「やぶきた」というお茶の品種ができるまでの紆余曲折
皆様は、日本茶はお好みでしょうか。
筆者は、1日に1回はいただいております。
お茶の木の画像
今、日本で一番育てられている茶樹の品種は、「やぶきた」という名前ですが、
その品種が確立されて日本中に植えられるまでにはいろいろとありました。
この品種の元になった樹を見出して栽培を広め、ほかにもいろいろなお茶の樹の品種を作り出したのは、「杉山彦三郎」という人でした。
しかし、この人が生きていた当時には、茶樹の品種を固定して栽培したり、新しい品種を作成するという概念がない時代でした。栽培者の技量をもって良い茶を作ることに重点がおかれていた、ということなのでしょうか。
そのため、育てやすく品質が良い茶樹の原木を探して東奔西走した杉山彦三郎氏は、「変わり者」とか、もっと不味い表現で悪口をいわれていたそうです。
杉山彦三郎氏は、やぶきたの他にも、百種類程の品種を固定したそうですが、その功績が認められたのは死後になってからでした。
今も進む品種改良
いまでは、「べにふうき」など、花粉症に良いといわれるお茶まで品種改良で見出されて栽培されている時代ですが、これも、杉山彦三郎氏が品種改良を行った延長線上にある流れといえるでしょう。
これから先どんな品種のお茶が作られる傾向があるのか、茶業界の事情に詳しくない筆者にはわかりませんが、もしかすると、日本茶の愛好家が世界に広がるにつれて、杉山彦三郎氏の功績も世界的に広まるのかもしれません。
「やぶきた」茶ができるまでの経緯
杉山彦三郎について
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%B1%B1%E5%BD%A6%E4%B8%89%E9%83%8E