あの頃は穏やかで心地の良い日々であったと思う。
理不尽と不条理に翻弄されながらも世の中の正しさを無邪気に信じていられた時期だったからかもしれない。
努力と結果の積み重ねは承認と評価に直結し、自分が現実を変えられることや望む未来が来ることを疑いもしなかった。
しかし幼年期の終わりは訪れた。
あまりにも唐突なモラトリアムからの追放には面食らったモノだ…そしてそれが大人たちにとって都合のいい「現実」との初対面だったのだ。
真はアカデミーで過ごした数年間を思い起こして、それらがもう戻れない過去の事であることを噛みしめる。
それでもその頃の事に学ぶべきことがある。
最近はコネクションを使った口利きや雑務係への面倒ごとの始末指示ばかりやっていておざなりになっていた事。
それは自分なりの問題解決の手段であった「”現実”の再定義」だ。
そう、「”現実”の解釈」の変更ロジックを突き詰めることで自分の異能が行使できる範囲や状況も増やせるはず。
それはこれから相手にしなければならない「世界の”現実”」との対峙に際して到達していなければならないステージでもある。
元々相手方にも因果律干渉系の能力者がいることも当然考慮しておかなければならないしな。
真はある程度課題をまとめたあと背後の気配に声をかけた。
「とりあえず私の方の準備はできているけど、どうしたものですか?ミセス・サマーフィールド。」
少し驚いたような素振りを見せつつも真の前に姿を現したマリンブルーのワンピースの少女。
その表情には明らかに楽しそうな感情があふれていた。
まるでお気に入りのお人形がプレゼントされた時のような屈託のない笑顔。
その手にはいつの間にかハードカバーの分厚い本があり、淡い光が漏れ出している。
真はその様子を見てこれから起こるであろう面倒ごとを予感して眉を寄せた。
…あれは確かあらゆる可能性世界にアクセスできるとかいうアーティファクト。そして彼女の異能は「因果の源典に干渉できること」だったな。
つまり「私が異能を持たない一般人である世界」でどう勝算を組み立てるか試す気だろう。
真の首筋に冷たい汗が一筋流れる。
これからのステージに踏み込むためには当然晒されるだろう「格上」との闘いにおける能力差。
その伸びしろがあるかどうかを直接試されるのだ。
真は一呼吸おいて覚悟を決めると少女の闇夜が満たされた瞳を直視して試練の開始を促す。
少女はそれを快く受け入れると、手元の本に魔力を収束させていく。
ハードカバーの本がひとりでに開きページがめくられていく…
そこから溢れる爆発的閃光は真の視界と意識を一瞬にして染め上げていった。
新たな現実像のひな型がこれからの課題を解決できるかどうか、その可能性の価値を図る試練が始まった瞬間であった。
