私の不安は的中しなかった。
大体いつもそうだが、私はものごとをネガティブに考えがちらしい。
今回も、予想していたよりずっとまともなところで安心した。
秋保温泉のなかにある、「木の家ロッジ村」。
中に入って空気を吸い込むと、やさしい木の香りが体の中にしみこんでいくようだ。すぐ近くに川が流れ、せせらぎの音が心地よい。ほかに客の姿は見えず、ほぼ貸し切り状態だ。
大滝などを楽しんで、歩き疲れた体もいやされる。
秋保には何度も温泉宿に泊まりに来たことがあるが、そこは初めての場所だった。
私はずっと昔にかかったパニック障害のあとをいまだに引きずっていた。そのせいで初めての場所はだいたい苦手にしている。
公共交通機関や自動車に乗るのも苦手。
なにか起きたら逃げ出せないと考えると、恐ろしくなってしまう。
しかし、ある福祉施設の日中自立訓練を2年間受けるうち、そうした不安は少しずつ和らいでいった。私を信じてサポートしてくれたスタッフやメンバーには感謝してもしきれない。
それはさておき。
2021年12月のこの日、その施設のスタッフやメンバーたちと計画して、ここへ泊りに来たっていう寸法だ。料金はいくらか忘れてしまったが、格安で泊まれて、クーポンももらえる。
「これは行くしかないよね!」
そりゃそうだ。
コロナもこの時はおさまってくれていた。
参加したのは12名ほどだったと思う。
みんな気心の知れた人たちだから、とても安心だ。
木の家は17棟ほどのロッジが立ち並んでいる。
宿泊客は食料などをめいめい持参して、自炊するスタイルだ。
私たちも肉、野菜などの食材を買い込んできた。
それらをロッジの冷蔵庫に分担してつめこんでいく。
みんな手際が良い。
部屋割りもとどこおりなく進んで、それが終わると岩風呂へ入りに行く人、ロッジ村を散策するひとなど、自由行動になった。
私は、夕食まで部屋でゴロゴロしたり、岩風呂にも入った。
岩風呂は、温泉宿とは違うと思っていたが、シャンプーやボディソープもちゃんと用意されていて、きれいな浴場だった。
一人だったので、気兼ねなくのんびりとお湯を楽しむことができたのがうれしい。
そうこうするうちにいい時間になったので、夕食の準備が始まった。
メインは焼肉だ。
女子チームが野菜を洗ったり切ったりし、私たちは肉やそのほかの食材、酒の準備をしたりした。
そして鉄板で肉を焼き始めると、もうもうとした煙とともになんともいえないおいしそうな匂いがたちこめた。
「もう肉焼けたから食べていいよ」
乾杯も済ませ、それではいただきますと焼けた肉をタレにつけてほおばる。
口の中で、ジューシーな肉汁がじゅわっと溶け出す。
うまい。
しばらく、無心で肉を食べる存在になった。
焼き肉の後は焼きそばも作ってもらった。
けっこう食べていたはずだが、まだ胃袋には余裕があった。
焼きそばもまた美味。
こういう時、料理のできる人はすごいと改めて思う。
それはモテますわな。
食事と片付けも終わり、いよいよお楽しみタイムが始まる。
まずはカラオケ
スタッフさんがプロジェクターとswitchを用意してくれていた。
ゲーム機でどこでもカラオケができるとはいい時代になったものだ。
私も、いちおう18番を歌わせてもらった。
サクラ大戦の「檄!帝国歌劇団」
この曲は途中にセリフパートがあるので、場を盛り上げるのによく歌わせてもらっている。田中公平先生ありがとうございます。
その次にサイコロトーク
サイコロをふってでた目に書かれているお題をする定番のあれだ。
恋愛トーク、理事長の良いところをほめるなどのお題の後、あるスタッフがロボットダンスという目をだした。
衝撃的なダンスだった。
自分の筆力で、それを書き表せないのが残念でならない。
その日一番の山場だった。
やっている本人はどんな気持ちだったのだろう。
私は、たぶん30年くらいはそのシーンを忘れないと思う。
麻雀にジェンガ。
お楽しみはまだまだ続いたが、最後にワードウルフ(人狼ゲーム)をした。
スマホのアプリを使って、参加者にそれぞれお題が配られる。その中の一人だけ違うお題の人を当てるゲームだ。
午前1時ごろ、ラストゲームで自分が人狼だと気づくことができ、ほかの人を出し抜くことができた。
めちゃめちゃ爽快だった。
機会があればまたやってみたい。
いい気分のまま、ふとんに潜り込み、気づくと朝6時すぎだった。
自分にしてはかなり短い睡眠時間だが、眠気や疲れは感じなかった。
質のいい眠りだったのだろう。
朝食のチャーハンを食べていると、どこからともなく珍客がやってきた。
小さな黒猫だった。
匂いをかぎつけてやってきたのだろうか。
ずいぶん人に慣れた猫で、しまいには女の子の膝に乗っかっていた。
別にうらやましいとか、これっぽっちも思ってないからね。
そうして午前9時過ぎ、後かたづけをして、私たちは一晩の宿を出た。
年が明けて1月
私は2年間の日中自立訓練を修了した。
サプライズでもらった寄せ書きのまんなかに、みんなで木の家の前で撮った写真が貼られていた。
ああ、これは自分の卒業旅行だったな。
自分はこの旅行を、きっと忘れないな。
そう思ったとき、胸の奥にじんわりした何かが広がった。
今でも、あのやさしい木の香りは心にとどまってくれている。
おわり