昔は真剣に行われていた競争
皆様は、このブログの題名を見て、どう思われますか。
今はあまり重要なことと思われないでしょうが、
昔は名だたるお茶のブランドが、血道をあげてこの競争に参加していたのです。
帆船の画像
時代は帆船しかなかった頃の話にさかのぼります。
大きい船は荷物がたくさん積めるけれども速度が遅く、
小さい船は早い速度で航海ができるけれども荷物を積める量が少ない、というのが常識の時代でした。
しかし、商売というのは、早く到着したものの方が高い値段で売れる、というのが常識です。
例えば、秋になったばかりの頃に出回る初物のみかんと、晩秋や冬に大量に出回るみかんの価格を考えてみてください。
というわけなので、あるアメリカの業者様が、お茶をたくさん積んで、早く運ぶことができれば、かなりの利益が出る事業になる、と見込んで、「早くて大きな船」の建造に着手し、成功しました。そして、目論見通り中国のお茶を大量に英国に運ぶことに成功し、莫大な利益を上げたそうです。この船は「ティークリッパー」と呼ばれました。
もっとも、この計画を始めたころには、「あの人はおかしい。」とさんざん言われたそうですが・・・
ティーレースの始まりと終焉
そのことに危機感を覚えた英国の紅茶の業者様達も、続々と早く大量にお茶を運べる船を作り、リプトンやブルックボンドなどもお茶をいかに早く中国から英国に運ぶか、という競争を始めて、「ティーレース」とも呼ばれるようになり、賭けの対象にもなっていたそうです。
しかし、スエズ運河がレセップスという方によって難工事の末にひらかれ、大幅に近道をして茶葉が運べるようになった上に、スエズ運河は帆船の航行に向いていない構造だったので、このレースは終焉を迎えました。
今は、季節に関係なくいつでもコンディションのいいお茶を飲める時代になりましたが、当時は新茶の紅茶の季節が待ち遠しかったことでしょう。
ワーズワースというお方も、知人へのお手紙でお茶がなかなか届かない、と愚痴を言っておられました。
そろそろアイスティーの季節にが近づいてきたので、筆者はネットで見つけたフランス式のおいしいアイスティーを今年は試してみようかと考えております。
ティークリッパーについて