いつものように朝を迎えた。私はいつも窓を開けて寝ているので朝になると陽射しが顔に当たり、それに気づいて起きる。
起きる直前というのは非常につらい。寒くなればなるほどその傾向は強まりベッドから出たくなくなる。しかし面白いことにどんなにつらくても起きて陽射しを浴びれば何もなかったような気持ちになる。寝ていた時間がもったいなくなるほどに元気になる。これはセロトニンの分泌の影響だというのを本で最近知った。
さて今日は休日である。何をしようか。普段は室内での生活が中心なので、できれば外に出かけたい。しかしどこに行こうかと考えがそこで止まってしまった。買い物に出かけるのは日常の延長でつまらない。普段の生活では味わえないことをしたい。そこでパッと思いついたのが閖上の朝市だった。
思いつきは決して悪いことではない。それは心が本音で欲していることだし、大事なのはそれをすぐに行動に移すことだ。行動に移さなければ何にもならない。
私は日頃「いま」を充実させようと無駄なく計画的に生活設計を立てている。毎日最低10個は学びや気づきが得られないと気が済まない。焦っているのだろうか?強い好奇心が私を空回りさせているのだろうか?緊張感と責任感を私は無意識に求めている。メリハリのある生活をしたい。簡単にいうと毎日一瞬一瞬の充実感を私は欲しているのだ。
計画通りの型にはまった生活というのは充実感もあるが、疲れて生きた心地がしなくなるのも事実である。だから私は休日はできるだけ自由に過ごしたい。誰にも縛られたくない。
さっそく朝市にやってきた。案の定たくさんの人で賑わっていた。車を駐車場に置くと県内や東北はもちろん、関西や関東のナンバープレートが目に入った。
閖上の朝市はとても楽しい。海を背景に閖上の海産物だけでなくラーメン屋や小籠包店などさまざまなものが売っており、まさに大きな屋台のようだ。
屋台の良さは人情味にある。昔の日本には当たり前にあったものだ。義理と人情は日本人の美徳だった。その名残りを私には感じられた。
私の気のせいかも知れないが、見物していると閖上の地元の人の会話とそれ以外の人達の会話には違う感覚を覚えた。閖上の人達の何気ない会話には深い思いやりとやさしさを感じられたのである。それは深い悲しみや痛みを体験しないと出てこないものだ。
閖上は東日本大震災で津波による壊滅的な被害を受けた。ここまで復興するまでいろんな問題があったのも聞いている。自分も復興の道のりを歩んでいるが自分の大変だと思っていた悩みなどは大したことがないように思えた。
人は誰でも立ち直れないくらいの悲しみを抱えている。それでも何とか一歩を踏み出して他人からはまるで平然と生きているように見える。そんな人は支え合うことの大切さを誰よりも痛切に身に染みて感じている。
どんなことも、何があろうと、「時間が解決してくれる」。
そんな感傷的な気持ちになった私はありがたく海鮮丼をおいしく食べた。
しかし閖上の人の商魂はたくましい。そして元気で前向きに生きている。浜の人間はたくましく強いのだ。
名残惜しく朝市を後にしたその私の後ろ姿に「バカ野郎、お前がしっかりしろ!」と言われたような気がして背中を強く押された気持ちになった。とても良い休日になった。