あるところにツメトギ山という名前の山がありました。この山を境にして東には黒猫城、西には白猫城がそびえています。暖かな春の早朝、黒猫の若殿がお供の黒猫じいやを連れてネズミ狩りのためにツメトギ山へやってきました。ネズミ狩りとは、この辺りの猫が前もって捕まえたネズミを野山に放して追い掛け回す遊びのことです。
「もう少し奥まで行ってみる。じいやはここで待っていてくれ」
血気盛んな黒猫の若殿はずんずん進んでいきます。後ろからじいやの声が聞こえてきました。
「若殿、お気を付けくだされ」
*
だんだんと太陽が西に傾いてきました。
「ネズミを追いかけるのに夢中になりすぎて奥まで入り込んでしまったぞ…さてどうするか」
「きゃぁーっ!」
ネズミを追いかけていた黒猫の若殿は、突然甲高い叫び声を聞きました。声の方を見ると、一匹の白い猫が人相の悪い大柄の山猫に詰め寄られています。
「へへへ美しい町娘じゃねえか」
「助けて!誰か!」
あわや白猫が山猫につかまれそうになった時、一つの影が二匹の間に割り込んできました。白猫を守るようにして黒猫の若君が山猫の前に立っています。
「そこまでだ!」と、山猫に向かって黒猫の若殿は言いました。
「なんだ、この黒猫め!立派な身なりをしやがって!」
恐ろしい形相で凄む山猫に対して、黒猫の若殿は、大きな声で鳴きました。
「ふしゃああああああああっ」
「こいつ、小さな体のくせにこんな大声を…」
黒猫の若殿は地面に落ちていた棒切れをつかむと、山猫を滅多打ちにしました。
「くそぅ、覚えてやがれ!」と、捨て台詞を吐きながら山猫は去っていきました。
*
山猫が去った後、黒猫の若殿は白猫に駆け寄りました。
「大丈夫ですか。お怪我はありませんか」
「はい。大丈夫です」
「余は黒猫の若殿と申す。そなたは?」
「白猫城の姫でございます」
「なぜお付きの者も付けずに町娘の格好をしてこんなところへきたのだ?」
「城にいるのが嫌になったので、身なりを変えて逃げ出してきたのです。」
「ここは危険ゆえ、白猫の城下町まで送り届けよう」
黒猫の若殿は白猫の姫様と一緒に白猫の城下町まで行きました。
*
黄昏時、白猫城に戻ってからの姫様はどこか惚けていました。
「あの方は身を挺して私を守ってくれた…んみゃあぁお」
興奮して鳴きだす白猫の姫様を案じて、傍にいたお付きの白猫は声を掛けました。
「姫様、どうなさいましたか?」
「すこし気持ちが高ぶってしまいました」と、姫様は恥ずかしそうに頬を赤らめて言いました。
「ああ、いとこの白猫の若殿のことですか。あの方との婚礼の日も近いですからね。気持ちが高ぶるのも仕方ありません。ウフフフ」
「はぁ…」
口元に手をあてて笑っているお付きの白猫を横目に、白猫の姫様はため息をつきました。
*
黒猫城では黒猫の若殿が夜も眠れず悶々としていました。
「白猫の姫様は黒猫である余にも優しくしてくれた…余はあの方が好きだ!!んにゃああおわああああ」
黒猫の若殿があまりにも大きな声で鳴くので、部屋はびりびりと震えました。その鳴き声を聞いて黒猫じいやが部屋に入ってきました。
「どうなさいましたか、若殿!」
「父上と話がしたい!」
*
「父上、白猫の姫様と婚姻を結びたいのですが」
黒猫大名の部屋に入った黒猫の若殿は落ち着き払って言いました。
そんな息子に向かって父親の黒猫大名は、
「忍び猫からの情報によると、白猫城の姫は近々いとこの白猫と結ばれるそうだ」
と、忍び猫からの情報を伝えました。黒猫の若殿はうなだれています。
「そんな…何とかならないのですか」
「マネキヶ原にて近々白猫との合戦がある。それに勝利して白猫城を我がものとしたあかつきには姫をお前と結婚させてやるぞ」
「次の合戦には私も付いていきます!」と、若殿はやる気になって言いました。
*
マネキヶ原での黒猫と白猫の合戦の日がやってきました。黒猫たちは皆覆面をかぶっています。覆面をかぶった黒猫大名が白猫大名に向かって言いました。
「今日こそ白猫城を攻め落とす!」
大勢の兵を並べた白猫大名も負けてはいません。
「憎き黒猫どもめ!我が城には一歩たりとも入らせんぞ!」
「マタタビ煙幕を放て!」と、黒猫大名は自軍の黒猫たちに命令しました。
黒猫大名に命じられた黒猫たちはマタタビ煙幕に火をつけて敵陣に投げ込みました。白猫たちは酔っぱらったようになり、戦う気をなくしてしまいました。
「余計な血は流さない、それが黒猫のやり方だ」と、黒猫大名は誇らしげに言いました。
「んにゃあ、撤退じゃ!籠城戦じゃあ!」
白猫大名はお供を連れてよたよたと白猫城へ逃げていきました。
*
「さて、いよいよ本丸に攻め込むぞ!」
黒猫大名は黒猫たちを鼓舞しました。その中には若殿もいます。黒猫大名は弓矢隊に命令しました。
「マタタビを括りつけた矢を城の中へ向かって放て!」
城の中へ放たれたマタタビからはもくもくと煙が出て、あっという間に城中に広がりました。城の中にいる白猫たちは皆酔っぱらって戦意を喪失しています。
「皆の者!白猫城へ向かうのじゃ!」と黒猫大名は号令をかけました。
*
黒猫軍が白猫城の石垣の周りをぐるりと囲み終わったその時、門に影が二つ現れました。城内に立ち込めるマタタビの匂いから逃げてきた白猫の姫様と白猫の若殿です。二匹とも豪華な衣装を着ています。白猫の姫様が顔を赤らめながら言いました。
「ああっ!黒猫の若殿…会いに来てくださったのですね!」
「んぬう…余の婚約を邪魔する者め…顔を見せぬか!」白猫の若殿は怒り心頭で黒猫の若殿に向かって言いました。
「いいだろう、余は黒猫城の若殿である!そなたが姫様の婚約者か、余と勝負いたせ!」と黒猫の若殿は覆面を取って勇ましく名乗りました。
*
白猫城の門の前で黒猫の若殿と白猫の若殿は一歩も動かずにらみ合っています。
「みゃあああああああぁ!私がお慕い申し上げているのはあああああ!!」
興奮した様子の姫様の声を皮切りに黒猫の若殿と白猫の若殿の戦いが始まりました。
「にゃあああああああぁ姫様ああああああ!!」
覆面を取ったせいでマタタビの匂いを嗅いでしまい、黒猫の若殿も気持ちが高ぶっている様子です。興奮しながら白猫の若殿に向かっていきます。
「んぬぁぁお!!おのれ黒猫ぉ!姫様は余の許嫁である!黒猫なんぞに渡さん!ふしゃああああああ」
怒りと興奮のあまり、白猫の若殿は全身の毛を逆立てて猛り狂っています。
二匹の若君は取っ組み合いました。けたたましい鳴き声を上げながら引っ掻きあっています。
「「んにゃああああああああおお」」
あまりの騒がしさに白猫城の石垣はがたがたと揺れています。白猫大名は恐ろしくなり、御殿の中から外に向かって力の限り叫びました。
「やめい!これ以上鳴かれると石垣だけではなく城そのものが壊れてしまう!やめてくれ!んにゃああああああああ」
白猫大名の嘆き悲しむ声も二匹の耳には入りません。黒猫の若殿と白猫の若殿、二匹の鳴き声は止まりません。城の壁にも亀裂が入りはじめました。
「「ふんんんんんおわあああああああ」」
組み合った黒猫の若殿と白猫の若殿は一塊になり、鳴きながら城の周りを転げまわっています。
「「んまああああああおわああああああああああ」」
二匹の鳴き声が強くなるにしたがって、白猫城の石垣はどんどん崩れていきます。壁の亀裂もだんだん大きくなっていきました。猫たちの鳴き声と城の倒壊はもうだれにも止められません。
*
戦いが終わり、白猫城の猫たちは真っ白の瓦礫に囲まれていました。白猫の若殿は身体じゅう傷だらけで瓦礫のそばにうずくまっています。
「降伏いたす!白猫軍はそちらに仕える故、なにとぞ命だけは!」と白猫大名はぶるぶる震えながら言いました。
「結構。これで我が黒猫の領地はさらに広がるだろう。世継ぎである黒猫の若殿に白猫の姫を嫁がせる」と黒猫大名は満足そうに言いました。
黒猫の若殿と白猫の姫様も頬を赤くして見つめあっています。白猫城の崩れた石垣の周りにはマタタビの匂いがまだ漂っていました。
あとがき
春になると猫は恋の相手を見つけて激しく鳴きます。そんな猫の姿をユーモラスに表した正岡子規の句「おそろしや石垣崩す猫の恋」をもとにしてこの話を作りました。
