宮城県を代表する「ずんだ」ですが、どうしてできたのかなど、深堀してみたいと思います。
食品概要(特徴・種類)
枝豆を茹でて薄皮を取り除き、すりつぶしたもの。これに、砂糖と少量の塩を加えて混ぜ合わせてつき立ての餅を絡めたものが「ずんだ餅」で、宮城県の代表的な郷土料理。ずんだ餅、笹かまぼこ、牛タンと並ぶ宮城県の三大名物の一つである。
鮮やかな緑色の餡と、つるりと輝く餅とのコントラストが見た目にも美しく食欲がそそられる。ほんのりとした素朴な甘み、つぶつぶとした触感がもっちりとした餅と絶妙なバランスを作り出している。
餅を食べる機会が多く、正月や婚礼、法事、葬儀などの年中行事には欠かさず餅が食べられてきた。夏に収穫期を迎える枝豆を使ったずんだ餅はお盆やお彼岸の供え物として出されることが多い。
昔から、ずんだ餅は夏の暑さで減退した時の栄養補給に重宝されてきた。枝豆に含まれるビタミンB1とB2などの成分はエネルギー代謝を高め、疲労回復にも効果があるといわれています。
歴史・文化・関連行事
ずんだの歴史は古く、その名前の由来には諸説あり、伊達政宗が合戦の際に陣中で「ジン太刀(じんたち)の柄で枝豆をつぶして食べたのが始まりとなり、それが訛って「ずんだ」問う呼ばれるようになったという説や、仙台藩の領内に住んでいた「甚太(じんだ)」という農民が枝豆をつぶして餅に混ぜて食べていたところを見た人たちが「甚太餅(じんだもち)」と呼ぶようになったのが訛ってずんだ餅になったという説があるが定かではない。このずんだの食べ方をする地域は奥州一体であり、東北地方に多いそうです。今日、食されてる甘いずんだ餅になったのは、幕末の頃と言われているそうです。
ずんだ餅は枝豆が出回る7~9月だけのものだったが、自動さや剥き機の開発と、冷凍技術の発達により、一年を通して食べられている。全国的に有名になり、観光客の土産として購入されることも多い。
宮城の郷土料理として愛されているのは、正宗の歴史的背景が関連してるからと考えられます。
参考サイト様:農林水産省
探砲
「ずんだ餅」と伊達政宗公の関係とは⁉
名前の由来と歴史
誰もが知ってる仙台名物ずんだ餅。ずんだ餅とはそもそも何なのかを説明しながら、名前の由来や歴史、宮城県ゆかりの名将・伊達政宗公との関りまで幅広くご紹介!お餅大好き宮城県民に愛され続けるずんだ餅に迫ります。
「ずんだ」ってなんのこと?諸説ある名前の由来
枝豆でできた餡を「ずんだ」と呼びますが生はどこから来たのでしょうか?名前の由来については諸説ありますが、
今回は3つほど紹介します。
1.甚太(じんだ)という名前の農夫が作ったことから名付けられた説
甚太さんが考案したため「じんだ」⇒「ずんだ」に音が変化した
2.伊達政宗公が陣太刀(じんだち)の柄で枝豆を砕いたことから名付けられた説
伊達政宗公が合戦の最中に陣太刀の柄でつぶして食べた故ことで「じんだ(ち)」⇒「ずんだ」と変化した
3.豆を打つ様子を表して名づけられた説
「豆ん打(ずんだ)」と呼んだ
名前の由来がたくさんあるのも「ずんだ」が長年愛されてきたためなのではないでしょうか。
「独眼竜」の異名を持つ、名将・伊達政宗公。仙台藩主としてカリスマ性を発揮した彼は、食通でもあったようです。しかし、仙台味噌や凍り豆腐の原型を作ったという説もあり、単なるグルメ武将ではありません。また、客人に腕を振るった料理をを出してもてなした等、自分自身で料理をしていたとも言われているそうでうです。
そんな彼と「ずんだ」に関係はあるのでしょうか?
彼の陣太刀で枝豆をつぶして食べたことが「ずんだ」の名前の由来という説を紹介しましたが、栄養価が高く美味しいずんだ餅は、兵糧に関心が高く、食通であった伊達政宗公のお気に入りだったのかもしれないことを考えると「ずんだ」にロマンを感じるのではないでしょうか。
