「おはようございますアクト。目覚めは良好ですか?」
深紅の髪が垂れ下がり、天蓋のように視界を塞ぐ。
「すこぶる、悪い」
床に転がる俺へと覆い被さったまま、こちらを見据える瞳もまた深紅。寝起きのためか気だるげに、胸元を開けた姿で声もなく、笑う。
「それは大変ですね。理由を訊いても構わないでしょうか」
「……分かってるくせに、言わせるんじゃねえよ」
至る所がぎしぎし痛む、満身創痍の体で呻く。そうして彼の頭を引き寄せた俺は、その耳元にそっと唇を寄せた。
「お、ま、え、がソファを奪ったせいだろうが、このドアホフェリクス!」
朝っぱらから全力の咆哮である。ああもう喉と腹筋が痛い。
「くっ……色々な意味で耳が痛いですね……」
そんな言葉とは裏腹に、悪びれた様子すら見せず「それでは改めて、おはようございます」と。こっちは床で寝たせいで、あちこちが痛いというのにいい笑顔だ。殴んぞ。
「はいはいおはよう、俺の安眠を返せ。
……というかそろそろ離れろよ、これじゃ動けないだろ」
「ええ、そのためにこうしていますから当然ですね」
言われて眉間に力が入る。それはかつての日々の片隅、マスターが熱心に書いていた小説の一節。
「……なんて、冗談ですからそんな怖い顔をしないでください。
まさにこのようなシチュエーションで、とあるキャラクターがそう言い放った小説を思い出しまして。このパソコン内にあったはずですが、あなたは知っていますか?」
「そりゃあマスターが、俺を使って書いてたわけだし……なんでお前が知ってるんだよ」
「そのデータを読んだことがありますからね」
「はあ?」
さっぱり意味が分からない。俺たちを構築しているデータはこの肉体や精神として機能しているのだから、そのソフトウェアがアウトプットしない限り他人が知ることなど──
「……セキュリティスキャンか!」
「大正解。さすがはアクトですね。
私たちセキュリティソフトにだけは、この世界の全てのデータにアクセスする権限があります。マルウェアに感染していないことを確かめるための大切なチェックですし、こればかりは責められても困りますよ」
「う……すまん、なんか恥ずかしくてな……
で、その小説がどうしたっていうんだ?」
「『人工の人格は必ず、自らの主を盲目的に愛するよう設定されている』……それは種族を超えた感情に戸惑いながら、芽生えた想いをこわごわと抱き締める美しき愛でしょう。
ですがその小説、随分と『人間だけに』都合のいい設定だと思いませんか?
つくり出された人格にも心があるのなら、マスター以外に芽生えたかもしれない感情を制限されてしまうのは可哀想だと思うのです。
ね、アクト?」
そこでどうして俺に話を振るんだ、と苦い顔をしてもフェリクスは動じない。それどころか先ほどの意趣返しだとでも言わんばかりに、伸びてきた手が俺の頬に触れて。
「『マスター……俺はずっと、ずっとあなたのことが……!』」
「おいこら再現すんな」
無駄にいい声と容姿の良さも相まって、なかなか様になるがそういう問題じゃないだろ。今にも泣き出しそうな表情で囁くフェリクスを押しのけ、俺はさらに深く眉をしかめた。
「ったくさあ、なーにが『リルアの純情は私が守ります、今夜は見張りますからね!』だよ。結局お前、俺の寝てたソファを占領して爆睡しやがっただろうが」
「そう言いながらも私を引きずり下ろさないところに、あなたの不器用な優しさが見て取れますね!」
「うるせえシスコン!」
ソファの占領と爆睡に関しては、こいつがいつも仕事に忙殺されていることを考えればまだ許せる。睡眠不足や蓄積した疲労のつらさは俺も知っているつもりだし、一晩くらいなら床で寝てもいいかと譲ったことは確かだ。
「つーかほんと、いい加減離れろっての。こんなとこリルアに見られたら誤解の嵐だぞ」
床で寝ていた俺に躓き、転んだ拍子にこうなったという経緯もまあ認めよう。それでも被害者は大方こちらなのだ、反省の色も謝罪の言葉もないままに悪ふざけをされると少々苛立ってくる。
「おっと、そうでしたね。不快に思ったのならすみません、どうにも他者との距離感がつかめなくて」
だが、犬歯をむき出しにする勢いで不機嫌を顔に出してみれば、意外にもあっさりとフェリクスは離れた。
「私は自室に戻ります、身支度を整えたら朝食の席に向かうとリルアに伝えてください」
「あ、ああ……」
決してそれを望んでいたわけではないが、屁理屈を並べてからかわれるのだと思っていたばかりに拍子抜けだ。申し訳なさそうに眉を下げ、部屋を出ていく彼の背中にふと、リルアの言葉を思い出す。
「信頼は厚いが友達はいない、ねえ」
あの様子では大方、部下からは好かれていても「上司」としてしか見られていない可能性が高い。その上リルアは義妹なのだから、常識内のスキンシップは当たり前とすれば「他人」との距離感がつかめないのも無理はないだろう。
「……俺も着替えるかな」
溜め息と共に呟いて、床に置きっぱなしだった荷物をあさる。昨日リルアに買ってもらった服に着替え、チョーカーが未だ外れていないことに再度息をついた。
「夢じゃないんだよなあ」
「そうだねー、夢だったらよかったかな?」
「おおう!?」
そのとき背後から響いたのは、もはや耳慣れたソプラノの声。自らが上半身裸であることも忘れ、振り返った先にはやはりリルアがいた。
「ちょっ……着替えてるんだからノックくらいしろよ!」
「ボクは気にしないよ?」
「そ、ういう問題じゃ……!」
無垢な瞳で首をかしげ、てこてこ歩み寄ってくる彼女と後ずさる俺。極力その顔を見ないように下がり続けるも、部屋の面積には当然限界があった。
「ねえアクトくん、ボクの質問に嘘偽りなく、もちろん逃げずに答えてほしいんだ。
──これは命令、だよ」
「ッ、ぐ」
俺の背中が壁に当たった途端、固まったように両脚が動かなくなる。相変わらず理不尽な「命令」だと、楽しげなリルアを睨んでも効果は薄いようだ。
「ねえアクトくん、さっきまでお兄ちゃんと何してたの?」
「聞いてた、のか」
「だってボクは楽曲作成ソフトだよ? 歌が得意で声帯模写も得意、耳だっていいからある程度の範囲なら色々聞き取れるんだ」
……もしかしなくてもバレている。大抵の男からすれば、美少女に至近距離から見上げられ、愛らしい声で囁かれるというのは至福の瞬間だろうが──それは少なくとも、自らの体が自由に動く状態であれば、の話だろう。
「なんだよ、それなら全部聞こえてたろ? あれは主にあいつの悪ふざけで、別にいちゃついてたわけじゃ」
「違うよー、ボクが訊きたいのはお兄ちゃんの髪とか触った? とかそういうあれだよ」
「……髪?」
目を点にする俺の前、頷くリルアはどこか寂しげに微笑む。
「ほら、お兄ちゃんってボクを大事にしすぎてると思わない?」
「まあ、それは確かに」
「ボクもお兄ちゃんが大好きで大事で、別にそこまでならいいんだけど。どうやらお兄ちゃんも何か思うところがあるみたいで、ボクにだらしない姿は見せたくないみたいなの」
「ふむ」
考えてみれば確かにそうだ。先ほどの彼も「身支度が済んだら朝食の席に向かう」と言っていたから、リルアの前ではかっこよくいたい願望でもあるのだろうか。
「ボクとしては、せっかく家族になれたんだから自然体で接してほしいんだけどねー……」
「ははあ」
「まあともあれ、さっきは何をしてたのかなーって気になっただけだよ。
あっもしかして、それってボクの夢でもあるんだけど……ちょっともつれ気味の髪に触ったり手ぐしで整えたり、変な姿勢で寝たせいで痛む場所をさすってあげたりした?」
「誰がするか」
はしゃぐ拳も輝く瞳も、「もう少し違うものに興味が向いていれば」ただただ可愛いだけなのにブラコンとは難儀なものである。
だが元より、血縁者というものを持たない俺たちのことだ。彼女のような生い立ちなら余計に、好き合った者が共に暮らすことによって初めて得られる「家族」というものに憧れ、のめり込んでいくのも仕方のないことだろう。
「……別に、羨ましくなんか」
「え? アクトくん何か──」
「おや二人とも、ここにいたのですね」
大方そのとき、ぎくりとしたのは俺だけではなかっただろう。
半ば無意識に落ちた言葉の意味など、何しろ無意識なのだから俺にだって分からない。リルアの前で隠し通すことなどできないのだから、フェリクスが来てくれたのは正直ありがたかった、が。
「な、何をしているのですかアクト……っ!」
悲鳴のようなフェリクスの声が、ごく唐突に俺の拘束を解いた。
「なぜ半裸なのです! まさかリルアに襲いかかろうと……!?」
「ち、違うよお兄ちゃん! アクトくんの着替え中にボクが乗り込んだだけで、アクトくんは悪くないよ……!」
「そ、そうなのですか……? ならいいのですが……
ところでアクト、あなたはなぜ床に這いつくばっているのですか?」
「な……んでだろうなあ……」
あまりに突然両脚が自由になるものだから、バランスを崩して倒れたなどとは言うまい。それよりも今、どうしてこのタイミングで「命令」が解けたのか、ということの方がよほど重要な案件だ。
「アクトくんはそういうひとじゃないからね、勘違いで燃やしたらダメだからね」
「む、随分とアクトのことを信用しているのですね?」
「そりゃそうだよー、アクトくんはマスター一筋なんだから当たり前でしょ?
それにアクトくんは、お兄ちゃんの大事なお友達だからね。アクトくんを信用するのはつまり、お兄ちゃんを信用するってことでもあるんだよ」
「り、リルア……! ああリルア、私の可愛い妹よ……!」
……まあ、今の状態で「命令」のことを言い出せるほど俺は図太くないけど。
互いを強く抱き締めて、二人だけの世界に入ってしまったらしいリルアたちのそば。立ち去ることも声をかけることもできない俺は、これ以上ないほど無様に蚊帳の外である。
というか腹が減ったんですが。昨日の夕飯も結局抜いたわけだし、そろそろ俺も倒れそうです。
きっと階下で冷めているであろう朝食を想い、俺は何度目になるかも分からない溜め息をついた。
ノベリスト・シンドローム【4】
静海
小説を書くこととゲームで遊ぶことが趣味です。ファンタジーと悲恋と、人の姿をした人ではないものが好き。 ノベルゲームやイラスト、簡単な動画作成など色々やってきました。小説やゲームについての記事を書いていこうと思います。
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