来来世世

最終章

あれから職場で何度も彼女と顔を合わせたが、いくら考えても彼女が何者なのかは分からなかった。失われた記憶の正体も、霧の向こうに隠れたままだ。 いっそ諦めてしまおうかと何度も思った。しかし、過去の自分がそれを許してくれない――そんな妙な焦燥感が、常に胸の奥に燻っていた。

私は、彼女のことをもっと知ろうと決めた。何気ない会話の中に、記憶を取り戻す引き金があるかもしれないと思ったからだ。 彼女の過去、現在の生活、好きなもの……聞けることはすべて聞いた。しかし、それでも私の記憶は戻らない。これは神様が与えた試練ではなく、タチの悪い罰ゲームなのではないかと、少しばかり自嘲的な気持ちにさえなった。

ある時期を境に、彼の方から積極的に話しかけてくるようになった。私としては願ってもない変化だったので、彼が知りたがることは何でも話した。私の過去も、今思っていることも、すべて。 けれど、彼は私の話を聞いても、どこか納得がいかないような、複雑な表情を浮かべるばかりだった。私の独りよがりだったのだろうか。寂しさがこみ上げ、私は肩を落としてそっと彼のそばを離れた。

それでも、このまま終わりにしたくはなかった。 私は覚悟を決め、彼を休日のショッピングに誘った。二人でショッピングモールを歩き回り、フードコートでそれぞれ好きなものを食べた。途中、服屋で楽しそうに試着を繰り返す女子学生たちの姿が妙に目に入ったが、今の私にはそれを微笑ましく眺める余裕すらなかった。

私たちはモールを後にした。私は彼に次の目的地を告げないまま、「少し歩きませんか」と先導して歩き出した。 向かう先は、かつて彼が、若い頃に入院していたと言っていたあの病院だ。じりじりと照りつける太陽の下、並んで歩く彼の横顔を盗み見る。

嫌がられるかもしれないと不安だったが、いざ目的地が見えてきても、彼は案外落ち着いた様子だった。私は彼にお願いし、当時の思い出の場所へと案内してもらうことにした。

彼女からお出かけに誘われたとき、私は「記憶の手がかりを掴むいい機会だ」と思い、誘いに乗った。 軽くショッピングモールを巡ったあと、彼女は目的地を伏せたまま、私を歩かせた。 見覚えのある街並みが視界をよぎる。しばらく歩いて辿り着いた目的地は、あの忌まわしくも懐かしい病院だった。徒歩で来られる距離だったのに、私はずっと逃げていたのだろう。私の昔話を聞いた彼女が、気を使って連れてきてくれたのだ。

私は彼女を伴い、かつて手紙を交わした彼女の病室へと向かった。 一歩一歩、廊下を進むごとに、心臓が早鐘を打ち始めるのを感じた。ついに覚悟を決め、静かに扉を開ける。

――その瞬間、脳内に大量の記憶が濁流となって流れ込んできた。

この風景、この病室、すべてを私は知っている。 事故で入院するよりもっと前、私はこの病院に来ていたのだ。当時、何となく行った健康診断で訪れたこの場所で、私は偶然、一人の少女と出会った。彼女のことが愛おしくてたまらなくなり、それから毎日、私はこの病室へと通い詰めたのだ。

あの時、仕事帰りに歩いて病院へ向かい、その途中のコンビニに寄っていたからこそ、帰宅時間が遅くなり、ルートにないはずのコンビニ袋を持っていたのだ。すべてのパズルが繋がった。

そして、あの転落事故の瞬間。私が「まだ死ぬわけにはいかない」と強く願ったのは、病室で私の訪れを待っている、彼女の元へ行かなければならなかったからだ。

すべての記憶が繋がり、私はその場に立ち尽くした。 毎日会うという約束を交わしておきながら、私は事故のせいでその約束を反故にし、あろうことか彼女の存在ごと記憶を失ってしまっていた。なんて酷い男だ。

あの時の彼女は、もうこの病室にはいない。 「私はもう長くない」と手紙に書いていた彼女に、いまさら謝罪する機会など、もう二度と巡ってはこないのだ。私は取り返しのつかない罪の意識に苛まれ、押しつぶされそうになった。

涙を流し、絶望に震える私を見て、彼女がそっとこちらを向いた。

そして、彼女はポケットから一通の手紙を取り出し、私へと差し出したのだ。

驚きながらも、私は震える手でその手紙を受け取り、中身に目を落とした。 文面を見た瞬間、私の目は見開かれ、目の前に立つ18歳の彼女の姿をまじまじと見つめた。

あどけなさを残す彼女の顔に、あの病室で文通をしていた、どこか寂しげだった女性の面影が、嘘のように重なっていく。

私は涙を拭い、愛おしさを込めて微笑んだ。

「……この字は、よく知っている」

小さくそう呟いた私の声を、静まり返った病室と、生まれ変わった彼女だけが、優しく受け止めていた。

(おわり)

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みき

気になったことを自分の意見も交えつつ記事にしていきます。 (内容は種類にこだわらずやっていきます)

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