にハマっている私がいる。アニメもまた見始めたし、漫画も再読し始めた。エッセイも内容を思い出すために、改めて読み返している。
「ちびまる子ちゃん」を大人になってから読み返すと、子どもの頃には持ちようもなかった視点が得られたように思う。特に、まる子のお母さんが「優しい人」に見えるようになったことには、自分でも驚いている。
子どもの頃の私は、愚かながらも想像力豊かで明るいまる子に共感していた。まる子は確かにずるかったり、小憎らしかったりするが、正義感が強くて優しいところもある。まる子が友達に憧れて同じものを欲しがったり、忘れ物をして慌てたりしている姿を面白く思いながらも、「わかるなあ。そういうことあるよね」と頷いてもいた。
フグの毒やキノコの毒に怯え、コケの盆栽に憧れて庭石を拾い、ノストラダムスの予言を真に受けてテスト勉強を放棄しようと試みる。まる子のこうした数々の行動は、平凡でありつつも、滑稽である。でもどこか共感できるから不思議でもあった。
そして、まる子のお母さんに対しては「なぜそんなに怒るのだろうか」と疑問に思っていた。「怒鳴ることもあるまい。神経質すぎるなあ。怖い怖い…」とそんなふうに感じていたのである。
でも、大人になって「ちびまる子ちゃん」を読み返すようになると、まる子よりもお母さんに共感するようになっている自分がいた。まる子がしょうもないわがままや憎まれ口を言うたびに、「そんなこと言っちゃだめだよ」と私は思い、「バカッ」と怒鳴るお母さんの気持ちもわかるなあと感じるようになった。
まる子のお母さんが怒る理由は筋が通っているし、基本的にはお母さんは心配症で優しいと思う。
例えば、夏の暑い日にお母さんがかき氷を出してやれば「グレープが良かったのになんでいちごにしたの?」とまる子はカンカンになって文句を言いまくる。もし私なら「出してやっただけでありがたく思いなさい」とブチ切れる。たぶん最終的には「そんなこと言うのなら食べなくていい!私が食べる」と言って目の前でかき氷を平らげてやるかもしれない。でも、まる子のお母さんは呆れて少し言い返しただけ。
他にも、まる子が姉のお古を嫌がり妄想してボロい服を着せられたフローラという娘になりきり、空想の中にいる森の動物たちと戯れるという現実逃避をしたときは「あの子、友達がいないのかしら」と心配し気を遣っていた。
まる子のお母さんは優しいのである。怒るときはしっかり怒るし、娘の異変には敏感に反応して優しく接している。
昔の私からすれば、理不尽で過剰に怒鳴り散らすヒステリーおばさんだとばかり思っていたのだから、この見方の変化はすさまじい。これも私が成長して大人になったからかもしれない。
でも、だからといってまる子に対する共感や面白さが薄れるわけではない。むしろ、まる子のお母さんの気持ちがわかるようになったからこそ、もっと「ちびまる子ちゃん」が楽しめるようになったように思う。
これからもまる子とその仲間たちの世界を楽しみたい。
ところで、1990年代の「ちびまる子ちゃん」のアニメを観たいのだが、サブスクに入るか、思い切ってDVDを購入するか迷っている。
あと1カ月くらい迷ったら決めるつもり。こうなったらとことん「ちびまる子ちゃん」の世界に浸りたいので前向きに検討したいと思っている。
終わり
