仕事で失敗続きの俺はゴールデンウィークに彼女の真由に誘われて姫白村へやってきた。いわゆる慰安旅行というやつだ。東京から新幹線や電車それにバスを乗り継いで三時間、ようやくたどり着いたこの村は真由が生まれ育った村で、養蚕が盛んらしい。辺りには蚕が食べる桑を育てている畑もある。桑畑のそばを通り過ぎると待ち合わせのバス停が見えた。バス停では真由が待っていた。
「慶人君、待ってたよ」
バスを降りた俺に真由が駆け寄る。
「ごめん、予定よりちょっと遅くなった。出迎えありがとうな、真由」
「長旅お疲れ様。それじゃ行こうか」
*
「この村には蚕を育てている農家が多いんだな」
「姫白村では”お蚕様”と呼んで大切に飼育しているんだ。お蚕様は人間の手を借りないと成長できないの。とても繊細な生き物だから大切に育てさせていただいているんだ」
「育てさせていただいている?」
「うん、お蚕様は神聖な存在なの。お蚕様を祀る神社もあるんだよ。繭から絹糸が取れるのは知ってるよね。この村ではお蚕様から良質な絹糸をいただいているんだよ」
「繭を煮てから糸を紡ぐんだっけか」
「うん。その糸が貴重な収入源になっている農家さんが多いんだ。私たち人間はお蚕様に育てられていると言っても過言じゃないんだよ」
「へえ…」
「ねえ、この先の公民館でワークショップがあるんだ。参加してみようよ」
「ワークショップ?良いけどどんな?」
「それは行ってからのお楽しみだよ」
真由はにっこり微笑んで俺の前を進んでいく。
*
公民館に入ると、子供からお年寄りまで大勢の村人が熱心に書き物をしていた。ワークショップはすでに始まっていたらしい。席はどこも参加者で埋まっている。
「今からの参加でも大丈夫です。空いているお席にどうぞ」
空いている席なんてないぞ…と思いながら辺りを見回していると、声をかけられた。
「良かったらこちらにどうぞ」
声のする方を見ると、家族連れの男性が席を空けてくれた。
「良いんですか?」
「ええ。私たちは書き終わって係の人に出しに行くだけですから」
「ありがとうございます」
俺たちはその家族に礼を言って席に着いた。大きなテーブルの上には数枚の桑の葉と黒い液体の入った容器、それに習字で使うような筆が各座席に置かれている。何に使うんだろうと疑問に思っていると真由が説明を始めた。
「桑の葉に墨でポジティブな言葉を書いてお蚕様に食べてもらうんだよ。”大好き”とか”幸せ”とかね。この村のお蚕様はポジティブな言葉が書かれた葉を食べるとぐんぐん成長するんだ」
「でも墨の付いた葉をあげて大丈夫なのか…?蚕は繊細なんだろ?」
「ああ、あれ実はイカの墨なんだよ。それにこの村のお蚕様は他よりも丈夫なんだ。そんじょそこらのお蚕様とは違うんだよ。といっても人の手が必要なのは他と同じだけどね」
「なんだ、それなら大丈夫だな」
「うん。それじゃあ書こうか」
俺は筆にイカ墨を含ませて桑の葉に向かった。書いたのは”成功”の二文字。気持ちを込めて書いた。隣に座る真由の方をちらりと見ると俺の名前が書いてあった。
「ちょっと、”慶人”って…!」
「慶人君の名前ってとってもポジティブだよね。”よろこぶ”とか”いわう”って意味でしょ?だから書いちゃった」
「それ蚕が食べるんだろ…?俺食べられちゃうじゃん…」
「ほら、まだまだ桑の葉っぱはあるよ。どんどん書いちゃって」
俺は真由に促されて桑の葉に言葉を次々に書いていく。”楽しい”…、”幸せ”…。ポジティブな言葉を書いていくにつれて、俺もだんだん気持ちが前向きになってきた。
*
ワークショップを終えると午後一時をまわっていた。
「腹が減ったな。何食べる?」
「この村特産の珍味を食べさせてあげよう。こっちだよ」
しばらく歩いて真由と俺は一軒の定食屋に入った。
「いらっしゃいませ。こちらへどうぞ」
店員さんに案内されて俺たちは席に着いた。
「はい、お品書き」
真由に手渡されたお品書きを眺めていると、”お蚕様の佃煮”という文字が目に入った。
「蚕の佃煮って…食べていいのか?神聖な存在なんだろ?」
「お蚕様の力を体内に取り入れるんだよ」
「え…?」真由の突拍子もない発言に俺は当惑した。
「さっき桑の葉にポジティブな言葉を書いたよね。あれを食べて育ったお蚕様はその言葉の力を体の中に蓄えるんだよ。ほら、言霊って言うでしょ。繭の中から取り出した蛹のお蚕様を佃煮にして美味しくいただくことで私たちの心もポジティブになっていくんだ。ほら、これが蛹になったお蚕様」
そう言いながら真由はスマートフォンの画面を俺に見せた。そこには蛹の状態の蚕が映し出されていた。
「なるほど、これが蛹か」
「そうだよ。あっ、すいませーん」
真由は店員を呼んだ。俺はAランチセットを、真由はBランチセットと”お蚕様の佃煮”を注文した。
*
「お待たせいたしました」
しばらくして店員さんがランチセット二つと”お蚕様の佃煮”を運んできた。イナゴの佃煮は食べたことはあるが、蚕は初めてだ…。
「お先にご賞味あれ」と真由は俺に蚕の佃煮を勧める。
「いただきます…」
手を合わせてから恐る恐る箸を佃煮に伸ばす。見た目はさっき見せてもらった画像と同じだ。ひとしきり佃煮を眺めた後、口の中に入れる。勇気を出して噛んでみる。しっとりとした歯触りだ。
「うまい…!」
「ね?おいしいでしょ?」
「意外とクセが無くて食べやすいな。イカ墨の味もするぞ!」
「イカ墨で字を書いた葉っぱを食べたお蚕様だからね」
「ご飯にも合うなぁ。酒が欲しくなるよ」
「今晩はうちに泊まろう。お酒も出るよ」
「やったね」
俺はそう言いながら佃煮でご飯を食べる。うまい。箸が止まらない。
*
真由の実家に到着したのは夕方だった。
「君が慶人君だね。いらっしゃい」
「ゆっくりしていってね」
「お世話になります」
真由の両親と祖父母、それに飼い猫に出迎えられる。客間に荷物を置くと、間もなく夕食が始まった。豪華な食事だ。蚕の佃煮もちゃんと用意されている。
「この村では江戸時代からずっとお蚕様を育てていてね…」
真由のお父さんとお爺さんは代わる代わる養蚕について説明をしてくれた。養蚕は弥生時代に中国大陸から伝わったこと、第二次世界大戦前まで絹は主要な輸出品であり、合成繊維が開発されるまで日本の近代化を支えていたことなど…。
「慶人君、真由をこれからも大切にしてくれよぉ」
顔を赤らめたお爺さんが俺に言った。
「はい!結婚を前提にお付き合いさせていただいてますし、僕は真由さんをずっと幸せにします!なんたって僕は”よろこびを与える人”、慶人ですから!」
酒の勢いで気持ちが大きくなった俺は声高に宣言した。恥ずかしい気持ちは無かった。真由を含め皆さんは大きな拍手をしてくれた。楽しい宴は蚕の佃煮をお供に夜遅くまで続いた。
*
夕食も済んで風呂から上がると、時刻は十時を回っていた。客間に入った俺は目を疑った。体長二メートルはあろうかという巨大な蚕の幼虫が畳の上にいたのだ。
「ぎゃあ!何この巨大な蚕の幼虫!?」
「ああ、大丈夫。お蚕様をかたどった布団だよ」
真由が白い服を持って入ってきた。驚いている俺のことは意に介さずといった様子だ。
「はい、これを着て。お蚕様の絹糸で織られた特製のパジャマだよ。この布団には良い効果があってね。使い続けると、気持ちが前向きになってくるんだ。一度寝るだけでも気分が変わるよ」
「普通の布団で寝たいんだけど…」
「見た目はびっくりするけど寝心地は良いよ。朝までぐっすりだよ。それじゃお休み」
そう言うと真由は自分の部屋へ行ってしまった。せっかく真由が用意してくれたので、俺は自分のパジャマから絹糸のパジャマに着替えた。なめらかな着心地だ。そして蚕の布団に体を潜り込ませた。温かくて柔らかい。やがて俺は夢の世界に入り込んでいった…。
*
翌朝、俺はすっきりした気分で目を覚ました。
「真由、ありがとう。久しぶりに良い気持ちで寝たよ。お蚕様の布団はすごいな。仕事のストレスもふっとんだよ」
「それは良かった。今日は神社にお参りしようね。慶人君の運気がさらに上がりますようにって」
ふと、俺は真由の左手の小指に何かがくっついているのに気が付いた。これは白い糸?パジャマか布団からほつれた糸か…?俺はまじまじとその糸を眺める。
「どうしたの?」
真由の言葉にはっとして顔を上げる。
「いや、何でも…」
そう言いながら真由の小指をもう一度見る。白い糸は消えていた。不思議なこともあるもんだ。
真由の家族に別れを告げ、俺と真由は神社へ向かっていった。
あとがき
小林一茶の俳句「さまづけで育てられたる蚕かな」に着想を得て、この物語を作りました。この物語はフィクションですが、実際に蚕を”お蚕様”と呼んで大切に飼育している地域は数多くあります。現在では安価で大量生産可能な化学繊維がほとんどですが、日本に古くから伝わる養蚕も後世に伝えてゆきたいですね。
