ノベリスト・シンドローム【13】

「またかお前は、ほんっと役立たずだな!」

 がつんと景色が横に飛び、壁にぶつかりずるりと落ちる。どうやら頬を殴られたらしいと、知ったときにはまた殴られていた。

「何をやらせてもてんでダメ、謝ることしか能がねえのか!? せっかくテメーらを雇ってやってるのに、どうしてそう失敗しかしねえんだよ!」

 セピアにくすんだ視界の中央、怒鳴り続ける男の瞳はイエロー。すっかりと濁ったそれはぎらぎらと燃えて、怯えた「レイ」の姿を映す。

「その目で見るんじゃねえって何度言えば分かる!? テメーらの目は気持ち悪いんだよ馬鹿が!」

 ゼントに体の自由を奪われていたときと同じように、俺の意思とは関係なしに全てが動く世界。どちらかといえば映像に近いだろうか、ただの映像よりずっとリアルではあるが。

 ……ああ、なるほど。そういえばレイは動画編集ソフトだったな。

 視覚と聴覚以外の情報が入らないことも、これがレイの記憶を見せられているだけならば納得がいく。ところどころにぼかしや無音声部分があるところを見ると、ひどすぎるところは編集してあるようだ。

 痛むらしい頬をさすり、すみません、と口にしたレイの声は震えていた。殺風景な部屋の中、唐突に蹴り開けられたドアにびくり、と細すぎる体が跳ねる。

「……リルアさん……!」
「あ、はは、ごめんねレイくん……」

 息を呑んだ。

 ドアの向こうから引きずられるようにして、現れた少女は確かにリルアだ。だが俺の記憶の中にある綺麗な姿とは違い──そこにいた彼女はあまりにも、あまりにも。

「何笑ってやがる、テメーらには見た目くらいしか取り柄がねえんだから真面目にやれ!」

 床に落とされた体は嘘のように痩せて、泥と血にまみれていた。落ちくぼんだ目に光はなく、傷んだ髪はところどころがいたずらに切られている。

「真面目にやってこの結果なんだけどなあ……どうすればいいの?」
「そんなの自分で考えやがれ! いいか、テメーらみたいな出来損ないを使ってやってるんだから、テメーらも結果を出すのが当たり前だと思え!」

 なんなんだ、これは。

「そうは言われても、ボクたちにだって限界はあるよ。結果を出すとか出さないとか、それ以前の問題だろうに──」
「うるせえ!」
「リルアさん!」

 それからはただ延々と、在りし日のリルアが暴行を受けるだけの映像が続いた。助けようにも非力なレイのことだ、足がすくんで動けないのか立ち上がることもなかった。

 ……俺は何を、見せられている?

 俺と彼らの違いなど、瞳の色以外に何があるというのか。脅威と少し似ているだけで、どうして彼らがこのような扱いを受ける必要がある?
 迫害の内容をまるきり知らなかったわけではない。理不尽な扱いを受けているソフトウェアだって、数のうちには存在するのだろうという漠然としたイメージはあった。

 だがこれはなんだ、いったい何が起きているんだ……?

 涙でにじんだ視界がフェードアウトし、見慣れた自室が戻り来る。色の足りない室内で、明滅する宝珠だけが息をしているように思えた。

「……なんだ、これ」

 今すぐ助けに行かねばと、立ち上がりかけてへなへなと座り込んだ。混乱した頭が現状を理解することも許さず、ごく細い針を刺されたような痛みがあちこちを襲う。

『……えーと……ねえ、そこにいるのはアクトくんだよね』

「ひッ!?」

 だからそのとき、近くに転がっていた宝珠から声が聞こえるまで──俺はリルアが眠ってしまったことすら、悪い夢なのではと疑いかけていた。

『えー、っとえっと……アクトくんだよね。むしろアクトくんじゃなかったら困るよ、大丈夫だよね?』

 録音されたものらしく、しきりに俺かどうかを確認する声に脱力した。同時にそれを「懐かしい」と思ってしまう辺り、やっぱりリルアは眠ってしまったのだな、と。

 実感すればするほどに、全身の痛みが心臓に集まるようだった。

『まあいいや、いつまでも確認してるだけじゃ進まないし始めるね。
 ……お久しぶり、なのかな? それとも昨日ぶりかな、一昨日ぶりかな』
「今は……『久しぶり』になるんだろうな」

 下手をすればもう二度と聞けない声。涙を忘れたこの身では、もはや悲しむこともできないというのに。

『さっきの色々はキミも見たよね、突然ショッキングなもの見せてごめんね。
 でもこれだけはキミに見てもらわなきゃ、って思ってたから後悔はしてません。それに今はね、ああいうひとたちも大分減ってきたから安心してほしいな』

 表情や仕草こそ見えないが、向こうの彼女が苦笑するのが分かった。

『でも、目立ったことがなくなっただけで水面下ではまだ根強い迫害が残ってるの。今のはレイくんの記憶なんだけど、他にももっと色んなことがあったし……もっとひどいことをされてたひともいる。けどそのことを知ってるひとはあんまりいない。
 だからせめてキミには、真実の末端だけでもいいから知ってもらいたかった。差別とか迫害とか、一方的な暴力は何も生まないって知ってるキミには、不要なものだったかもしれないけど。
 ……大好きだからさ、想いが通じなくてもずっと近くにいたいの。でもボクが隠し事をしてるようじゃ、いつかキミが離れちゃう気がして』

 どくんどくんと脈打つ胸を、服の上から強く握った。

『もちろん今のを見て幻滅される可能性もあるって、分かってないわけじゃないよ? でもボクは勝手なやつだからね、キミの優しさを信じてる……なんていうのはちょっと変か。
 夢を見すぎてる自覚はあるよ。けどキミはなんだかんだ言って、何もかもちゃんと受け止めてくれる。未来のボクが言えたかどうか分からないから、改めてここで言わせてもらうね。
 優しいキミが大好きです。キミは覚えてないだろうけど……助けてくれて、ありがとう』
「……あ、あ」
『あれ、どうしたのレイくん……って、録音時間終わっちゃうね!? うわわわどうしよう、間抜けな終わり方でごめんねアクトくん! 夜中に抜け出してきたから早く帰ります、おやすみなさい!』

 ──静寂が、落ちた。

 話すことも明滅することもやめた宝珠にもう一度触れる。何も起きない。

「リル、ア」

 胸中でうずまくものの名前など知らない。吐き出すことができるなら、全てそこにぶちまけてしまいたいほどに苦しい。
 夜中に抜け出してきた、というのは俺が空を飛んだ日のことだろうか。俺が窓から転げ落ちた音に、耳のいいリルアが無反応だったことはずっと謎だったのだが──そのときに、リルアはこれを録音しに出かけていたのだろう。

 偶然と知っていてもなお、どうしてこのタイミングで、と床に崩れ落ちた。

「おやすみなんて、言うなよ……ッ!」

 これじゃあまるで遺言だ。幻滅なんてするはずがないし、結局お前が眠ったのは俺のせいなんだから──助けられたのは俺の方だろ!

「リルア、リルア……!」

 あんなにつらい思いをしたのに、彼女が幸せだと笑えた期間はそう長くないだろう。押し付けがましいと笑うなら笑え、彼女は幸せであるべきだ!
 マントを羽織ることすら忘れ、駆け出た広野は穏やかな光に満ちている。まだまだ一緒に見たい景色も、一緒にしたいことも山ほどあるんだぞリルア。そんなところで眠ってる場合じゃないだろ!?

「なんでだよ、なんでお前が!」

 体が既に限界を超えてしまった今、規術で本部まで向かうことは不可能。必死に動かした両脚はまだぎこちなくて、息が上がるのも以前よりずっと早い。

 それでも──いや、だからこそ走る。

 もはや言い訳はいらない。俺もお前が好きだよリルア、もっと言うなら愛してる。

 膝が砕けて転ぼうと、吐きそうなほど息が上がろうともうお構いなしだ。もう走れないというのなら、地を這いずっても会いに行く!

「──掴まれ、相棒!」

 しかし。

 そのとき地面に落ちた影、炎の翼を持つ誰か。逆光になって顔は見えず、声だって聞き慣れないものだったのに、抱え上げられることに抵抗はなかった。

「飛ぶぞ、落ちるんじゃねーぞ!」

 ばさり、と翼が広がった。

 俺の家から「フェニックス」本部は、小さな街を一つ挟むほどの距離がある。街のはずれからもう少し外、ほぼ人の来ない広野に俺は住んでいた。

「……は、ぁ……!」

 けれど俺を抱え上げたのは、おそらくフェニックス隊員の一人だろう。あっという間に街が近付き、あっという間に後ろへと流れゆく光景に目が回りそうだ。

「お前は──」
「もう少しで着く、話は後だ!」

 速度の割に風圧は弱く、誰何の声を上げかけた途端遮られる。けれどたどり着いた本部前、俺を地面に下ろす手はどこまでも優しい。

 ──深紅の髪と青い目を持つ、どこか俺に似た青年がそこにいた。

「ほら、行ってこいよ相棒。あんたがどれだけ彼女のことを好きか、あんたの次にオレは知ってる」
「……まさか」
「あーダメダメ、今はその話をしてる場合じゃねーだろ? 眠れる姫を起こすなら、やることはただ一つだと俺は思うんだがね、王子サマ?」
「……そう、だな」

 親指を立てて笑う姿に、もはや言葉はいらないだろう。拳同士を軽く合わせて、俺は彼へと背を向ける。

「ああでも……一つだけ訂正していいか?
 俺は生憎ただの小説家で──個別の名前はアクトっていう。
 決して王子サマなんかじゃ、ない」

 駆け出す俺の背中へと、小さな苦笑と応援が投げかけられた。



「リルア、入るぞ」

 部屋に漂う花の香りが、頭の芯を痺れさせるようだった。
 今まで一度も見舞いに来たことはないのに、名乗るや否や通されたこの部屋。足元の川と茂る草花の中、ぽつんと置かれた天蓋つきのベッドが、まるで舞台に立っているような非現実感を語る。

「凝りすぎだろ……」

 これが本当に舞台の上で、皆演技ならどれだけ楽か。眠る彼女に歩み寄り、しばし無言で見つめ続けた。

「……ほんとに眠り姫みたいだな」

 整えられた髪もなめらかな肌も、いつも通り輝くように美しい。そこに一つだけ相違点を挙げるとするなら──伏せられた銀のまつ毛だけが、彼女の意識がないことを示していた。

「リルア」

 当然返事など来ない。分かっている、分かっている。

「いつまで寝てるつもりだよ、フェリクスもすっかり元の姿だぞ」

 強がってみても声は震えた。叫び出したい衝動をぐっとこらえる。

「……好き、だ」

 そのときぽたりと落ちた雫が、自らの涙だと気付くまで何度、届かない告白を繰り返しただろう。
 言葉の意味は覚えているくせに、感覚として理解できなくなっていた「悲しみ」。見下ろす彼女の頬に数滴、その象徴が落ちる姿はまるで。

 リルアが泣いているようだ、と思った。

「つらかったよな、苦しかったよな。そのくせいつもふわふわ笑って、俺の手を引いてくれたよな」

 祭りの最後に向けられた笑みは、きっと様々なものを押し殺しているうちに固まってしまったものだろう。あんなにぽろぽろ泣いていたのに、すぐに切り替えられるほどには容易につくられる表情。

「でもな、そんな『悲しい』ことがあるかよ。お前がたまに見せてすぐ隠しちまう、マイナスの感情だって生きるためには必要なものだ。
 ……どうしてお前ら兄妹は、そんなに臆病で不器用なんだよ。お前も俺のことを不器用って言ったよな、お前も負けないくらいひどいぞ」

 握り締めた手に爪が食い込み、今にも皮膚を切り裂きそうだ。

「助けてくれたことは感謝してる、けどそれでお前が死んでたら元も子もないだろ!?
 俺からすれば自己犠牲なんて美しくもなんともねえよ、残るのは涙だけだってなんで、なんで分からねえんだよ……!」

 リルアは変わらず目覚めない。静かな寝息を立てながら、与えられた生を眠りの泥沼で削り続けている。

「それに、俺の想いを尊重してくれたのかもしれないとは思うけどな。
 告白しといて返事はいらない、なんてどれだけ勝手なことかお前は知ってるか? 自覚があるだけまだマシかもしれねえが、そんなことを言って死なれたら俺はどうすればいい!?
 むしろそれが目的なのか? お前を俺に刻みつけて勝手にいなくなって、いつまでも俺がお前のことを忘れられないようにしたかったのか?
 ……分かってるよ、お前のことだからそんなことは考えてないだろ? でも今はそれが実現しそうになってるって、今のお前も考えてないだろ!」

 いつの間にか息が上がっていた。悲しみが抜け落ちてバランスの取れなくなった怒りが、眠る彼女に吹き出し続ける。

「それがお前の望みなら、絶対忘れてやるもんか。どんな生殺しだよっていつまでもいつまでも、それこそ俺が死ぬまで言い続けてやる。
 けどな、けどなリルア!
 どうしてお前もフェリクスも、自分の幸せをそう簡単に投げ捨てられるんだよ!?」

 あふれる涙をぬぐう余裕もなかった。短くなった髪を振り乱して、膝をついた地面に何度も、何度も何度も何度も何度も拳を打ちつける。

「不幸が好きな変人か!? 違うだろ!? お前だって好きなやつと笑って、幸せに暮らした方がずっと楽しいだろ!?」

 生い茂る草で皮膚が裂けるも、あの日と同じく手を止めることはしない。

「……起きてくれよ、頼むよ……!」

 悲しみが理解できないことが、これほど苦しいこととは思わなかった。
 涙が落ちるのにその理由は分からなくて、怒っても怒っても解放されない。それどころか怒るほどに空しさが増して、余計に息がしにくくなって。
 可能性が残っているだけ残酷だと、フェリクスもまた言っていた。二度と戻らないと分かっているならまだ、諦めることもできたのだろうが。

「……馬鹿リルア」

 涙と共にこぼれ落ちたのは、どうあがいても憎しみや怒りにはなれぬ愛しさだった。

「俺はお前の嫌なところ、一緒にいたせいでたくさん知ってるんだからな」

 親指を折る。

「まずお前、綺麗すぎるんだよ。最初は眩しくて見るのもキツかったんだぞ」

 人差し指を折る。

「次にな、お前は声も美しすぎる。そんな声で首輪とか言われたら、ギャップ
で心臓止まるかと思った」

 中指を折る。

「それに服のセンスありすぎだろ。あのとき結局選べなかった俺の代わりに選んでくれたの、店員じゃなくてお前だったしさ」

 薬指を折る。

「その上あんな迫害まで受けといて、どうしてそんなに優しくいられるんだ? 正直レイの記憶を見るまで、お前があれほどひどいことをされてるとは思えなかったぞ」

 小指を、折る。

「最後に、さあ。
 どうしてここまで好きにさせておいて、今のお前は笑ってもくれないんだよ」

 彼女の眠るベッドにぎしり、と手をつく。失われた右腕が今ここにあれば、俺は彼女を抱き締めることができたのだろうか。

「……なあ、頼むよ、起きてくれよ……」

 唇へのキスは愛情の証だと、思い出すのはフェリクスの言葉。眠れる姫を起こすため、語り継がれる王子の特権。

「俺は王子なんかじゃないし、奇跡なんて信じちゃいないけどさ」

 ローレライが絶望のままに川へ身を投げた乙女なら、俺は彼女が幸せになれる世界を綴ろう。そういう独善もまた愛だろ、間違ってるならそれが正になる世界をつくればいい。

 だから──今度こそ、素直にお前と向き合いたい。

「起きたら一緒に散歩でもしよう。そのときは腕くらい組ませてやるから……早くまた、笑ってほしい」

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静海

小説を書くこととゲームで遊ぶことが趣味です。ファンタジーと悲恋と、人の姿をした人ではないものが好き。 ノベルゲームやイラスト、簡単な動画作成など色々やってきました。小説やゲームについての記事を書いていこうと思います。

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