11月3日の文化の日、気持ち良く目を覚まして朝食を食べた後に携帯アラームが鳴った。北朝鮮のミサイルが日本列島を通過し太平洋沖に落ちたという。
テレビをつけてみると各局がそのニュース一色だった。どうやら私が生活している宮城県の上を通過したらしい。本当に迷惑な話だ。しかしニュースの「建物の中に避難してください。地下に隠れてください。」という報道に少しあきれてしまった。ミサイルに耐えるほどの建物があるとは思えないし、地下なんてどこにあるんだ?
そしてすぐにテレビを消してしまった。しょせん東京からの他人事のようなニュースに付き合っていられないと思ったからだ。見てはいないが首相は「強い遺憾を表明する」くらいで具体的な対策はとれないだろう。わざわざ時間を浪費してストレスをためる必要はない。それよりも自分で自分の身を守ることを考えた。大人になったものだ。
過去の自分なら怒り狂っていただろう。社会学者の宮台真司氏が言う「日本はアメリカの忠実な犬で常にケツなめ外交しかできない」、そして「平和ボケ」であることを猛烈に批判して憲法を改正して真の自立をしなければナメられるだけだと一人でまくし立てていたはずだ。
そういえば前日に家族で秋保温泉に紅葉と温泉を楽しむ約束をしていた。しかし気が乗らずたかが紅葉と温泉と思っていた。
昔からの私の悪いところだが、自分で特別ではないと思わないことには興味を示さない。自分では穏やかで謙虚な人間だと思っているがその反面、変なところで高慢なのだ。変なところで意識が高すぎる。正直くだらないと無意識で思っていた。私には読みたい本が山ほどある。そして今の自分にできることを真剣に考えて実行しているが将来どうなるかわからない状態の中で正直あくせくしていた。
しかし約束は約束なので思いきって出かけてみた。それに体が外出を欲していたらしい。
秋保へ車で向かう途中、紅葉が目に入ってきた。まるで重大なニュースのことなど何もなかったかのようにその景色は美しく鮮やかだった。人間世界から解放してくれる真実の世界が自然にはある。だから古来から自然は畏怖され崇拝されてきたのだろう。私は自然の真実の世界へと入っていった。そして楽しい予感を感じさせてくれた。
秋保温泉に着いて妹夫婦と待ち合わせた。私はこの妹夫婦と会うのがいつも楽しみだ。それは可愛い甥っ子がいることがとても大きい。無邪気で本能のままに私に接してくれる。いつも笑いながら私の顔にその顔をすり寄せてくるのだ。
それは自己嫌悪に陥っていた私にとってはとても貴重なのだ。甥っ子の態度は「作為」や「意図」がないから純粋に楽しくうれしい。こんな自分を「好きだよ」「楽しいよ」「うれしいよ」「幸せだよ」と触れて励ましてくれている気持ちになる。そして自信を与えてくれるのである。
もちろんそれは私がたまに少しだけ会うからであって、妹夫婦はこの常に予想外の行動ばかりをする甥っ子の子育てを毎日24時間するので私が想像できないくらい大変だ。きれいごとではない。
甥っ子は温泉というよりもプールが目的なので私は温泉に入るために一人で別行動をした。男湯に入ると祝日だというのにほぼ貸し切りのような状態であった。私は頭と体を洗い、露天風呂の立ち湯にまず浸かった。130cmほどの深さの心地良いお湯に立ち浸かって壁を背に足組みをした。社会の日常がまるで無かったかのように秋保の自然の空気を感じながら、冬の訪れを感じさせる晩秋の雰囲気を満喫しながら体は温まって気分が落ち着き、いったいなぜ悩んでいたのかわからなくなった。
他の露天風呂を軽くはしごして、サウナへ向かった。サウナで暑さに耐え、思い切り汗を流すのは特別な爽快感をもたらす。まるで楽しくスポーツをしたような、特別な仕事を成し遂げた達成感のようなものが味わえる。それがいい。温泉といったらサウナというのが私の認識だ。だから、どんなに素晴らしい景色でいくら体に良い湯質の温泉でもサウナが無ければ行きたいと思えない。
サウナで思いっきり汗をかいた後、改めて頭と体を洗い、浴場から出た。着替えをして向かったのがマッサージ機だ。サウナと同じほどではないがやはりマッサージ機があるところがいい。特に体が凝っているわけではないはずだが、3種類のタイプを続けて試したくなった。あおむけになり、振動で体を揺らされながらただひたすら為すがままにまかせた。おかげさまですっかりリラックスできて体が軽くなった。
夢見心地でソファーに腰をかけて紅葉を見ながらただひたすら悦に浸ってしまった。すっかり待ち合わせ時間が過ぎているのに気づかず携帯が鳴って現実に戻った。
「しまった!」と思い、待ち合わせ場所にあわてて向かった。申し訳ない気持ちで待ち合わせ場所に着くとみんな大満足の様子で軽快なジョークを掛け合って笑いながら温泉を後にした。
「家族っていいな」「自然っていいな」と心から思えた。
自然は人の心身を調整して真の姿にしてくれる。そのことに改めて気づかされた。
この時期我が家の広い庭にはたくさんの落ち葉が積もる。今まではゴミを掃除するように仕方なく面倒くさくホウキで掃いていた。
今は違う。「落ち葉さん、今年もおつかれさま」そして「ありがとうございました、また来年会うのを楽しみにしています」。
そんな思いが自然とわきあがって幸せな気持ちになった。