このように狭いワインセラーで長い間待たせてしまったことを申し訳なく思っている。
さぞ寂しかっただろう…至らぬ私を許してはくれないだろうか?
適切な温度に常時保たれた壁一面のワインボトルを愛おしそうに眺めるのが最近の癒しの時間だ。
世界的企業グループの本社社長室長というポストにしてはあまりに私的な空間を持った彩音は業務時間中にも関わらず自分の妄想の中で陶酔していた。
彼女の役目は意思決定を承認する社長周りのスケジュール管理や役員会の意向をまとめて報告するなどの事態調整が主なモノでありそれ故自制心や自律レベルには特に気にしなくてはならない。
それにも関わらず現在彼女の意識は宙に浮いたままだ。
明らかな多重責務から生じるオーバーワークによるものだということは誰から見ても明白で、ドクターストップは再三通達されている。
しかし彼女に休暇を許可できる存在は現状存在していない…つまり状況は「詰んでいた」。
さらには素性の知れない少年をVIP対応しろだの名前しか決まっていないプロジェクトの道筋をまとめておけだのと言われてはさすがに限界だ。
まさか自分を運命を司る神だと考えてはいないだろうかとさえ思ってしまう。
彩音は爆発しそうな激情を必死に抑え込むことにまず専念して少しでも気分を切り替えようと考えた。
こんな事に煩わされている場合ではない。
記念日ごとにお迎えしている世界の銘酒たちが私との逢瀬を待っていてくれるのだから。
そう思うと見慣れたこの役員専用フロアからの景色も違っているように思える。
そして気持ちよく仕事に戻ろうとしたその瞬間、不自然に空気が波打った。
私ひとりしかいないはずのこの空間に重苦しい威圧感が満たされていく…まるでこの空間の主は自分だと言わんばかりの気配が存在している。
彩音はその招かれざる存在に対していつものように声をかけた。
「お前…いつからそこにいた?」
「そうだな…君がうわの空で自分の世界に浸り始めた時からだよ。なんとも嘆かわしいモノだね。」
その存在はオーバーリアクション気味にやれやれと肩をすくめて嘲笑している。
いつの間にか潮の香りがフロア中に満ちていた。
彩音の目の前に少女の姿で現れたその存在は尚も歪んだ笑みを浮かべて楽しそうな素振りをしている。
少女の瞳は「審査や審理が終わったわけではないのだからね?」とでも言いたげな光を放ち、怪しくゆらゆらと揺らめいた。
