イケてるモリの美女(自称)と眠れぬ母の事情
クリームアートの沼
―貧乏と貧乏くさいはイコールではない。愛とセンスさえあれば。―
見てくださって、ありがとうございます。もちだ ちよ子です。
不器用を煮詰めたような私(ちよ子)が、クリエイティブすぎる7歳の娘(くるみ)とハンドメイドしました。
不出来さも幼さも、成長の過程としてお楽しみくださればうれしいです。
ハンドメイドの何が困ってるって、制作費。
うちは、娘が湯水のように使うので、生活に困るレベルです。
そこで、ハンドメイドに詳しい先輩ママさんに相談してみました。
Aさん 「予算やかける時間など、計画して娘さんと共有するといいのかも。」
Bさん 「制作費から無駄を省くのはどうですかね?
あとは予算に上限を設けるとか、個数を減らして丁寧に作り込む、
衝動的に作るのを避けて、計画的に時間をかける作品に取り組むなど
工夫はいかようにでもできるかと思いますよ。」
ちなみに、Aさん、Bさん、全然別のタイミングで聞いたんですが、回答大体一緒。
そうか、日常的にハンドメイドに触れているお宅のお子さん方は、計画して大作に取り組むとか、そんな高度なことが普通にお出来になるのか。うちの娘には来世でも難しそうなことすら、「小学校低学年でごく普通に誰でもできるレベルのこと」であるのか。
優秀な日本人の、なんと多いことでしょう。
きっとこの方たちのお宅では
Aさん 「ママと一緒に、天井まで届くお人形ハウスをつくるわよ。」
お子さん 「はあい、ママ。」
Aさん 「予算は三千円よ。」
お子さん 「じゃあ、ベースは段ボールで済ませて、小物にお金かけるね。」
とか、
Bさん 「夏休みの工作、着られる戦隊ロボにするの?」
お子さん「おう!最初の一週間で切り出し、次週組み立て、最終週着色。」
Bさん 「宿題も塾もあるし、作業は一日2時間よ。」
お子さん「任せてよ。1時間に休憩10分ほど取って無理なく計画してるよ。」
的な会話が、日常的になされているに違いない。
いや、まじか。このような優秀なお宅と比べてしまうと、うちは親子ともにチンパンジーの方が賢いレベルであると言えましょう。
しかし、嘆いてばかりもいられません。出来る人には出来るに至る積み重ねがあり、出来ない者にも出来ないに至る経緯があるものです。
じゃあ、なんでよそのお子さんには、きちんと予算や時間の枠内で計画して仕上げに至る力があるのか。
まずは、よそのお子さん方の脳内には、良質な「成功のサンプル」が豊富にインプットされているのではないか。お母さまお父さまが、日常に使うものをさっと手作りしたり、工夫したりする背中を見て、「こういう時はこうすればいいのか。」「これなら、お金をかけなくても当座はしのげるわね。」などと学ばれているのかとお察しします。そして、その様子や、作ったものが、貧乏くさい残念なものではなく、「素敵」と感じられるような、センスあるものや生活スタイルだったのでしょう。
うらやましすぎる。素敵すぎる。生活全般でやろうと考えたら、私のような残念系にはハードル高すぎです。
でも、クリームアートの範囲限定なら?
パーツにお金をかけずに「これはこれでありか?」と思えるようなやり方を見つけたら、娘の「成功のサンプル」、増えるかもしれません。そしたら彼女の選択肢の中に、お金をかけないやり方が上がってくるかもしれないわけで。
やりましょう、探りましょう。
こうしている間にも、娘は制作費をどんどん消費しています。
まずは、クリームの上にお金のかからないものを乗せる作戦です。
あまり高くないパーツなんてどうでしょう。娘に見せたら、「うわ。幼稚園の工作。」と、容赦ないコメント。
アクリルペンで模様書くのも、パーツの節約になりそうですが、これも「動物の顔とかは許容範囲だけど、何でも書いて済まそうとすると、相当安っぽくなるよね。」と。




では、これならどうか。我が家では「星屑」と呼んでいますが、ほんの少し余ったり、制作後に口金にちょっと残ったりしたクリームを、クリアファイルにのばしておきまして。乾いたらハサミで細かく切る。失敗した「ぺりりんちょ」(ハンドメイド4-2参照)や、思ったようにならなかったソフトレジンの作品どもも切って加える。さすがに大量使いすれば粗が目立ちますが、少量であれば、スプレーチョコやトッピングシュガーの代わりになることもあります。(そりゃ、買ってきた方がきれいなんですよ、当然。)
ちなみに、ちょっといいおぼろ豆腐の空き容器に星屑てんこ盛りにして作った「光のお昼寝ドーム」は、娘の感性には受け入れられなかった模様。「貧乏くさい」そうで。いや、そもそもうち貧乏だからね?




そこまで細かく切らずに使う時も。うちでは「あらかじめ絞ったもの」を略して「アラシくん」と呼んでます。余ったクリームを小さくくるっと一回転絞って固めておけば、素朴なお花のようにも見えますし、線で絞って固めておけば、花の茎や何かの輪郭などに使えるかもしれません。色の違う数種類のクリームをくっつけて固めても楽しい。あらかじめ固めておくことで、ぶっつけ本番で絞る緊張感からも解放されますし、いくつかの中から色、大きさ、完成度がちょうどいいものを選ぶことも出来ます。
娘の感想は、「ケーキは試みとしては評価できるが、改良の余地が有り余る。キーホルダーは、町内会のお茶飲み会のレクリエーションとかで作りそうな感じではあるが、若い世代がゲームや動画の時間削ってまで作りたいとは思わないだろうし、プレゼントされても微妙だと思う。てか、時間が経ったクリームに艶出ししようと思って透明クリーム重ねたのは分かるけど、盛り過ぎがみっともない。あんかけでもかけたんですか、だよ。でも、これらが大好きなおばあちゃんからのプレゼントだったら、三カ月くらいどこかに付けるかも。知らんけど。」と、結構渋め。




透明クリームを小さめに一絞りしておいて、キラキラしたパーツにするのはどうか。これは娘も普段から抵抗なく使っているようなので、可もなく不可もないのでしょう。
そもそもクリームの絞り後が美しければ、そこまでパーツに頼らなくてもよくなることを考えると、練習も兼ねてアラシくんを作ることは、二重三重の節約であると言えましょう。とは言え現時点で、お人形さんの秘密基地をクリームだけでデコる試みは、失敗しております。娘曰く、「なにこの残念なやつ」だそうで。もう少し上手になったら、見直してもらえるかなあ、そうだといいなあ。



あ、ここで「クリームだってけっこうお高いでしょう?」と思った皆様、正解です!
とは言え、ですよ。一回封を切ってしまうと、クリームって結構固まるし、最悪、悪くなってしまうこともあるようで。(うちの中で傷ませたことはないのですが、工場内または輸送途中に傷んだと思われるものを使ってしまったことがあります。開封してすぐは癖強めのヨーグルトで作ったココアヨーグルトみたいなニオイでしたが、乾燥する過程で、美しさ真っ盛りの銀杏並木の臭いになり。完全に乾燥させても外気に当てても改善せず。泣く泣く作品を捨てる羽目になりました。)
つまり、一度開けたクリームを、無理やりでも早く使い切るのも、れっきとした節約である!のです。いや、そういうことにしてください。じゃないと私、この先が続けられなくなってしまいます。
さ、じゃあ、この先も生温かい目で、しかも片方つぶるくらいの気持ちでついてきてくださいね。行くわよ?
次に、パーツを手作りできないかって話。簡単なものはレジンで作ることもありますが、それではおそらく努力レベルが足りない。では、間違えて買ってしまったモールドに樹脂粘土詰めて乾かしたら、低価格でパーツを作れないだろうか。やってみます。
型取りしたものを乾かし、専用ニス(今回は光沢出る方使ったけど、出ない方も良さそう)を塗って仕上げました。
いや、工作自体は楽しかったんですよ。でも、なんとなく素朴な仕上がりというか、全体的に昨日今日始めた不器用な人が作った感じというか、汚いというか。一方でアイスクリームなど、表面のザラっとした質感が欲しいものは、粘土の良さが生きている気がします。

最後、パーツ購入時の無駄を省く話。普段はハンドメイド小物をたくさん売っているサイトを娘と一緒に見て、気になるものを教えてもらい、後日私が三日三晩悩んで、持っているものとの兼ね合いや、娘にとっての重要度や、パーツの大きさや、もちろん金額も考えて、断腸の思いでいろんなものを省いて削って厳選して買っているのですが、どうやっても予算オーバーになってしまいます。
よそのお母さんは、どうやってこれを予算内に収めていらっしゃるのか。
超人なのか?
恐らくですが、お子さんに対しての観察力が半端ないんだと思います。だから、少ない予算であろうと、本当に必要なものをズバッと買える。私がよくやるような、「これとこれ、どっちがいいかな?ま、どっちも使うだろうし、念のためどっちも買っとくか。」みたいな愚鈍な無駄買いがない。
この子にとって何が重要なのか、過去にどんなことに心動かされてきたのか、それを受けて今表現したいことは何なのか、を多くのお母さん方は、普段から無意識にたくさん考えていらっしゃるし、そもそも考える前に感じていらっしゃるのだと思います。(それ、私にとっては超能力なんですよ、すごいんです。特性上、私のそれを感じるセンサーはバカになっているらしくて、見ているつもりがあさっての方見ていたり、感じ取れていなかったり、ようやく感じ取ったはずのものを忘れたりして、娘に「私をちゃんと見ていないよね。寂しい。」と叱られることもあります。)
同じように「わが子と海を見に行った」として、私は「海すげー」と「海を見て感動しているわが子めんけえ~」で終わってしまうけど、多くのお母さん方は、それの他に、わが子が海の何を見て(音、光、色、空気、地球の広さ)を感動しているのか観察する能力があり、わが子の感動が流れ込むように自分の心に入り込んでくる能力をお持ちでらっしゃる。
たくさんの情報が入ってくる分疲れるだろうし、対処するタスクも多くなるし、気持ちが分かりすぎて腹立たしいこともふえるのかもしれないけど、私は他のお母さんたちのような高い観察力や共感力がうらやましくなることも多いです。いや、単純に「あなたのことなら何でも分かるわよ。母親だもの。」的なこと言いたいってのもあるんですけど。うちの娘は、ほかのお家のお子さんが感じるような、「お母さんなら何でも分かってくれる」「お母さんにまかせておけば大丈夫」という、地球で生きる上での命綱「絶対的のな信頼」を知ることなく外の世界へ出て行かなくてはなりません。そして、共感らしい共感ができない私から、「本当に愛されている」実感を得ないまま大人にならなくてはいけません。それ、すごく寂しいだろうし、心許ないだろうなと思います。
でも、せめて、大きくなった娘に「あいつはポンコツだから、大人として適切な愛は出せなかったけれど、あいつなりに一生懸命愛に似たものを出そうとしてくれていた。少なくとも私の事を知ろうともがいていたように思う。」くらいに思ってもらえるように。自動オフになりがちなポンコツ観察センサーを無理矢理オンにして、言葉でも、「何が好き?」「何に感動した?」「表現したいのはどんなこと?」と、たくさん対話していこうと思います。まあ、それでも娘のことは半分も分からないだろうけれど、無駄買いが少しは減る、よ、ね??
総括して娘曰く
「センスがないくせに制作費ケチったら、ケチった分以上に貧乏くさくなる。
無駄な抵抗はやめて、わたしのいう通り買いなさい!」
私たちが袂を分かつ日は、多分もうすぐそこです。

