大分県

漢字の由来

大分県の地名は、古代の『豊後国風土記』に登場する「碩田(おおきた)国」が由来です。

景行天皇がこの地を訪れた際に山がちで入り組んだ土地に段状の田畑(多くの分かれた田)が広がっている様子に感嘆(かんたん)し名付けたという説や「多き田」が「大分」に転じたという説があります。

「碩田」の転化説
『豊後国風土記』によると、景色に見惚れた景行天皇が「広大なる哉、この郡は。よろしく碩田国と名づくべし」と感嘆したことに由来しています。
「多き田」説
広大な土地の「大きな段(=田)」、あるいは「多くの田」を指す「多き田」が「大分(おおきた)」になり、後に「おおいた」と読まれるようになりました。

歴史

大分の歴史は、豊後国の中心として古代から栄えており、戦国時代には大友宗麟(そうりん)の下で南蛮文化が華開いた「国際貿易の拠点」でした。

鎌倉期からの大友氏が支配し、江戸期の府内藩、明治の県誕生と政治・文化の要衝として1200年以上の歴史を紡(つむ)いでいきました。

現在は温泉と歴史遺産が融合する都市として知られるようになりました。

古代・飛鳥・奈良時代
大分川・大野川流域に古墳が築造され、律令制下では豊後国府と国分寺が置かれるなど政治・文化の中心となっていきました。
鎌倉・室町時代
源頼朝の側近・大友能直が守護に任命され、大友氏による約400年の豊後支配がはじまりました。
戦国・安土桃山時代
21代・宗麟が南蛮貿易を推進し、府内(現在の大分市)はキリシタン文化や西洋医学が花開く国際都市として最盛期を迎えました。
江戸時代
府内藩を中心として、熊本藩領なども混在しました。藩財政は苦しい時期もありましたが、街道(日向街道)や港で物資の輸送が賑わっていきました。

明治時代~現代
大分県誕生
明治4年(1871年)の廃藩置県によって「大分県」が誕生しました。
近現代の発展
明治44年(1911年)に大分市が誕生(市制施行)しました。
戦後は上田保市長のもと、工業都市として飛躍的な復興を遂げていきました。
府内城跡
2つのやぐらと石垣が残り、当時の名残を感じられるスポットになりました。
大友氏館跡庭園
大友氏が領国支配の中心とした拠点です。
大分市歴史資料館
古代からの歴史を展示する施設です。

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