ノベリスト・シンドローム【2】

「……人ごみ怖い……家帰るー……」
「すごくインドア思考だね……?」

 めそめそしながら歩く俺の隣、苦笑するリルアのせいで余計気分が沈んだ。もしも今彼女が帽子をかぶっておらず、その表情がまともに見えていたら、俺はたまらず逃げ出していた自信がある。

「アウトドア思考のワープロソフトがいてたまるかよ……それに俺みたいなかっこ悪いやつが、こんなにおしゃれな街歩いたら周りに笑われないか……?」
「そうかなー? ボクからすれば充分かっこいいと思うけどなあ。
 ああでも、せっかくきれいな顔とスタイル持ってるんだし、下向いてしょぼしょぼしてたらもったいないかもね」
「あ、え……あ、ありがとう……?」

 否定してほしくて言ったわけではなかったのだが、リルアはリルアでお世辞を言っているわけでもなさそうだ。こういうときに動揺せず、笑顔で礼を言えるようになれたらどれだけ楽だろう。

 ……それにしても。

 目深にかぶった帽子により、その顔があまり見えないだけでこうも違うのか。あれだけぎこちなかった先ほどに比べれば、ずっと自然に話せる上冷や汗も出ない。

「……やっぱりまだ調子悪い? 大丈夫?」
「んー……だるいといえばだるいけど、寝てばっかりもストレスだし別にいいさ。
 それに、いいって言ってるのに引きずってきたのはお前だろ……」

 容姿を褒められたことは確かに嬉しい。けれど複雑な本心を口にすることはできないまま、忘れたふりをしていた記憶のトゲがちくり、と刺さるような気がした。

 ──「へたくそ」。

 ただそれだけの四文字が、今も目の奥に焼き付いて離れない。それはマスターが書いた文章に、ネット上で心ない酷評がついた日のこと。
 俺のような制作系ソフトにとって、自らのソフトウェア──つまりは本体がブレーンだとすると、本体を使ってつくり出されたデータが体であり、知識であり、感情の基礎でもある。だからそういった連中の容姿や性格のほとんどは、マスターが作業をすると同時にひっそりと構築されたものだ。
 そんな流れで俺もまた、マスターが書いた文章で空っぽのブレーンを満たし、体や知識を得た身だからこそ──その文章を否定されたときのつらさは、ある意味マスターより大きいと言えるだろう。

 マスターが心を痛め、悩む原因となった文章で俺はできている。

 マスターが自らの主であるという欲目や知識の偏りを抜きにしても、マスターの文章は決して下手ではなかった。そこはワープロソフトの俺が言うのだから間違いないだろう、マスターに足りなかったのはむしろ自信だったのだと思う。

「……せめて励ますことくらい、できたならよかったんだけどな」

 俺はマスターのことも、マスターが書いた文章も、共に過ごした一方通行の日々も全て好きで、愛していて。それでもこの体の一部は、マスターを悲しませたものでできているのだという事実に目を伏せたくなる。

 ……ああ、ああ。

 鮮やかな街並みの中、俺だけが過去のモノクロに囚われているような気がして目を伏せる。声や言葉こそ発しないものの、おずおずと伸ばされたリルアの手がぎゅ、と俺の袖を掴んだ。

「リルア……」

 彼女もきっと心配してくれているのだ。だからその華奢な体からは想像もつかないほど強い力で、服屋へと引きずられているのも彼女なりの励ましで……

「それじゃあアクトくん、値札は気にしなくていいから好きな服選んでね」
「……へ?」

 そんなことはなかった。

「え、なんで俺? お前じゃなくて?」
「ボクは充分間に合ってるよ。でもキミはその服ばっかり着てるから、他には持ってないと見た」
「そ、うだけどよ……」

 言われて俺は我が身に纏う、爪先まで真っ黒な一張羅を見下ろす。どこにでも売っていそうなデザインのコートとズボン、ロングブーツに手袋という取り合わせだ。

 対してリルアはブルーグリーンのワンピースにレギンス、ウエストを締めるベルトと気合いの入った服装だ。隣を歩く俺がしょぼしょぼじゃあ恥ずかしいかもしれんが、それを直接言わない辺りに気遣いを感じる……のか?

「いくらここが仮想世界で、コピーの予備がいくらでも用意できるとはいっても……さすがにひとそろいだけっていうのはちょっと、ね?
 それにアクトくんは元がいいんだし、服装に気を使えばもっとかっこよくなるよ」
「はあ」
「だからね、好きなやつを好きなだけ買ってきていいよ。ボクはボクで別の買い物してくるから、支払いはボクが戻ってくるまで待っててね」
「はあ」

 そんなこんなで事の流れを理解する間もなく、ぎゅむぎゅむ押されて店内へ。気付いたときには試着室の中、俺は上半身裸の状態で立ち尽くしていた。

「……なんでこんなことになったんだ……?」

 いくら疑問に思っても状況は変わらないので、仕方なしに足元の服を拾う。そして肩越しに見つめた鏡の中、こちらを見つめ返す青年の姿に小さく眉をしかめた。

「やっぱり、か」

 背中側の髪がひとふさ、かなり不自然に短くなっている。まあこれはマルウェアに切られたからだろう、原因は分かっているから騒ぐほどではない、が。

「……もう伸びないんだよなあ、これ」

 腰の下辺りで揺れる黒髪は、マスターが俺を使うたびに少しずつ伸び続けたものだ。いくら連戦で消耗していたとはいえ、マスターと俺が一緒に過ごした証を切られてしまうなどあり得ないはずだったのに。
 そもそも俺たちがソフトウェアである以上、俺たちの存在理由は「パソコンの所有者に使用されること」だ。もしそれが開きっぱなしの放置状態でも、その間俺たちの体は髪や爪が伸びるなどの「時間の経過」を主張する。

「申し訳ありません、マスター……」

 視線を落とし呟いて、鏡の方へ向き直る。自らの青い瞳が悲しげに笑っているのを、他人事のように眺める俺がいた。
 ──柔弱そうな白い肌の上を、長い黒髪がすべり落ちる。
 鋭くも優しくもなれなかった目元、薄い唇に通った鼻筋。男にしてはやや華奢で、身長は高い方らしく細長い。それでも上背はフェリクスにやや負ける辺り、なんとまあ半端な体だろうと思う。

「問題は……前髪の方か」

 爪はさすがに切りそろえたが、何しろ髪は完全放置である。時折目元を隠してしまうほど伸びた前髪は特に、戦闘に支障が出る前に切っておきたいところだ。
 でもなあ、だとかどうしよう、だとか女々しい未練をもやもやと巡らせ、迷う気持ちにかぶりを振った。何しろリルアが待っているかもしれないのだ、あの様子だと引き下がってくれそうにないし甘えておこうか。

「ん?」

 しかしふと目をやった首元、俺の視線と思考は一瞬の停止を余儀なくされた。

「なんだこれ……チョーカー?」

 サテン生地の黒紐にぶら下がる、紅く透き通った石がふらり、と揺れた。この店にアクセサリーの類は並んでいなかったし、少なくとも俺はこのチョーカーを知らない、ということは。

「うん、それはボクがつくったやつだよ。このまま気付かれなかったらどうしようかなーって思ってたよー」

 服屋から出て街の中、一旦休憩しようか、と腰かけたベンチの上。行き交うソフトウェアたちを眺め、ふわふわ笑うリルアに目まいと頭痛を覚えた。

「……俺が気絶してるときにつけたのか?」
「そうだよー。ほっぺたつついてもお姫様抱っこしても、フェニックスの救護室に連れて行っても起きなかったからね」
「な、なして……」

 個人的には女性にお姫様抱っこされていたことが一番の衝撃だが、ここでくじけていては真実にたどり着けない。勇気を出すんだアクト、謎のチョーカーの真相やいかに!

「うーん、簡単に言うなら首輪かな?」

 時が止まった。

「く、首輪」
「そうだよ、だってこれはキミの暴走を防ぐためのアイテムだからね。ちょっとした細工を施してるから、アクトくんの意思で外すことはできないし他の人に頼むこともできない。
 それでね、キミがそのチョーカーをつけてる期間は『キミ自身の意思で』ボクから一定距離以上離れるか、強力な規術を使おうとした場合キミの首が絞まることになるよ」
「は、はいぃ!?」

 ようやく思考が追いついてきた。なんつーアイテムを装着されてるんだ俺、気付かず寝てたなんてアホかよ!?
 慌てて重い髪をどけ、俺は自らのうなじ付近をまさぐる。けれどチョーカーの金具に爪を立てた途端、ばちっ、と何かに跳ね返された。

「は……?」

 欠伸を漏らすリルアを横目に、何度試しても結果は同じだった。むしろあせればあせるほど、俺の指を拒む力が強くなっていく気がする。

「外せない……」
「ボクは最初にそう言ったよ? でもまだ諦められないならさ、ちょっとボクから離れてみてよ」
「ぐ、ッ」

 言われた通り立ち上がり、しばし後ずさっただけで容赦なく首が絞まる。距離にしてほんの十メートルほど離れただけだというのに、まさかここまで強制力が強いとは……!

「さて、もう分かったよね。これは契約だよアクトくん、それもひたすら悪質な、ね」
「そ、んな無茶な……!」

 うまく回らない思考に息を詰まらせながら、こわごわ触れたチョーカーはこれ以上ないほどぎっちりと俺の首を圧迫していた。それでもベンチに戻るため、一歩一歩と踏み出すたびに息苦しさが弱まり──リルアの隣に腰かけた途端、嘘のように霧散する。

「……っは……後生、だリルア、外してくれ」
「無理かなー」
「なんでだ」
「さっきも言ったけど、アクトくんが『アクトくんの意思で』外すことはできない上他の人にも頼めない……これってつまり、他の誰かが自主的に外してくれればいいってことなんだけど。
 お兄ちゃんはもちろんボクの味方だし、アクトくんには外してくれそうな知り合いのあてがある?」

 うっ。

「見ず知らずの人がふざけて外すわけもないだろうし、どっちにしろ無理だろうけどねー。
 で、頼むことができないっていうのは、キミに頼まれたその瞬間から、その人もチョーカーを外す権利を失うってことなんだ。
 ここまで言えば分かるかな?」

 ……しまっ、た。

「俺今、お前に頼んじまった……」
「そういうことだね!」
「い、いやだってお前、このチョーカーは自分でつくったって言ったろ!?」
「自分でつくったからって、全て自分の思い通りになるとは限らないよ。キミは紙で鶴を折って、その鶴を自在に飛ばすことができるの?」

 俺に両肩を掴まれ、揺さぶられてもリルアは動じなかった。ぐうの音も出ないとは正にこのことだろう、俺は鶴どころか紙飛行機一つ折れないけどな。

「あ、あともう一つ」
「まだあるのか……!?」
「これから家に帰らなきゃいけないんだけど、荷物も多いし一人は寂しくて。
 それにチョーカーのこともあるし、一緒に帰ってくれるよね。これは命令だよ」

 ぶわり、と。

 帽子の力をもってしても、さすがに見上げられてしまえばひとたまりもない。目をそむける余裕すら与えられず、その美貌を見てしまった瞬間冷や汗が吹き出す。

「な、な、な、ッ」

 それでもなぜか体は動いた。先に歩き出したリルアを追い、俺の意思とは無関係に歩き出した足にぎょっとする。

「うんうん、やっぱり話し相手がいるっていいなあ。ありがとうねアクトくん」
「リルアお前……俺にいったい何を……!?」
「ああそっか、そういえば言ってなかったね。
 チョーカーについてるその石はねー、ボクの力の塊だと思ってくれれば話が早いかな」

 いや知らんて。

 話が早い、なんて言われても俺はこいつのソフトウェア名すら知らないのだ。嫌な予感の塊ではあるが、原理も分からないまま操られるのは癪なことも確かである。

「……お前は何者なんだ、俺をどうしたい」
「ボク? ボクはしがないDAW……そうだなあ、簡単に言えば楽曲制作ソフトだよ。正式名称は『ローレライ』。
 キミも一度くらいは聞いたことあるでしょ? その声と美貌で舟人を魅惑して、舟を沈めてしまう妖女の話。それがボクのコンセプトとなったローレライなんだけど、そのせいかボクは彼女によく似た力を持ってる」

 透き通る瞳がすい、と細められた。同時に伸ばされた冷たい手が、俺の腕を捕まえてそっと抱き寄せる。

「ちょっと前にね、お兄ちゃんがボクに『アクトをしばらくの間監視してほしいのです』って頼んできたの。
 大事なお友達に何かあったら大変だ、っていうのがお兄ちゃん。大事なお兄ちゃんの願いはできるだけ叶えてあげたい、っていうのがボク。キミが無理するたびにお兄ちゃんが悲しそうな顔してるの、アクトくんは知らないでしょ?
 だからボクは、『ローレライ』の力でキミを監視することにしたの。今日の買い物はキミと同居するにあたっての必需品。何しろ魅了して操ることには自信があるからね、ボクのことを少しでも美しいと思った時点でもう、キミはターゲットになってるんだよ」

 そうして彼女は微笑むのだ。最高級の美しさを最大限に輝かせて、冷や汗まみれの俺に甘ったるい声で囁く。

 ──これからしばらくよろしくね、アクトくん、と。

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静海

小説を書くこととゲームで遊ぶことが趣味です。ファンタジーと悲恋と、人の姿をした人ではないものが好き。 ノベルゲームやイラスト、簡単な動画作成など色々やってきました。小説やゲームについての記事を書いていこうと思います。

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