ノベリスト・シンドローム【8】

「すごいねアクトくん、屋台がいっぱいだよー!」
「まあ、そりゃあ祭りだしな」

 夜の空気が喧騒をのせて、冷たくもあたたかなさざめきを届ける。見上げた空は夕焼けが最後の抵抗を見せ、リルアの髪をオレンジ色に透かした。

「でもよ、手をつなぐ必要性がどこにあるのか俺は分からん」
「アクトくんが迷子になったらいけないでしょ」
「俺は子供かよ……」

 インストールされてからの年数だけでいえば、まだまだ俺は子供なのだろうがこの扱い。別に一人前になったつもりはないにしろ迷子とは、ひどい言い方もあったものだ。

「それならチョーカー外しても」
「ダメ」

 即答かよ。

「感覚としては犬の散歩なんだよ、これは。ちゃんと首輪をしててもリードがなきゃ意味ないでしょ?」
「……その『首輪』が特別製でもか」
「うん」

 相も変わらず理不尽だ、とこぼれた溜め息にまた、リルアはひどく楽しそうに笑う。今の不死鳥には決して向けられなくなったという、この笑みが何を意味しているのか──それは残念ながらまだ、俺にはよく分からない。

「なあリルア」
「何かな?」
「……結局のところ、お前は俺をどうしたいんだ?」

 だからそれはただ純粋に、単純な疑問として口にした言葉だった。

「ほへ?」
「ごまかすなよ、さっきフェリクスが言ってたぞ。
 規術を使い過ぎたソフトウェアの末路と、それを回避するための方法を……フェリクスさえ知らなかったそのことを、お前は前から知ってたんだろ?」
「……なんでキミは、そう思ったのかな?」

 いたって穏やかに問い、リルアは近くの屋台でクレープを購入。チョコとバナナと生クリームが山となったそれを、「一口どうぞ」と俺に差し出す。

「甘いな」
「そうだね」

 口の周りに付いたクリームを舐め取っていれば、今度はたこ焼きを差し出された。

「このたこ小さくないか?」
「だねー」

 それからも綿あめをちぎったりお面を買ったりと、満喫している様子のリルアに手を引かれて歩いた。

「……あのね、アクトくん」

 顔を上げた彼女を見てももう、冷や汗が流れることはない。

「なんだ」
「ボクね、今すごく楽しいよ」
「そりゃよかった」
「誰かとおいしいものを共有して、こうやって手をつないで同じものを見て……みんなみんな楽しくて嬉しくて、ボクは今までこんな幸せなことを知らなかったんだなって」

 屋台通りからやや離れ、特設舞台がセットされた広場の中。繰り広げられる歌や踊りを照らし出す、ビビッドカラーのライトがやけに眩しいと思った。

「だから今、ボクはキミに言わなきゃいけないことがあるんだ」

 熱狂する人々の波と大音量の歌に紛れ、そのときリルアが俺の手を離した理由など知らない。

「リ……っ」

 ああそうだ、何もかも知らないし理解する気もなかった。だってもう俺の物語は、起承転結も序破急も過ぎ去った後日談だと思っていたから。

「リルア!」

 それが世界の答えで結末で、疑いようもない真実だとずっと信じていた。でも俺がもし、そう思い込むことによって自分を守っていたとしたら?
 始まらなければ終わることもない、焦がれなければ失うこともない。それは確かに真理だろうが、そのせいで俺はいつしか、大切なものを取りこぼすようになったのではないか?

 分からない、分からないんだ。

「どこにっ、行くつもり、だ……!」

 人ごみに流され、小柄な彼女はあっという間に俺の視界から消える。かき分けるようにして密集地帯を抜け、辺りを見回せどそこにリルアの姿はなかった。

「リルア、リルア!」

 今このときに彼女を探し出すことができなければ、本当に何もかもが終わってしまうような気がした。甘ったるいクレープの味が舌先にこびりついて離れないのは、たこ焼きの熱さが忘れられないのは、ふわふわの綿あめがあっさりと溶けてしまう感覚を知ったのは、みんなリルアのおかげでありリルアのせい、だ。

「どこに行ったんだよ、なあリルア!」

 自分でも驚くほど悲痛な声で、彼女の名前を呼んでは走る。息が切れても膝が笑っても走って走って、たどり着いたのはなだらかな丘の上だった。

「……あ……」

 無意識のうちに膝をつく。体がどうしようもなく、熱い。

 ──そこにいたのはいったい、どんな名前の禁忌だったのだろうか。

 満月を背負い歌う姿は、あるいは幻想あるいは神秘。いっそそれが罪であってほしいと願うほど、現実味のない美しさを持つ少女がそこにいた。

「リル、ア?」

 身に纏う衣装は踊り子のそれだろうか。月の光を浴びて輝く装飾品すら霞むほど、圧倒的で暴力的な美しさをもって──視界も鼓膜も、蹂躙される。
 目を離すとか離さないとか、もはやそういった次元の問題ではなかった。風に溶ける歌声と同じくらい透明な美麗さは、明晰であるのに白昼の夢のような、見続けることによってこの身が滅ぼうと構わない、なんて思わせるようなもので。

「……うん、やっぱりボクの思った通りだ」

 ふらりふらりと歩み寄り、その表情を見ようとすれば先ほどのお面で遮られる。猫の顔をかたどったそれの向こう、少なくともその声はけらけらと笑っていた。

「アクトくんなら見つけてくれると思ったよ、それも息まで切らせてさ」
「手を離したのは、わざと、か……?」
「そうだよ、ごめんね探させちゃって。少しだけ考えごとがしたかったんだ。
 ……さっきも言った通り、ボクはキミに言わなくちゃいけないことがある。でもそれは本当に『言わなくちゃいけないこと』なのか、ちょっとだけ迷ったんだ」

 冷たく澄んだ空気の中、祭りの熱は既に遠い。

「でも、やっぱり言わなきゃダメだよね。キミに訊かれたこともボクのことも、この際だからみんな話すよ」

 愛らしい面のその下で、リルアが僅かに目を細めたような気がした。

「……あのね、さっきのお兄ちゃんとキミの話、申し訳ないけどみんな聞こえてたの。その上で結論から言わせてもらうと、予想という形でこそあれボクは大方知ってました。
 前にさ、『紅い目の友達には顔を合わせにくくなった』ってボク言ってたでしょ? でも実はね、『顔を合わせる』ことはできなくても『陰から見守る』ことはよくやってたの。
 でね、そのときにふと、いつも活躍してるひとがすごく疲れた顔をしてて、まだ弱いひとがけろっとしてることに気付いた。もちろんそれは活躍しただけ貢献したってことだし、当たり前のことだと思ってたんだけど。
 ……その後からかな、活躍してたひとが突然倒れた、って聞くようになったのは」
「それってまさか──」
「そう。今のキミとほとんど同じ状態でしょ?
 戦う理由こそ違ったけど、どちらにせよ強力な規術の使い手さんが突然フリーズするようになったんだから心配でさ。生きるために戦ってる皆さんを、不確定な理由で止めることはできなかったから……ボクはキミを監視する、なんて言って観察のために利用しちゃったんだ。
 もちろん表向きの理由だったお兄ちゃんの件は本当だよ? でもボク側にもメリットがあったから引き受けた、っていうのも少しだけある、かな」

 時折ふわりと過ぎ行く雲が、月を隠して数秒の闇。トーンダウンする声だけをそこに残し、彼女の姿がしばし闇に消えるのを、俺は何度見つめていたのだろう。

「ごめんねアクトくん、キミにはたくさん謝らなくちゃいけないことがある。
 利用する形になってしまったこととか、お兄ちゃんとキミの話、うっかり聞いちゃったこととか……そもそもボクなんかと、ずっと一緒にいなければいけない状態にさせてしまったこととか」
「……今となれば案の定というか、みんな不可抗力だろ? お前が謝ることじゃない」
「ふふ、やっぱりアクトくんは優しいね。ボクはちゃんと知ってるんだよ、キミはちょっと不器用なだけですごくいいひとだってこと。
 ……だからこそボクはさ、キミに言わなきゃいけないことをまだ一つ迷ってる。優しい優しいキミのことだ、きっと答えは明白だろうに──すごくすごく、悩むことになるんじゃないかな、って」

 外された猫の面が、からりと音立て地面に落ちる。

「よければ自惚れだ、希望論だ、って笑ってほしいな。そうすれば多分、ボクはキミのことを諦めることができる」

 俺だけでなく世界まで、止まってしまうような気がした。

「ねえ、アクトくん。
 ボクはさ、ずっとキミのことが好きだったんだ」

 ──月光の下で輝くは、果たして宝珠か涙の粒か。

 紅い瞳からひとすじ落ちる、そのきらめきすら美しいなんて誰が知っていただろう。意識して深く息を吸い、やはり深く吐き出して少しだけ、止める。

「好き、って……」
「多分、キミがマスターに向けている感情と同じ意味のものだよ」

 返す言葉が見つからなかった。

「……その気になればキミを操って、ボクを好きにさせることはいくらでもできた。でもそれだけは絶対にしたくなかったし、誓ってそんなことはやってない。
 だって今みたいにいくら着飾っても、とびっきりの笑顔を向けても振り返ってくれない『アクトくん』だからこそ、ボクは好きになったんだもん」

 ……そういう、ことか。

「キミを利用したことは事実で、それ以前にお兄ちゃんの願いがあったこともまた事実。でもそれより前にね、ボクはキミと一緒にいられるのが嬉しかった。
 ……ごめん、ごめんねアクトくん。キミはマスターが好きで愛していて、その想いをずっと大事にしてるのに、そこにボクなんかが介入できるわけがないのに、どうしても言いたくて仕方なかった」
「リルア……」

 あまりにも唐突すぎる、とは確かに思っていたのだ。

 俺からすれば知り合いの義妹というだけで、リルアとの面識はほぼないに等しかった。それが突然同じ家、一緒に生活することになるなんて何を考えているんだ、とも。

 だがそれは違ったのだ、それもかなりの根元から。

「すごく勝手な言い分だけど、本当にただそれだけなの。だから返事はいらないよ、これはボクの自己満足でしかないから。
 聞いてくれてありがとうね、やっぱりボクはアクトくんのことが大好きだよ」

 吹っ切れたように伸びをして、リルアはにこりと笑ってみせる。地面に落ちたままの面を拾い上げ、「ごめんね」なんて砂をはらうその姿は、表情は、声色は。

 まるで今までの出来事が夢だったかのように、いつも通り愛らしいだけのものだった。

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静海

小説を書くこととゲームで遊ぶことが趣味です。ファンタジーと悲恋と、人の姿をした人ではないものが好き。 ノベルゲームやイラスト、簡単な動画作成など色々やってきました。小説やゲームについての記事を書いていこうと思います。

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