ノベリスト・シンドローム【3】

 ペンは剣よりも強し、なんて言葉がある。

 それはざっくり言えば「人の心に与える影響や効果範囲、永続性が優れているのは、武力ではなく言論の方だ」といった意味らしい、が。
 実際はある程度の武力がなければ、いくら優れた言論があってもそれを世に示すことはできないだろう、というのが俺の考えである。結局ペンは剣と噛み合えば斬れ飛んでしまうのだ、そうなれば弱者の主張など世に出ることなく葬られてしまう。

 それが今、まさに自分の置かれている状況ではないかと思うだけで憂鬱になった。

 まさかマルウェア以外に剣を振るうわけにはいかないため、俺の言い分は全て「だってさ、解放したらまた戦いに行くでしょ?」と切り捨てられてしまう。さらば俺の自由よ、次に会うのはいつになるだろうな。

「どうしたのアクトくん、顔がすごいことになってるよ」
「そりゃあ眉をひそめてるからな」
「そっかー、せっかくの男前が台無しだからやめようね」
「だーもう、そういう意味じゃねえよ……」

 結局「命令」は現在進行形で発動しているので歩みは止まらない。それだけでまず不機嫌だというのに、今までの色々を受けて上機嫌でいられるほど俺は馬鹿じゃない。

「おいリルア、待てって!」

 その上リルアが何事もなかったかのように、皆が通る近道を避けていこうとするから慌てて引き留めた。街のはずれにあるという彼女の家まで、あとどれくらい距離があるのか分からないのだからショートカットくらいさせろっての。

「何かな?」
「そこの路地裏、はずれに行くなら近道だろ。なんで遠回りするんだよ」

 路地裏に向かうソフトウェアたちを目で指し、こらえきれなかった怒りをにじませて言えばリルアの足が止まる。そして振り向いた彼女の表情は、先ほどのように冷や汗を誘うものではなかった。

「……リルア?」

 彼女の眉が下がりきっていた。
 まだ付き合いは浅いにしろ、いつもほわほわ笑っていたはずの彼女から笑みが消えた。引き結ばれた唇と伏せられた目が痛々しくて、沸騰しかけていた怒りが困惑に変わる。

「アクトくんは今まで、アルウェアとたくさん戦ってきたんだよね」
「あ、ああ」
「それならさ、『マルウェアの瞳は総じて紅い』っていう大衆の認識も知ってるよね……?」
「あ……」

 そこまで言われてやっと思い出した。失態に顔が歪む。
 戦闘にばかり明け暮れていたせいで失念していたが、残念ながらこの世界にも犯罪の類は存在する。もちろんその中には差別行為などの、個を多で迫害する行為だって含まれているのだ。

 俺たちが個々の意思を持ち、動き出したときに与えられたこの容姿は一つとして同じものが存在しないという。加えて一切のカラーカスタマイズができないこの体は、決して少なくはない悲劇を生み出すこととなった。
 マルウェアの瞳が例外なく紅いことは、今まで俺たちが戦ってきた経験上揺るがない事実だ。高中低で示される彼らの危険度は擬態の能力と比例するため、ランクが高いマルウェアほど人間に近い姿でこの世界に出現する。

「今ボクが帽子で顔を隠してる理由、キミはもう分かってるものだと思ってたんだけど」
「……すまん」

 紅い瞳を持つソフトウェアのほとんどに罪はない。それだというのに「高ランクのマルウェアと見分けがつきにくいから」と石を投げられ、ソフトウェアとして扱ってもらえず、住む場所もほとんどない者がこの街にもいる。
 不幸な偶然だと片付けることは、俺のような部外者からすれば簡単だ。しかし決して抗うことのできない理由で迫害される彼ら彼女らからすれば、そんな軽い言葉でまとめられるのがどれだけ不愉快なことだろう。

 ……確かに俺だって、紅い瞳のソフトウェアを見つけたときの恐怖が全く分からないわけではない。二分の一の確率で自分に降りかかる危険を考えれば、紅い瞳のソフトウェア全員を排除したくなる者がいるのも当然だろうとは思う。

「……あの路地裏にいる方々はみんな紅い瞳をしてる。実はボクもね、『自分』の存在を初めて知ったときはあそこにいたの。
 でもボクはすごく幸せ者だよ。偶然お兄ちゃんに拾ってもらって、今はこうやって人並みの生活ができてるからね」

 下げられた帽子のつばに隠れて、彼女の顔は口元しか見えなくなる。少なくともその唇は笑みを形作っていたものの、すぐに虚勢を張っていると分かった。

「最後まで面倒を見られないのが分かってるから、ボクはその方々を助けられない。中途半端な救いの手がどれだけの傷をつくるか、ボクは何度も見たり聞いたりして知ってるから……申し訳ないけど、あの道は通りたくない」

 リルアの華奢な肩が震えている。こればかりは俺の不注意が十割悪いだろう、思いつく限りのごまかしなんて何一つ言い訳にならない。

「……すまなかった。軽率なことを言った」
「ううん、ボクの方こそ説明不足だったね。心配しなくてもボクの家はもうすぐだから、早いとこ部屋でゆっくりしようか。
 ね、だからアクトくん、頭なんて下げないでよ」

 言ってリルアは俺の手を取る。白くて小さくて冷たい、どうしようもなく脆いそれを壊さぬように握り返せば、「それじゃ、行こうか」とはにかむように笑った。

「……俺が、一緒にいてやるからな」

 契約が結ばれてしまった以上しばらくは離れられないし、マスターの打ち込んだデータで構築されているなら、お前もある意味マスターの忘れ形見だ。不本意だが迫害は嫌いなことに変わりはない、契約期間だけはそばにいてやるからな、と。そういった意味を込め、なぜか真っ赤になっているリルアの頭を撫でる。

 名前も知らぬ路地裏の彼らを、俺はきっとこの先も助けないし助ける機会もないだろう。そもそも俺が「助ける」だなんて、そんなのはただのエゴかもしれない。

 ……ヒトと似た体を手に入れるだけで、俺たちはこんなにも愚かな存在になれるんだな。
 突き詰めていけば俺たちは皆、いつ自らに襲いかかるとも分からない脅威に怯えているのだろう。「もしかしたら」傷つけられてしまうかもしれない、「もしかしたら」奪われてしまうかもしれない。だから自分に被害が及ばぬよう、怪しい芽があれば全て摘み取ってしまう。

 もちろん彼らが摘み取った中には、毒草の芽もあったことだろう。何もかもを許せというつもりはないし、そんなことができる者などいないことも知っている、が。

 ──「もしかしたら」その芽は、いつか自分を助ける大樹になったかもしれないというのに。

「馬鹿みたい、だな」

 全ての危険を排除することは不可能だ。どうせなるようにしかならないのに、皆それを一つでも減らそうと血眼になっている。
 俺だって別に死にたいわけではない。簡単に避けられる危険があるなら避けて通るし、自分から死ににいくほど馬鹿なつもりはない、が。
 分からなくなってしまったのだ。そこまでして「生きたい」と思えるほど、大切なものを得られる生き方が。

 ほんの小さく肩をすくめて、見上げた空は茜色に染まり始めている。冬の終わりの冷たい風が、俺の髪を揺らしてはただ、過ぎた。



「お部屋はたくさんあるし、好きなところを使っていいよ……と言いたいところなんだけど、逆に言えば迷子になりやすいしチョーカーの都合もある。
 だから右隣にはボク、左隣にはお兄ちゃんがいる真ん中のお部屋をご紹介するよー。何かあればボクの部屋に飛び込んでくれていいんだからね」
「あ、ああ……」

 渡された鍵を握り締め、長い廊下を二人で歩く。フェリクスのことを義兄と呼ぶくらいだし、リルアたちが同居していることには納得がいったものの──さすがにこれは予想外だ。

「な、なあリルア、この屋敷ってどれくらい広いんだ……?」
「んー……実はボクもよく分からないんだよね。お兄ちゃんと義兄妹になって、家を買ったから今日からここに住みましょう、って言われたときに探検したんだけど回りきれなくて」

 とにかくこの屋敷、でかい。

「いくらフェニックスのトップとはいえ……二人で住むには豪華すぎじゃねえの……?」
「それはボクも思ったけど、お兄ちゃんにも何か考えがある……のかなあ。どうなんだろ。
 でもやっぱり、お兄ちゃんレベルになるとお給料もいいんだろうね。この家に飾ってある宝石とか絵画もね、みんなお兄ちゃんが買ってくれたものだから」
「ふうん……」

 屋敷に上がった瞬間から思っていたが、あちこちにある美術品は「そんなの買ってどうするんだよ、食えないし動くわけでもないだろ」と言いたくなるようなものばかりだ。フェリクスのことだから目利きは確かだろうし、物によってはきれいだとも思うが理解はできなかった。

「で? お前はなんでにやにやしてるんだ」
「へっ、え、にやにやしてた?」
「そりゃあもうしてた。何かいいことでも?」
「……そうだなあ、この家にお兄ちゃん以外の誰かがいるって初めてだから、かな」

 先ほどまでかぶっていた帽子を抱き締め、どこか頬を染めて言う姿にどきりとする。いつの間にか冷や汗は出なくなっていたが、慣れたわけでも飽きたわけでもないことは早鐘をつく心臓が証明していた。

「お兄ちゃんは部下の方々にすごく信頼されてるけど、アクトくんみたいに友達って呼べる人は全然いないの。ボクも昔は紅い瞳繋がりで友達がいたんだけど……ボクだけがいい生活できるようになっちゃったから、もう顔は合わせにくくて」
「それで……俺がここにいるのが嬉しいって?」

 微かに熱い頬を隠すように、俺はリルアから顔をそむける。どうしてフェリクスといいこいつといい、俺の存在を肯定するようなことを言うのだろう。
 俺はマスターさえいればでよくて、マスター以外には興味などなかったから誰とも慣れ合わないつもりだった。だから周りからすれば「いなくなっても特に悲しくない」程度のやつだろうにどうして──こいつはこんなにも幸せそうな顔で、俺に笑いかけるというのか。

「うん、とっても嬉しい。だってキミは優しいもん、あれだけ理不尽な契約でもボクのこと殴らなかったし頭を撫でてくれた」

 ついさっきまで濃い茜色を浮かべていた空も、今や夜の色に染まりつつある。薄闇の中でも輝きを失わないその笑みが、今は無性に羨ましくて。

「……差別とか迫害とか、一方的な暴力なんて何も生まないだろ。そんなのは馬鹿馬鹿しいと思ってるだけだ。それに前後はともあれ、お前は殴られるほどのことはしてないだろ。
 妙な勘違いはやめてくれ、これでもかなり不本意なんだぞ」
「そっかそっか、ありがとうねアクトくん」
「お前絶対聞いてないだろ」

 あきれとも諦めともつかない息をついて、ようやくたどり着いた自室の前。リルアから荷物を受け取り、ドアを開けてみればなかなかに広い部屋があった。

「そういえばアクトくん、ちょっと待ってー」
「おう、どうした」
「えっとね、申し訳ないんだけどこの家、ずっと二人暮らしだったせいでろくに家具がなくて。悪いけどキミの家からベッドを運ぶのも骨だし、明日買いに行こうよ。
 というわけで今日はソファで寝てくれないかな、毛布はそこに置いてあるからさ」

 なるほど確かに、部屋がやたらと広く感じたのは机と椅子、ソファ以外がないせいか。元よりそれなりに広い部屋だ、場所を取る家具がなければもっと広く感じるだろう。

「了解。そんじゃあまあ……よろしくな、リルア」
「うん、よろしくねアクトくん」

 隣の部屋へとリルアが消えるのを待って、がらんとした部屋に入る。明かりをつけてみればそうでもなかったが、薄暗くて広い部屋ってのはどうも寂しいもんだな。

「……広い部屋、大きな窓とろくにない家具。季節は冬で時間は夜で──」

 気付けば一人呟いていた。あの日の記憶をなぞるように、西側の窓に歩み寄り触れる。
 その果てが見えないほど広い世界。誰がつくったのかも分からない町並み。いつ崩れ落ちるかも分からない夜空。
 どうあがいても触れることのできない、透明な壁一枚で隔てられたそれらは。
 あの日必死に叩き続けた画面の向こう、決して出ることのできない「外」のようだと思った。

「自由になりたかっただけ、だったんだけどな」

 キーやクリック一つで消えてしまうような、不安定な存在ではいたくなかった。無理だと分かっていてもなお、人間という存在に憧れて求め、同じものになりたいと願い続けた。

 その結果がこの姿だというなら、もはや笑うしかないだろう。

 ひっそりとぶら下がるチョーカーに触れ、こぼれた溜め息は窓を曇らせて薄れる。人間どころか生物ですらないこの体は、どうして呼吸を必要とするのだろうか。
 ヒトとよく似た体は脆い。呼吸ができなければ死んでしまうし、食事や睡眠をとらなければやはりゆっくりと死ぬ。排泄の有無など細かな違いを除いてもまだ、どうしてそこまで人間を模す必要があったのかと思うほどに忠実なつくりをしたこの体は。

「……マスター」

 あふれる涙を止めることができないほど、皮肉なことに人間臭い。
 隣の部屋にいるリルアに悟られぬよう、押し殺した嗚咽と共にへたりこんだ。ひんやりと冷たい床が俺の体温を奪って、体の芯から震えが走る。
 こんなはずではなかった、こんなはずではなかった。

「会いたい、です……ッ」

 一ソフトウェアの分際で泣くことが許されているのは、心という重荷を背負う代わりの笑えない救済だろうか。そんなことで癒えてしまう傷なら、最初からないものと同じだろうに。
 ……ああ、だって俺たちはソフトウェアです。あなたがもういないことを痛いほど分かっているのに、俺はまだどこかであなたの帰還を待ち続けている。
 結局何もできないままに、待つだけの今日も終わりを告げる。マスターはまたいつものように、帰って来てはくれなかった。

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静海

小説を書くこととゲームで遊ぶことが趣味です。ファンタジーと悲恋と、人の姿をした人ではないものが好き。 ノベルゲームやイラスト、簡単な動画作成など色々やってきました。小説やゲームについての記事を書いていこうと思います。

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