子どもにとって、結婚の仕組みには謎が多いと思う。「大好きな人と一緒に暮らす」という漠然としたイメージはあるだろう。他にはせいぜい「結婚式できれいな装いをして、みんなから祝われる」というくらいのもののはずだ。
今の時代は選択的夫婦別姓について話題が上がっている。結婚しても名乗る苗字を旧姓かそうでないかで選択できるという話だったと思う。
しかし、私の子ども時代はそういう話題が社会的に出ていない時代だった。「夫婦が同じ苗字を名乗るのは当たり前だ」という認識が定着していたように感じる。
小学校1年生頃の私は、「夫婦は同じ苗字だ」ということを理解している一方で、「結婚したら夫婦のどちらかは苗字が変わる」という事実を全く知らなかった。
それでは、どうして夫婦は同じ苗字なのか。その疑問に対しては自分なりに推測ではあるが答えを出していた。
「この世界では同じ苗字の人同士で結婚する決まりがあるのだ」と思っていたのである。
別に誰に言われたわけでもない。しかし、そうでないとどうして苗字が夫婦は同じなのか、説明がつかなかった。
そしてこうも思っていた。
「同じ苗字同士の許嫁がいて、その二人は将来結婚するのだ」と。
だから、勝手にクラスメイトの「渡辺」という苗字の男女を許嫁であると邪推し、「将来この二人は…」などど思い、勝手にむず痒く思ったものだ。
自分にも同じ苗字の許嫁がいるのかもしれないと思うとソワソワした。まるで運命の人がいるみたいでロマンティックな話ではないか。
しかし、同じ苗字の人としか結婚できないなんて窮屈だとも思った。もしも違う苗字の人を好きになってしまったら禁断の恋になってしまう。そう考えると切ない。しかし、その切なさもまたロマンチックであった。
こんな風にロマンチストであった私は、小学校低学年時代、「同じ苗字の人同士結婚説」と「同じ苗字の子許嫁説」を密かに信仰していたのである。
成長するにつれ、その信仰は廃れる。結婚したら苗字が変わるという事実をどこかで知ったからだ。
しかし、ついこの間兄が結婚したのだが、なんと相手も同じ苗字だった。
「同じ苗字の人同士結婚説」が身近な人間によって立証されるとは、幼い私も知り得なかったことかもしれない。
終わり
