漢字の由来
長崎県の「長崎」という地名は、主に2つの説が有力となっています。
1つは、かつてこの地を治めていた鎌倉時代の御家人「長崎氏」に由来するという説です。
もう1つは、現在の長崎港付近の「長くつきだした岬(崎)」という地形に由来するという説があります。
長崎氏由来説(有力)
鎌倉時代、現在の長崎県庁周辺(長崎湾の奥)を領した長崎氏(九州千葉氏の一族)がこの地を治めていたことから地名が定着したとされています。
地形由来説
野母崎半島から長崎港にかけての「長い岬」の地形を指す言葉から、地名が「長崎」に転じたという説があります。
「崎陽」の別称
江戸時代に、漢学者たちが「太陽のあたる岬」という意味を込めて、長崎を「崎陽」と呼ぶこともあったそうです。
歴史
長崎県は、古くから大陸(中国・朝鮮半島)との玄関口として栄えていました。
16世紀の開港以降は南蛮貿易やキリスト教の伝来で栄えた歴史を持っています。
江戸時代は唯一の西欧貿易窓口(出島)として栄えました。
明治以降は近代化をリードし、第二次世界大戦末期に原爆投下を経験しました。
古代・中世(大陸との窓口)
壱岐や対馬は古代から大陸との交流拠点であり、弥生時代の遺跡(原の辻遺跡)も発見されています。
戦国・安土桃山時代(キリシタンの町)
1550年にザビエルが平戸に来航しました。
大村純忠が長崎を開港(1571年)し、南蛮貿易により「東の小ローマ」と呼ばれるほどキリスト教文化が栄えていました。
江戸時代(鎖国と出島)
幕府の禁教令により、1614年以降は教会が破壊されました。
一方で鎖国(1639年~1859年)の約218年間、出島を通じてオランダや中国(清)との貿易を行う唯一の窓口となっていました。
幕末・明治(近代化の先駆け)
グラバーなどの外国商人が来航しました。
長崎は近代技術や文化(写真・造船・医学)が日本へ入る入り口となっていました。
大正・昭和・現在(戦災と平和)
1945年8月9日、長崎市に原子爆弾が投下されました。
現在は独自の「和華蘭(わからん)文化」を残す観光都市として知られています。
歴史スポット
出島
江戸時代の貿易拠点(復元された歴史的建造物)
大浦天主堂
国内最古のキリスト教建築
グラバー園(旧グラバー住宅)
幕末の西洋風邸宅
眼鏡橋
日本初の石造りアーチ橋
長崎歴史文化博物館
長崎の歴史を詳しく解説
疲れた日のとっておき!もやしの炊き込みご飯
材料(4人分)
お米2合 もやし1袋 水400ml 鶏がらスープの素大さじ2 ごま油小さじ1 ねぎ(みじん切り)1/2本程度
作り方
お米を洗って30分ほど水に浸しておきます。もやしはよく洗い水気をしっかり切ってから細かくカットします。
1,炊飯釜にお米と水気を切ったもやしを入れたら、水と鶏がらスープの素とごま油を加えてサッと混ぜます。
2,早炊きコースがあれば早炊きコースで炊きます。
ない場合は普通に炊きます。
3、盛り付けたらお好みでねぎ(みじん切り)を散らします。
