年を取ってから好きになったお粥
皆様は、お粥という食べ物はお好きですか。
筆者は、小さいころは味が感じられなくて好みの食物ではなかったのですが、年を取ってから、淡い味わいがわかるようになって、たびたび食するようになりました。ダイエットのためというのもありますが・・
お粥の画像
米だけのお粥より、雑穀やオートミール、豆などを入れたお粥にすると、飽きずに食べ続けられるようです。
日本におけるコメのお粥の歴史
コメのお粥の日本における歴史はとても古く、稲作が始まった頃から病人が出た時の食事としてあったと推測されます。
ただし、「おかゆ」という言葉の使い方は今と少し違っていたようです。当時、コメは蒸すか煮るという調理法で食べられていて、「炊く」という調理法はなかったので、コメを蒸したものが「おこわ」煮たものがお粥と呼ばれていたそうです。
11世紀から、今のお粥のような「ひめがゆ」「しるがゆ」と呼ばれる食物ができました。
なお、芥川龍之介の小説に出てくる「芋粥」は、ヤマトイモを甘く味付けしたもので、レシピ再現の様子を見た事があるのですが、お芋で作った甘い葛湯という感じのある食物でした。
今では、ヒエや粟は単独で購入すると逆に高い穀物になってしまいましたが、昔はコメより価格が安く、農村ではヒエや粟のお粥やご飯も一般的だったようです。
時代と場所によって違う「お粥」のイメージ
往年の某有名歌手が「家族みんなでお粥をすする事になっても」というような事を仰っておられたようですが、昭和の日本ではコメに困った時の食べ物、というイメージもあったようですが、中国ではむしろ贅沢な食べ物、というイメージの地域もありました。
それは、主に中国北方でのイメージで、ご当地ではお米が取れず、ほかの地域からの「輸入品」だったからです。
また、穀物の栽培を覚えたばかりの人類が初めて穀物を調理した形態もお粥だったようで、煮えた麦のお粥に火を通しすぎてパリパリになったものが無発酵パンの始まりで、メソポタミア地域に端を発します。それがエジプトで、発酵させた現在のパンの形に近いものになっていったそうです。
パンが作られるようになったシュメール文明では、パンは都会人の食べるもの、田舎者がお粥を食べるもの、というイメージがあったようで、あちこちの時代と地域でお粥は違うイメージを持たれているのが面白く思います。
今、日本でも中華粥の専門店ができてきたりしているので、おしゃれで消化がよい食べ物として定着しつつあるのでしょうか。これからの推移を見ていきたいと思います。
お粥について