「寝ないとお化けがやって来る」…そんなことを言われて脅された子ども時代を送った方は少なくないかもしれない。
寝ないとき以外でも、何か悪いことをすれば、何かしらの化け物や妖怪のたぐいの存在をちらつかせられて恐怖のどん底に叩きつけられたことがある方もいるかもしれない。
令和の時代の子育てがどうなっているのか、私には見当もつかない。
でも、平成時代に子どもだった私は祖父母の家にある天狗のお面が恐怖の対象だった。
祖父母の家の近所に住んでいたものだから、よく祖父母の家に遊びに行くことも、泊りに行くこともあった。
その祖父母の家にやたらと怖い顔をした天狗のお面が高い位置に飾られていたのだ。
飾られているところは玄関の近くで、薄暗い上に薄ら寒いところであった。
そんな場所に赤ら顔の鼻高天狗を飾るなよ…と言いたい。
不気味で、何やら威圧的だった天狗の面。今にも口を開いて怒声をあげそうな表情をしている。私以外のいとこたちも、この天狗を怖がっていたように思う。
親たちはそんな子どもたちの恐怖心を利用した。つまり、その天狗のお面を、子どもを叱るときに頻繁に活用したのである。
何やら子どもが悪さをすると、「天狗さんのところへ連れて行く」と卑怯にも脅すのだ。その一言で、子どもたちの顔から血の気が引いてく。
今考えれば、その天狗が何か喋るわけでもなければ、噛みついてくるわけでもない。
それでも、今にも怒鳴りそうな恐ろしい顔をしている天狗に睨みつけられるだけで、私たち子どもは震えあがったものである。
私はその天狗の面が恐ろしくて恐ろしくてたまらなかった。別に悪いことをしていなくても、天狗の面の近くで遊んだり、はしゃいだりするのは憚られた。
高い位置に飾られた天狗からの鋭い視線を、通るたびに感じた気がする。
昼間でも怖いのだから、夜間に天狗の下へ連れて行かれたときの恐怖感といったらない。
本当に怖いのだ。ただでさえ寒くて薄暗い玄関先が、夜の不思議な雰囲気をまとって3割増しで不気味になる。そして電気に照らされて目をギョロつかせて見下ろしてくる天狗…。
幼い頃の私は完全に天狗に恐れをなしていた。天狗が何も言わなくても「バカ者!」と怒鳴られている気持ちになったし、天狗がまったく動かなくても今にも飛びかかられる恐怖を味わった。
とどのつまり、悔しいことに天狗の面による脅しは、非常に子どもたちにとって効果的なものだったと言える。
そんな天狗のお面であるが、もうどこにあるのかわからない。
祖父母の家自体が色々あってもう無いからだ。
仮にどこかで、またあの天狗のお面を見る機会があったとしたら、私は多分怖がる。
もちろん、もう大人だから恐怖に慄くことはないとは思う。
でも、あのお面の迫力は相当なものだったから、手に取ってみる機会があるとするなら「うわっ…」と言って背筋が冷たくなるかもしれない。
終わり
