こんにちは、まとです。
今回は生と死の物語から得た考え方についていつものゆるさで書いて行きます。
先日、宝塚の2014年版エリザベートを見ました。
初の宝塚、もうすごかったです。
美麗な人たちは勿論、演技や歌が凄くて見入ってしまいました。
もっと宝塚見たいなーと思ったのですが、残念!
ユーネクストでは一作品ごとに有料で、お金持ちの趣味だなと思いました。
で、話が逸れましたがエリザベートの何が凄いって話なんです。
ネタバレになるので詳しくは言いませんが、エリザベートの生涯と彼女を愛し続けた死の化身の話なんですね。
エリザベートは死に愛され人生で何回も死に誘惑されます。
しかし、死を愛したら人間は死にます。人は死を愛することなどできるのか?
というのがテーマの一つです。
勿論、エリザベートは死の誘惑を何回も跳ねのけます…しかし、死が仕組んだ運命に次第に翻弄されていきました。
しかし、彼女は死んでもいいが愛する事はできないと劇中でいうのです。
死も時間が経つうちにただ死を望んで逃げるために死を受け入れるのはいやだ。
愛してもらいたいと思うのでエリザベート自身が死を望んでも生かすことさえあったのです。
私は一体この物語はどうなるのかと見続けました。
そして私は死が優しい隣人になる過程を見たのです。
死は避けられぬもの、でもたどり着くゴールでもあります。
ちゃんとゴールできたのなら人は死を愛し、死も人を愛するのでしょう。
え?正しいゴールの仕方はなにかって?
それは是非、エリザベートを見てください。
はい、ネタバレになるんで。
私もいつか死が優しい隣人になる日はくるのでしょうか。
その日が訪れるように精一杯、生きたいと思うのでした。
それでは今回の姪っ子ちゃん

タキシードをきて叔父さんをエスコート。
男装の麗人気分なのでした。
今回もご愛読ありがとうございました。
まと