最近ネットフリックスにハマっていて「アンという名の少女」を観た。あの有名な赤毛のアンを原作にしたドラマシリーズだ。
なぜ観ようと思ったかというと、私が尊敬している脳科学者で有名な茂木健一郎さんが赤毛のアンを愛読していると知ったからだ。
ちなみにこのエッセイも茂木さんの『「赤毛のアン」が教えてくれた大切なこと』(心のともだち・PHP研究所)を参考に自分の考えや思いと重なったことをベースに書いている。気になった方はぜひ購入して読んで見て欲しい。
赤毛のアンは100年前の作品だし、児童や女子が読むものという先入観があった私は視野を広げるため興味本位のつもりだったがドハマりしてあっという間に観終わってしまった。
感想は青春のもやもや、つまり思春期特有のぎこちない悩みや喜びや悲しみすべてが体験できて勇気が湧いてくる作品という印象だった。また様々な価値観、つまり多様性の必要性を痛感させられた。
一番驚くのが主人公アンのその想像力の豊かさとたくましさだ。アンは早くに両親が亡くなってしまい孤児院に預けられたため、頼れる人や自由もない。その孤独と閉塞感を前向きで豊かな想像力で補い楽しんでいる。
アンにとって想像力は強い味方だった。逆に言えばそんな環境だからこそアンの想像力は鍛えられたのだろう。
想像の世界に浸ることで、人はつらい現実や退屈な日常を一瞬忘れたり、気持ちをリセットしたりすることができる。
与えられた環境が厳しくても、人生が自分の望むようにはうまく運ばなくても、想像力で補えば人生は楽しいものになるというのが、この作品の大きなメッセージなんだと思った。
もう一つ彼女の想像力の源となっているものが読書。読書を通じて、頭の中で旅をすることができた。本に描かれている他の人の体験を通して、疑似体験をしておくことができる。
人は自分と違う考えや価値観を持った人たちと出会ったときに一番成長する。だけど日常生活では、そんなに毎日違ったタイプの人と出会うことはできない。
それが本の中ではできる。大昔の人とだって、本の中でなら出会い、彼らが何を考えて生きていたかを知ることができる。だから本を読むことは、最大の出会いだと言うこともできる。これは私が大切にしていることだ。私は古今東西の様々な本をたくさん読むことが大好きだ。
本の中でなら時代を超えていろんな人にたくさん会うことができる。本当に出会って対話している気持ちになる。
本は単に知識を積み重ねる手段として読むものではなく、他人の意見や経験を発見したり、冒険したりして自分の体験として補うことができるのがその本質であり、その結果気づいたり視野が広がって豊かな考え方や心を育んでくれる。
私たちは夢だけでは生きていけない。だけど、現実だけでも生きていくことは難しい。人生はこの想像と現実の両方をバランスよく体験していくことが一番だ。
バランスというのは社会で生きていくために絶対に必要なものだ。アンは想像力がたくましくて、それが魅力でもあるわけだけど、周囲の人にとってはちょっとあきれてしまい迷惑な面もある。
この物語では、アンの想像力は素晴らしいとしながらも、全面的にそれを正しいとしているわけではないのが素晴らしい。
アンの想像力の豊かさは時に現実からしっぺ返しも食らうし、大げさなものの言い方は、特に最初は大人たちから理解されにくい。時には想像力が過ぎると社会や大人から理解されないということもちゃんと書いている。
理想と現実をきちんと取り込んでいるという点で、とてもバランスのいい物語だと思った。②へ続く。