丙(ひのえ)という年に火の話を

今年も残すところあと僅かということで、

来年の干支の話をしようと思います。

「丙午という年に、そっと火の話を…」

燃えるではなく、灯す年として

来年は、丙午らしいという話を聞きました。

私自身は、丙午にに生まれたわけではないけれど、

それでも、この言葉を残す空気は気になり、少し調べようと思いました。

丙午は、昔から強い年と言われてきました。怖い、と語られてきた理由も、歴史の中に確かに残っています。

丙という字は、外に向かって燃える火を表すと言われています。

隠された火ではなく、もう見えている火。

当事者ではないからこそ、怖いという言葉が先に立ってしまうこと自体を考えられるのかもしれない。

燃えることが危険だった時代と、火を持たなければ生き辛い今。

丙午という言葉が、誰かを怖がらせることではなく、自分を見つめ直すきっかけになりますように…。

燃えるのではなく、そっと灯す年として…。

同じ丙午でも、受け取り方は変わっていいのだと思います。

私自身、気付かないふりをしていた気持ちが、もう隠れなくなったと感じることがあります。

丙午同様に、豪の寅(壬寅・みずのえとら)

壬=大きな水(海・うねり)

寅=始まり・飛び出す力

・外から一気に動く

・社会・世界規模の変化

・抗えない流れに巻き込まれる感じ

「外側が荒れて、否応なく動かされるされる年」

丙午(ひのえうま)

丙=外に出る火。

午」=火のピーク

内側にあったものが表に出る

個人の感情・本音・限界

・自分の火と向き合う年

「内側が燃えて、誤魔化せなくなる年」

数年前、豪のトラと呼ばれた年があった。

大きな流れが一気に動き、個人の意思とは関係なく、「世界ごと揺さぶられた感覚」が残っている。

それに比べると、丙午は少し違う。

外から何かが押し寄せるというより、自分の内側にあった火が、もう隠れなくなるような年だ。

水に飲み込まれるような変化と、火をどう扱うか問われる時間。

同じ「強い年」でも、向いている方向は全く違うのかもしれない。

私自身は、どちらの年の当事者でもないけれど、外から動かされた数年を経て、今度は内側の声が無視できなくなっている人は、少なくないように感じます。

五黄トラが、抗えない流れを教える年だったのなら、丙午は、その流れの中で自分はどう生きるかを静かに問う年なのなのかもしれない。

丙午という年は、燃え上がる年なのか、

それとも、灯す年なのか。

その火をどう扱うかは、暦ではなく、それぞれの手の中にあるのかもしれない。

燃え上がるのではなく、灯し続けるために…。

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まるーさ

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