漢字の由来
佐賀県の「佐賀」という漢字の由来は、主に以下の3つの説や歴史的背景から基づいています。
1、楠の伝説(景行天皇の伝承)
最も有力な説は、日本書紀に登場する景行天皇がこの地を訪れた際に、この地域に楠が多く生い茂っているのを見て、「この地は栄える所だ」と称賛したという故事に由来しています。
その後、この「サカ」という響きに「佐賀」という漢字があてられたそうです。
2、「栄(さか)」から「佐嘉」へ
「栄」という文字が、月日が経つにつれて「佐嘉」という漢字に変化していきました。
古代の文献では「佐嘉」と表記されています。
3、「佐嘉」から「佐賀」へ
江戸時代から近代にかけて、「佐賀」という表記が定着しました。
かつては、「佐嘉」や「佐賀」の他に、「佐賀の咾(ろう)」という表記が使われていた時期もあったそうです。
まとめ
「栄える楠の地」という伝説に由来する「栄」が、漢字の表記が変化して現在の「佐賀」になったと言われています。
歴史
佐賀県は、弥生時代の吉野ケ里遺跡や幕末に「佐賀の七賢人」を輩出し日本の近代化をリードした歴史を持つ「葉隠(はがくれ)」の地となります。
江戸時代は佐賀鍋島藩として陶磁器(有田・伊万里焼)の発展により、海外交流の拠点となりました。
明治維新期には技術力で国を支えていました。
弥生時代(古代の拠点)
吉野ケ里歴史公園は日本最大級の弥生環濠集落遺跡
江戸時代(技術・文化)
鍋島藩の下、日本初の磁器「有田焼」が誕生しました。
佐賀城跡(本丸歴史館)を拠点に肥前文化が栄えました。
幕末・明治(近代化の立役者)
鍋島直正、大隈重信ら「佐賀の七賢人」が活躍していました。
蒸気船や反射炉など最新技術を導入しました。
明治維新の「消滅」
1874年の佐賀の乱で、約7年間は長崎県に統合されていた時期がありました。
歴史文化・伝統
唐津くんち
唐津神社の秋季例大祭
伝統工芸
佐賀錦・鍋島緞(だん)通など
