夢には寝ながら見る夢と、起きている間に「こうなりたい、こうしたい」という夢の2種類がある。今回話すのは、後者の方である。
私にはたくさんの夢がある。やりたいことも、見たいものも、なりたいものもある。私は結構、昔から夢見がちな性分ではあった。
簡単に叶いそうな夢から、先が長く叶わなそうな夢まである。
簡単に叶いそうな夢の例を挙げると、「わさびのきいたお蕎麦が食べたい」という夢もある。これは暇な時間を見つけ、十分なお金を携え、蕎麦屋に行けば叶う。蕎麦アレルギーもないので、あまり障壁は無い気がする。
逆に叶わなそうな夢の例を挙げると、「イタリアに旅行をして、旅先で出会った人とラブロマンスを繰り広げる」という夢がある。これは障壁や課題が多すぎるため、本気で叶えたいのなら並大抵の努力ではどうにもならない。また、並大抵の努力が報われない可能性もあるため、かなり難儀なものだ。
この夢の場合、多額のお金の準備だけでなく、現地でスムーズなコミュニケーションをとるための言語習得も必要になってくる。
また、ラブロマンスを期待したいのなら見た目も美しくするためにダイエットや美容に心血を注ぐ必要がある。
「人は見た目じゃないよ」と言う人がいるが、残念ながら、見た目が悪けりゃ中身がいくら良くてもどうにもならないことがあると思う。豪華なお屋敷があっても、入り口の門がボロボロであったなら、中に入るのをためらうであろう。それと同じだ。
まあ、中身が良くないのなら、よしんば見た目で寄って来る人がいてもすぐに離れていく。
つまり、正確には「人は見た目と中身だよ」というのがこの世界において、ラブロマンスの発生率を上げるための真理であろう。このことも念頭に入れて、この夢を叶えるためには内面と外面、両方の自分磨きをする必要がある。
このように、私は叶いそうな夢も叶わなさそうな夢もたくさん見る。
だから日頃からぼんやりしていて、空想や妄想にふけっている。ソファやベッドに横たわりながら、ぼーっと天井や窓の外を見つめて過ごす日も多い。
親にはいつもぐうたらしていると思われている。色々考えているのになあ…とは思うが、端から見たら寝っ転がっているだけなので、そう思われても仕方ないかもしれない。
こんな様子なら、宮沢賢治さんの「雨ニモ負ケズ」の詩に出てくる人よりも、私の方が「でくのぼう」の呼び名にふさわしい。
そういう人間、そういう人生なのだ。
終わり
