青い瞳が私をとらえる。だって私にはその子が、泣いているように見えたのだ。
向日葵畑の向こうで、誰かに呼ばれているような気がした。
「……誰?」
言えば生い茂るそれをかき分け、ひょっこりと顔を覗かせたのは間違いなく──あれ、誰だっただろうか。今この瞬間まで私は、相手のことを知っていたはずなのに。
「久しぶりだね、春香」
けれど私の困惑をよそに、微笑む少年は私のことを知っているらしい。詳しいことはよく分からないけれど、そういえば私、どうしてこんなところにいるんだっけ。
──いっそ病的なほどに白い肌、黒く透き通る瞳とさらさらの髪。加えて妙に大人びた表情と、私の名を呼ぶ声に覚えはない。それでも目が離せなかったのは、きっと私を囲む向日葵が眩しかったからだ。
「君は……?」
「……ごめんね、まだ教えられる名前がないんだ。だから今は、君の好きな名前で呼んでほしい」
彼の言葉が何を示すのか、私にはよく分からない。まだ教えられない、なら分かるのに、どうしてそんな回りくどい言い方をするのだろう。
「……じゃあ、晴人、で」
「いいね、向日葵畑にぴったりだ。それに君ともよく似てる」
言われてようやく気がついた。文字こそ違えど私の名前と一文字違いだ。気まずくなって目を逸らした私に「僕は嬉しいんだよ」と少年は微笑む。
──夏の日差しが、じりじり焼けつくようだった。
ああそうだ、確かあの日もそうだった。熱されたアスファルトが私を焼くようで、車の排気ガスに咳き込むだけの力ももうなくて──
「……あ……」
思い、出した。
「……そうだね、君はあの日、車道に飛び出した猫を助けるために車に轢かれた」
途端蘇った記憶の群れが、私の背筋を一気に冷やす。どこまでも続くこの向日葵畑は、おそらくそういう、ことなのだろう。
「……猫は、無事だったの?」
「うん、やっぱり君は優しいね。こんなことになってもなお、自分じゃなくて猫の心配をする辺り……本当に、本当に」
「質問に、答えてよ」
声が震えた。晴人が首を横に振る。どこかでそんな気は、していたけれど。
「でもね、君は生きてるよ。生死の境は彷徨ったけど、あとはもう君が目を開けるだけでいい」
「……君は、誰なの?」
「うん、いい質問だ。けどね春香、申し訳ないけど答えられない。
……今の僕は、何者でもないから。ただ君にお礼を言いたかっただけの、魂の残滓なんだ」
それはほとんど、私の欲しい答えだった。君があの黒猫だったの、と歩み寄って抱きしめれば、「ごめんね」と彼は悲しげに笑う。
「……僕はね、昔仲間にも人にもいじめられてて……仲間はともかく人の優しさなんて知らなくてさ、むしろ人間が嫌いだった。いつもお腹は空いてたし、あの日はもう朦朧としていたから、車道に出てしまった」
それで君を危険な目に遭わせた、と。晴人はただ、その日私の視界に入っただけの黒猫だったのだ。
「それでもね、君が僕を助けようとしてくれたことはすごく嬉しかったんだ。残念ながら僕は助からなかったけど、このまま君まで一緒に死なせるのはすごく、嫌だったから」
小さく喉を鳴らし、あの日の黒猫は私に擦り寄ってくる。
「生きて、待っててほしい」
涙がこぼれる。頷いたような気もするが、どうだったか。
「晴人……」
「名前をありがとう。きっとその名前で、生まれてくるから」
次に目を開けたとき、見えたのは白い天井と窓の外の快晴だった。
随分長く、眠っていたらしい。起き上がろうとしても、筋力の低下か体が動かなかった。そしてぼんやりと思い出すのは、意識が途切れる前のことだ。
私が目を覚ましたと知って、病室に駆けつけた家族にはひどく泣かれてしまった。心配を、かけてしまったようだ。
向日葵畑は既に遠い。どこかで響く産声は、彼のものだろうか。
君が生まれてくるなら
静海
小説を書くこととゲームで遊ぶことが趣味です。ファンタジーと悲恋と、人の姿をした人ではないものが好き。 ノベルゲームやイラスト、簡単な動画作成など色々やってきました。小説やゲームについての記事を書いていこうと思います。
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