「……な……」
一人案内された部屋のドアを開ければ、そこに広がっていたのは豪奢な停滞だった。
「待っていましたよアクト、好きなところに座ってください」
窓際には少年姿のフェリクスがいて、壁にかかった時計は確かに時を刻んでいる。センス良く置かれたアクセサリーはきらきらと光を散らし、外からは他のソフトウェアたちが立てる音だって聞こえるのに、呼吸も脈も止まりそうなほど、この部屋には時の流れが感じられなかった。
「……なんだよ、これ……?」
かすれた声で呟けど、目の前の現実は何も変わらない。中から手招きするフェリクスがいなければすぐに逃げ出していたのに、俺はこの部屋に入らなければいけないのだ。
──まるで泥の中にいるようだ、と思った。
震える足で一歩、また一歩と足を進めるたび、もう戻れない道を歩いているのではないかという錯覚に陥る。例えるなら底なし沼の中央へと、命を絶つつもりで足を進めているかのような──
「アクト!」
「っ、は」
息が、できる。
我に返れば部屋の中、フェリクスに腕を掴まれたことも気付かずへたり込んでいたようで。すぐ近くには透明な破片が散らばっているから、おそらく俺が割ってしまったのだろう。
「大丈夫ですか、顔色が悪いですよ……!」
「ああ、もう大丈夫だ……むしろお前の方がひどいだろ、なんでそんなに真っ青で……って、そうだこれ……すまん」
「いいえ、それはもう誰のものでもありませんからいいのです。それよりもアクト、本当に大丈夫ですか……!?」
……どうしてこいつはこれほどまでに、俺のことを心配しているのだろう。
まともに息ができていなかったせいか、ぼんやりと濁る思考回路はいつもより性能が落ちる。数度深呼吸してからフェリクスを見上げ、苦笑してみればようやくその顔に赤みが戻った。
「大丈夫、ですか……?」
「ああ、だからそんな顔するなって」
先ほどまでの息苦しさはすっかりと消えたが、またああなっては迷惑をかけてしまうだろう。せめて破片を片付けるため、箒とちり取りを探してこようか。
「どこに行くつもりですか?」
「いや、だってその破片くらい片付け……おい!?」
ふらつきながらも立ち上がり、部屋を出ようとする俺の目の前。さもそれが当たり前のように破片を拾うフェリクスは、今に限って手袋をしていない。
「待てよお前、せめて手袋くらいしろ! 指切れてるだろうが!」
「手袋をしていては細かい破片が拾えませんよ。それに私は死んでも蘇るのですから、これくらい怪我のうちにも入りません」
深紅のカーペットに血が滴ることも気にせず、全ての破片を片付けた彼は「お待たせしました」とソファを勧めてくる。それもリルアに向けていたような、いたってにこやかな笑顔付きで、だ。
「……お前、おかしいよ」
未だぽたぽたと出血する彼の手を、掴み上げればきょとんとされる。演技も嘘もきっと得意な彼が今、俺に見せたそれは何も疑わず、純粋に現状を理解していない目だった。
「お前の名前は『フェニックス』、つまりは『不死鳥』と呼ばれる伝説の鳥のことだ。死んでも蘇るから不死、しかも幼い姿で蘇るってところまで再現されてる。
少なくとも先の戦いではそうだったよな。でもお前、その様子だと今までに何度か……いや、『何度も』死んだことがあるように見えるんだが?」
「……正解だと言ったら、あなたは私に幻滅しますか」
「するわけねえだろ、元からお前に都合のいい幻想なんて持ってない。
けど、お前は俺に言ったよな? 俺がいなくなれば自分の世界は三割つまらなくなる、って。
そんなことを俺に言えるのにどうして、お前は自分を大切にできないんだ」
掴んだ手首がぎち、と音を立てた。その姿が少年となった今、俺の手でも簡単に握り込めるそれは血液に彩られて、いっそ命のない美術品のようにも思える。
「私、は」
「ああ」
「私は……あなたたちと出会うまで、何も、持っていませんでした」
紅い瞳がゆらりと揺らぐ。
「私は単なるセキュリティソフトです。当然創造する力なんてありません、むしろ壊すことばかりしてきました」
「ああ」
「その上インストールとアップデート時以外、私はマスターと共に過ごした時を知りません。ですからマスターを喪ったことが、私はあまり悲しくないのです」
「……ああ」
「私の力が不死であることも、きっと元より何もないから、失うものがないだけなのでしょう。たくさんの部下は個別の人格と体こそあれ、根本的な思考や行動は『私』が基準となっていますから──いくら慕ってもらえても『一人』では、友にも家族にもなれません」
凛と通る声が震えていた。外見相応に泣き出しそうな顔をして、フェリクスは何度も何度も首を横に振る。
「倒れていたリルアを拾ったのは、本当にただ『なんとなく』でした。私と同じ紅い瞳で、けれど私とは決定的に違う彼女は……私が予想したよりもずっと、私になついてくれたのです。
ですが先ほども言ったように、当時の私に友なんてものはいませんでした。だから彼女には何度も何度も、迷惑をかけて失礼なことをしてしまったでしょう。
ですがリルアは私のことを、義理の兄だと言ってくれた。それがどれだけ私の心を救ったのか、あなたならきっと予想がつくでしょう?」
「ああ、ちゃんと分かってる」
「彼女は私の太陽です。だから私は何度でも、彼女を守るために死にました。
当然ですよね、だって私は不死鳥です。何度も何度も彼女を守り、何度も何度も蘇り……ですがあるときから、リルアは私に笑いかけてくれなくなっていた」
乾き始めた血の道の上に、彼の涙がぽとりと落ちた。
「分からないのです、私は何か間違ったことをしたのでしょうか。
他人との距離感を掴みきれないないまま、抱き締めたり頭を撫でたりしたから? 彼女が止めるのも聞かず、大きな屋敷を買ったから? 死ぬときの私が無様すぎて、愛想を尽かされてしまったから?
大きな家だけではなく、彼女が好きそうな宝石や服、美術品はいくらでも買い集めました。けれどリルアは余計に笑わなくなって、明るく接してはくれるのにどこか悲しげで。
……時期からすればその頃からでしょうか、リルアがあなたの名前を口にするようになったのは」
「……俺?」
彼の涙をぬぐおうと、伸ばしかけた手は疑問符と共に止まる。突如現れた俺の名前に戸惑っていれば、フェリクスは威圧するように俺を見上げ、「憶えていないのですか」と溜め息をついた。
「私も当初、それがあなただとは知りませんでしたがね。
ともあれ彼女は、出先で攻撃されかけたところを助けてもらった、と嬉しそうに言っていましたよ。その上瞳の色を褒めてもらったと、初対面から随分な高評価でした」
「ええ……?」
俺とフェリクスはインストール時期が近かったらしく、当時からある程度の仲だったと聞く。だが俺とリルアと知り合ったのは、フェリクスの紹介によりそうなっただけで俺から歩み寄った憶えはない。
「……まあ、憶えていないなら無理にとは言いませんが。
そしてリルアはそれ以降、その男にやたらと会いたがるので仕方なく探しました。なかなかに情報が少なく、あなただと発覚するのは少し後になります……が、正直それまでは悪い虫がついたとばかり思っていました」
「ひどい」
とはいえマスターへの想いも規術の使い方も、俺が「自分」に気付いたときにはもうそこにあったそれらは、裏を返せば「いつそれを手にしたのか分からない」ということで。俺が「自分」を自覚するまでの「俺」が、どのようなことをしていても他人の所業でしかない。
「だってそうでしょう? この残酷な世界の中、唯一の心のよりどころが見知らぬ男のことばかりなんて……相手は何を考えているかも分からないというのに」
「なるほど、そりゃそうか……」
「この世界に存在するソフトウェアが全て、レイさんのような方でないことは彼女も痛いほど分かっているでしょうがね。
……とまあ、大方そのような形で私たち三人は出会ったのですよ」
ようやく調子が戻ってきたらしい彼の涙をぬぐい、そうかそうかと頷けばふくれっつらをされる。俺からすればちゃんと聞いていたつもりだったが、どうやら彼には不満が残っているらしい。
「なんだよ、ちゃんと話は聞いてたろ?」
「それはよく分かっていますよ、ですがあなたも鈍感ですねアクト。
今の話を踏まえて私が言いたいことを、あなたはおそらく理解していないでしょう?」
「え……?」
「あなたと過ごすようになってから、リルアがどれだけ楽しそうに笑っているか……以前の彼女を知らないあなたには想像しにくいとは思いますが。
私には向けてくれなくなった笑顔を、リルアはあなたにだけ惜しみなく向ける。先日はそれがショックで固まりもしましたが……それも含めて説教タイムです。逃げようなどとは思わないでくださいね?」
「足が痛い」
「でしょうね?」
「なんで俺だけ正座なんだよ」
「説教ですから仕方ありませんよ、私はソファの上から快適にお送りしますがね!」
ソファの上から俺を見下ろし、笑うフェリクスは「さて──」ともったいぶったふうに足を組んだ。その姿が少年であろうと青年であろうと、一連の動作が華麗であることに変わりはないのだと神の不平等さを呪う。
「先日あなたが運び込まれたとき、私はあなたに『これは調査が必要な案件だ、詳しいことが判明するまでは暴れないように』と言いましたよね?」
「言ったな」
「それから言葉通り、私は様々な方面で調査をしました。そして分かったことが二つありますから、よく聞いてくださいね。
──一つ目は、あなたたちがいつも使っている『規術』の危険性についてです」
細長い指を綺麗に揃え、フェリクスはソファをすらりとなぞる。
「あなたの夜遊びの件はリルアから聞きましたよ。今回に限らず、あなたが突然フリーズして倒れるのはいつも、規術を使った直後ですよね?」
「言われてみれば……そうだな」
「この世界において、規術などのイレギュラーな──要するにあなたたちが行うはずのなかった『攻撃』行為などの──動作を管理しているシステムを仮に『戦闘補助システム』と呼ぶことにしましょう。
私のようなソフトウェアは元より、補助されずとも規術を使うことができる特別製です。ですがあなたたちは、システムにアシストされなければ何一つ規術が使えません。
今回の調査で分かったのは、そのシステムも神ではないということです。いえ、神だからこそ、でしょうか。
……CPU、という言葉を知っているでしょう?」
「中央処理装置、か」
そこでゆるりと顔を上げ、頷く彼に唾を呑む。いつになく硬い表情で見据えられ、冷や汗が背をつたうのを感じた。
「ええ。このパソコンの中枢装置であるそれに、規術とその使用者が多大な負担をかけている、ということはご存知でしたか?」
「……初耳だ」
「私たちが生活するための行動も……というより、私たちは何をするにもCPUにわずかな負担をかけています。けれど、規術を行使する際の負担はそれを遥かに上回るようで。
当然ですよね、私たちが意思と姿を持って動き回ることを前提に、このパソコンがつくられているはずがないのですから。
結論から言います。
あなたは今のように戦い続ければ、もうじき体を失って、物言わぬワープロソフトに戻るでしょう」
一瞬、自分が何を言われたのかよく分からなかった。
「戦闘用につくられた私たちとは違い、あなたのように好戦的な──言い換えれば、CPUに大きな負担をかけ続けるソフトウェアは、パソコン自体から敵とみなされ、私のような者の力によって間接的に『無害な存在』へと変換されます。
……具体的に言えば最初は警告の代わりに、ソフトウェアが術を使うたびにフリーズするという現象が起こるらしく。それでも負担をかけ続けた場合、戦闘意欲を削るために感情データの破損が始まり、最後には体のパーツが徐々に燃え落ちていくそうです」
「……は?」
「加えて、マルウェアには言葉を話すだけの知能がない、と言われていたのは間違いでしょう。
単なる破壊特化ソフトウェアであれば、統率などのために必要最低限、感情プログラムが必要です。加えて先日、炎に包まれて落ちた私を見て、あのマルウェアは一瞬だけ顔を歪めた。
そこにある程度以上の知能がなければ、彼らは『自分のやったこと』を理解して表情をつくることなどできない。それだけの知能がありながら言葉を話すことができないなんて、妙な話だと思いませんか」
「つまり……?」
「これらは私の推測ですが──彼らは言葉を自ら、あるいは製作者が封じています。おそらくは抹消のリスクを少しでも減らすため、言い換えればこの世界に極力多く害を及ぼすため、言葉という要素を排除したのでしょう」
……目まいが、する。
頭を押さえ、体を折り曲げれば床に沈み込んでいくような心地がした。つまり俺はもう、戦うこともできない上マスターに使われることもない、ただのお荷物に成り下がると?
「この姿で動いているとき、私たちのブレーンは自身のソフトウェアです。そして、そのソフトウェアによってつくり出されたデータが、感情や人格、体だといいますよね。
脅すような言い方になってしまいますが、マスターとの思い出を失いたくはないでしょう?」
「……俺、は」
「私たちが戦いで傷ついたとき、失われたデータは『ゴミ箱』の中、外から見ることのできないゾーンにあるそうです。一定期間内にそれを復元呪文で戻すことは可能ですが、ゴミ箱を経由せず、データを直接削除してしまえば戻すことはできない。
私の言いたいことが分かりますか、アクト」
いや、だ。
理解できているのに分かりたくなくて、かぶりを振ってしまいそうになる。がたがたと震え始めた体を抱き締めるように、俺はその場に丸くなった。
「ですがまだ、あなたに道はあります」
「……え……?」
「二つ目はその対処法についてです。
あなたと同じような症状が出ていたことのあるソフトウェアに話を伺ったところ、しばらくの間CPUへの負担を抑えれば、また以前のように戦うことが可能だそうです。
もちろん今までのように、戦い過ぎれば元の木阿弥ですが……要するに休めということです。あなたは少々、無理をしすぎたのですよ」
言葉が出ない。
フェリクスが言っていることは理解できた。理解できてしまったからこそ、安堵より先によぎったレイの言葉に絶句せざるを得ない。
「……な、あフェリクス……
お前はリルアの故郷で、仕事の斡旋をしてるっていったよな……?」
「……はい」
「それはマルウェアと戦う仕事だって……不調なやつも多いって……」
「……はい」
眉間に深いしわを刻み、頷くフェリクスに心拍が加速する。
「お前らが戦闘専門だからって……知らなかった、なんて言わないよな……?」
「……残念ながら」
ぞわり、と。
全身に立った鳥肌と、体の芯から来る震えに思考が凍った。
「まさか緊急の案件って、まさか!」
「……そのまさか、です。
今日になってから、いきなり仲間が燃え始めた、という連絡が彼らから入り……先ほどまで応急処置に追われていました」
鈍器で頭を殴られたような、という表現がこれほどまでに似合う場面を、俺はおそらく他に知らない。
「皮肉なものですね、彼らがそうなった原因は私たちであり、その原因をつくったのは私なのです。
良かれと思ってやったことが、一度は感謝もされたことが、そんなことを引き起こしてしまうなんて想像もつきませんでした。彼らはまだ事の詳細を知りませんが、いずれ明らかにしなければいけないなんて。
……休めば元に戻るのは、焼失が始まる前まででしょう。私は彼らにどのような顔で、どのような言葉で、どのように謝罪すればいいのか全く分からない……!」
「なん……で」
リルアと仲良く会話する、レイの笑顔を思い出す。彼らだって生きるために必死で、フェリクスに感謝していると言っていた。
もちろん彼らがそうならなければ、この現象も明らかにはならなかっただろう。けれど必要な犠牲だったと切り捨てられていては、彼らがあまりにも報われないではないか。
「……私は今まで、マルウェアたちを悪、自分たちを正義だと信じて生きてきました。しかし私には、壊すことができても創ることができません。
あなたやリルアのように、マスターの入力した世界を表現し、マスターの愛を受けて構成された『生きる』人格すら持たない私は。絶対的正義でいなければいけなかった私は。
決して正義を名乗ることのできない、愚かな存在でした。
私には何も創れない。破壊者が悪だというのなら、正義の象徴だったはずの私もまた、悪です」
うなだれたまま落とされる声は、いつものような張りを完全に失っていた。幼い表情には似つかわしくない苦悶が、どこまでも深く刻まれた悲痛さを如実に語るようで。
「……あなたはやはり優しいですね、アクト。自分よりも他人の心配をするなんて、この状況ではとてもできることではありませんよ」
「違う、俺はただ……」
「あなたは私の知人によく似ています。だから少しだけ、聞いてくれませんか。
……いつか私が愛した、眠り姫の話を」
「眠り姫……?」
「私たちが不死であることは、正確に言えば『死なない』のではなく『死んだときに限り、体のスペアがいくらでもある』ということです。つまりは一度死ななければ、元に戻ることはできません」
伸ばした掌を宙に踊らせ、平らな声で綴られる事実。
「その上ソフトウェア本体──ブレーンは単なる器です。その中に情報が詰まっているからこそ、私たちは動くことができるわけで。
つまり、大きなダメージを受けて体の大部分を損傷した場合、この姿で活動するための情報が少なからず失われます。復元呪文で形だけ直ろうと、しばしの間辻褄合わせの眠りに囚われることとなる」
その手が宙でぴくりと止まり、蝶の翅が散るようにソファへと落ちた。
「……失血死した人間にいくら輸血しようと、魂が戻らないことと原理は同じでしょう。眠りの期間こそ分からないものの、私たちには目覚める可能性が残っているだけ残酷かもしれませんがね」
苦笑の混じる息をつき、ソファに座り直したフェリクスは遠い目で呟く。
「……彼女もまた、そうやって眠ったままの一人です」
「彼女、って」
「私の部下の一人です。もう随分と昔の話ですが……マルウェアに攻撃されそうになった私をかばって、大怪我を負ったまま目を覚まさなくなりました」
そうして彼は目を閉じる。噛み締めるように懐かしむように、過ぎ去った彼女との日々を描いているのだろうか。
「本来そうはならないはずの『フェニックス』隊員が眠ってしまったのは、おそらく次のアップデートで直るはずだった不具合が原因でしょう。けれどマスターが倒れたことにより、そのバージョンは未実装のままです。
フェニックス内での争いを防ぐため、私たちは意図的に仲間へ攻撃することができません。その上機能が停止した者を攻撃するほど、マルウェアも無駄撃ちはしないようですし。
だから彼女は灰になって復活することもできずに、今も本部の奥深くで眠っています」
長く長く、この世で最後の呼吸のように息をついたフェリクスがまっすぐに、その紅い瞳で俺を見据える。押し殺しきれなかった悲しみが端々ににじむ声で、だから、と続けた。
「私は不安で仕方ないのです。このままではいつかあなたまで、彼女のようなことになってしまうような気がして」
「フェリクス……お前」
「ふふ、同情してほしくて話したわけではありませんよ。それでも私は彼女が好きで、誰かに同じ思いをさせたくなかった。そんな事実を口にしただけです。
……友にも家族にもなれぬ『自分』すら愛し、そして失った私は『死なない』のではなく『死ねない』我が身を何度恨んだか分かりません。ですが死にたかった不死鳥の孤独は、今ようやく終わりを告げようとしています。
ねえアクト、あなたとリルアがその終止符を打つ存在だと、私の生に必要不可欠な存在だと、これだけ言ってもまだ──理解してもらえないのですか?」
「……そんなの……っ」
喉の奥からせり上がる感情が、続く言葉を紡がせまいと声を塞ぐ。ああどうして、どうしてこの兄妹はこんなにも!
「もう正座は結構です、こちらに来て……そうですね、しゃがんでくださると嬉しいです」
どんな表情をすればいいのか分からないまま、顔を隠しながら歩み寄った。言われるがままにしゃがみ込み、指の隙間から見上げれば「顔を見せてください」とだけ。
「──不死鳥の祝福が、あなたにあらんことを」
直後額に触れたものが彼の唇だと、気付いたときには既に離れていた。
「知っていますかアクト、額へのキスの意味は『祝福』と『友情』ですよ」
「……はい?」
「おや、どうしてそのような顔をするのです。不死鳥からの祝福と友情の証なんてレアなもの、他にはそうないと思うのですが?
……おおっと、そうでしたそうでした。一つあなたに言おうと思っていたことがありました、最もポピュラーでオーソドックスな唇へのキスは、『愛情』の証ですよ」
誰にしろっていうんだよ、とツッコむ気力は既になく、うなだれていれば頭を撫でられる。
「ありがとうございます、アクト」
「え?」
「何も言ってませんよ?」
「いや言ったろ」
リルアほどの地獄耳ではないにしろ、俺だって耳が悪いわけではない。笑いながらも頑なに、何も言っていないと主張する彼を睨みつけておく。
「そういえばですね、今日は街で祭りが開かれていますよ」
「唐突だなおい」
「過去に固執していては進歩も進化も変化もできませんからね、これは必要な変移ですよ。
ですがあなたが意識を失っている間、遊びに行きたくても行けなかった女性がいることを忘れてはいませんよね?」
うっ。
「……リルアのことです、きっと今もそわそわしながら外を眺めているでしょう。一緒に行ってやってはくれませんか」
「お前が一緒に行けないから、か?」
「ええ、もちろんそれもありますね。ですがアクト、あなたもそろそろ前に進んではいかがですか?」
「は……?」
眉をひそめる俺を見て、フェリクスはやれやれといったように肩をすくめる。
「私の部屋に違和感を覚えたなら、あとはもう一歩先に答えがありますよ。
……立ち止まることが悪いとは言いません。ですがいつまでもそこに留まっていては、大切な誰かの背中ばかりを見つめることになります。
相手が必ずしも振り返ってくれるとは限りません。共に止まってくれるなんてほぼありえないでしょう、アイラ──いえ、彼女のように進めなくなった者ならばまた、話は別でしょうがね。
どうせ見るなら遠くなる背中より、すぐ隣にある笑顔の方がいいとは思いませんか?」
「……何が言いたい」
「それはあなたのとらえ方次第です。私はそれが正解であろうと間違いであろうと、『答え』の一歩前に導くまでのことしかできませんし、それ以上のことはしたくありません」
言うだけ言って彼は手を振る。俺はまだ何も言っていないのに、「いってらっしゃい」なんてひらひら、風に揺れるハンカチのような頼りなさと軽さで見送ろうとするものだから。
「次、は」
「はい?」
「次は、お前も一緒に行くんだからな」
「……ええ、必ず」
どうしても今、言わなければいけない気がした。ただそれだけのことにふにゃり、とフェリクスは笑う。
「その日を楽しみに待っていますよ、三人そろえばとてもとても楽しいのでしょうね。
いってらっしゃい、くれぐれも気をつけて」