「地の文なんて信用しちゃいけないよ、君は全て伝えてくれると思っている。」
小説が好きな人はこう言った。あらゆる作品の中で、そういうことが度々起こると。そういうものを読ませてもらったこともあるが、本当にその通りだと思う。語りかけてくる情景や語る人物そのものが違う作品は感心させられた。
「はっきり言って邪道だよ。」
呟いて筆を走らせる。二度読ませる作品は良作であり、駄作でもある。さらに読まれたら名作だ。
そこを突いてわざと何度も読ませにかかるのはいかがなものか?そんな作品あるのかは知らないが。また読みたくなる、あの時本当は…と読み返すことは楽しいものである。それこそ叙述トリックを用いた物は好みが分かれるだろう。それを含めた作者の意図なのかもしれない。
まぁ、それが分かれば作者の思うことを書けなどと言う問題はありはしない。あれは教師の思う事、だ。
それは重々承知の上。今日もまた問題を書く自分に愚痴を吐いた。
どーも、はちろうです。今回は地の分形式が様々ある中で「信用できない語り手」という形式に挑戦してみました。出来ましたかね…?あまりできていないような気がするので、また挑戦はしてみたいなと思います~。
書いたように完璧な説明がなされない、そもそも途中で語り手が変わる(人物や同じ人物でも性格が変わる)といったものです。主に推理小説やサスペンス小説に用いられますね。しかし推理・探偵物にはノックスの十戒やヴァン・ダインの二十則というものがあり、信用できない語り手はタブー視されることもあります。それ自体を逆手に取る作品も多くありますが紹介できないのがもどかしいですねぇ…!
映画などもどんでん返しだとわぁー!と楽しくなったりするものです、面白くないのもたまにありますが。ここまで読んでいただきありがとうございました!